今日は宗教改革記念日——詩篇46篇から生まれた賛美

ハロウインがすっかり定着してしまった感がありますが、この日の意味をともに考えていただければ幸いです。

プロテスタント教会にとって、10月31日はハロウィンの日ではなく、宗教改革記念日です。マルティン・ルターは約五百年前のこの日に、ウィッテンベルグの城教会の門に、免罪符に抗議する95箇条の提題を張り出したと言われます。ハロウインの起源は、「諸聖人の日」の前の晩、Hallow Eve に由来するとも言われますが、ルターは敢えて、異教的な習慣が入り込んだこの日を選んで抗議したとも言えます。

宗教改革は、1517年10月31日正午マルティン・ルターがヴィッテンベルク大学の城教会の門の扉に九十五箇条の提題を掲示したことに始まります。そこでルターが何よりも問題にしたことは、免罪符を買うことによって煉獄における刑罰を軽減されるというような誤った教えを正すことでした。彼はそこで、「ローマ教皇には煉獄の罰を赦す権威はなく、ただ福音のみが、神との関係に正しい関係を与える」という趣旨のことを記しています。それから13年後の1530年に「アウグスブルグ信仰告白」という形で、プロテスタント諸教会の原点となる文書がまとめられます。その第四条「義認について」では以下のようにまとめられています

われわれは、自らの功績やわざ、つぐないによって罪の赦しと神の御前における義を獲得するのではない。むしろ、恵みにより、キリストのゆえに、信仰を通して罪の赦しを得、神の前に義となる。すなわち、キリストがわれわれのために苦しみを受けたこと、また彼のゆえにわれわれの罪が赦され、義と永遠の生命が与えられる信仰をとおしてである。義となるというのは、このような信仰を、神は御前に義と認め、義とみなされることである。それは聖パウロがローマ人への手紙三、四章に述べているとおりである。

ルターは人々の誤解を正すために、「善きわざについて」というトラクトで、「人々は私を、善きわざを禁じる者だといって責めとがめる。けれども、私は信仰に基づく善きわざを教えて行きたいと思う」と、「キリストを信じる信仰」こそがすべての善きわざの原点であると強調します。さらに、「信仰はまさにキリストの血と傷と死からわきいで、流れ出てこなければならない」とも記しています。

ただ、ルターはその10年後に激しいうつ病にかかり、自分が語ってきたことが何の役にも立たないばかりか、「お前の教えが、人々を永遠の のろい へと導くとしたら どうするのか」というサタンのささやきを受け、友人に教えてもらう必要があったようなときです。それに追い打ちをかけるように、ペストがウィッテンベルグに蔓延します。そして、生まれて一年もたたないエリザベスちゃんが死んでしまいます。さらに誤った教えが広がり、ルターはサタンの攻撃を驚くほど身近に感じ、怯えていました。そのような中で、彼は詩篇46篇のみことばに慰められ、宗教改革の進軍歌とも呼ばれる名曲を作詞作曲します。

一般的に歌われている日本語の訳は美しい言葉にしようとするあまり、原文の切迫感が伝わってきません。当教会では以下のような歌詞で歌っています。ある人が、「サタンの勝利を歌っているみたい……」と言いましたが、実は、そのように見えるのが原文の歌詞なのです。

「神はわれらが堅き砦」Ein feste Burg ist unser Gott: Martin Luther 1529

  1. 神はわがとりで わが強きたて
    苦しめるときの 近き助けぞ
    古き悪魔 知恵を尽くし 攻め来たれば
    地のたれもが かなうこと得じ
  2. いかで頼むべき わが弱き力
    われらに代わりて 戦う方あり
    そはたれぞや 万軍ばんぐんの主なる イエス・キリスト
    勝利しょぅりわれらに 与うる神なり
  3. 悪魔世に満ちて よしおどすとも
    などて恐るべき 神ともにいます
    この世の君 ほえたけりて 迫り来とも
    主のみことば これに打ち勝つ
  4. たとい主のことば むなしく見ゆとも
    神は御霊みたまもて みむね成し遂げん
    わが命も わがつま、子も とらばとりね
    神の国は なおわれらにあり

オリジナル版を以下でお聞きいただけます。私たちの教会で使っている聖書「新改訳2017」の由来は、宗教改革500周年に合わせたという意味もあります。これは宗教改革を記念した教会での500周年記念礼拝での賛美です。