僕と洋子は、毎朝、NHKの朝ドラを見ています。今日、日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎博士の物語が終わりました。
そこで興味深いのは、このドラマが、小学校中退の学歴の牧野氏が65歳で理学博士号を東京大学から授与されたところで基本的に終わっていることです。牧野博士はその後、94歳まで生きて、輝かしい業績を残していますが、彼の奥様、すえこさんが55歳で亡くなるところでこのドラマが終わっているのです。
洋子が僕に、「あなたは牧野博士と似ているわね……自分のやりたいことばかりに目が向かって、周りのことやお金のことが見えなくなる……」と。ただ牧野博士は驚くほどお金に無頓着で、奥様が本当に苦労したという事実があるようです。僕の場合は、一応、お金の管理について、聖書からお話しするほどの生活はできていると思います。
先日、生駒聖書学院でのZoomでの学び会で、パリサイ人の問題を話しました。イエス様が、「あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょう」と不思議なことを話されましたが、そこでルカは、「金銭を好むパリサイ人たちは、これらすべてを聞いて、イエスをあざ笑っていた」と記しています (ルカ16章11、14節)。パリサイ人は、自分たちはお金の誘惑から自由に生きているということを誇っていましたが、イエスは彼らを、お金の好きな偽善者と見ていたのです。
さらに興味深いのは、その直後に、イエスが「だれでも妻を離縁して別の女と結婚する者は、姦淫を犯すことになり……」(同16:18) と語っておられることです。実は、この背後に、当時のパリサイ人たちが、どのような理由があるときに、妻を離縁できるか……と言うことを、神学議論のテーマにしていたという当時の文脈があります。パリサイ人の偽善は、何よりも、妻との関係に見られるということです。
旧約聖書の最後のマラキ書2章13-16節には、神が当時の人々のささげものを喜んで受け取らない理由として、「あなたがその妻を裏切ったからだ……神は人を一体に造られたではないか……「わたしは離婚を憎む」と記されています (新改訳第三版)。
牧野博士の場合は、彼の夢が、奥様のすえこさんの夢になり、彼女は夫と一体の者として、牧野博士を支え続けました。だから、牧野博士のドラマはそこで終わりました。私が結婚の司式をさせていただいた夫婦の中には、妻の社会的な働きを支えるために、家庭を守ることを第一にしている夫がいます。どちらでも良いのですが、夫婦が一体となっていることがすばらしいです。
米国の神学者が記した The Money Challenge(お金の挑戦)という本がありますが、そこで彼は、夫婦円満の秘訣に、夫婦が財産共有を徹底することと勧めています。これは米国では常識とはなりにくい話だと思いますが、銀行口座は夫婦が一体として管理し、「私のお金」と呼ばずに、「私たちのお金」と呼ぶことで、互いに寛容さを身に着けられると言っています。
夫婦で、どちらの方がお金を大胆に使う傾向があるか……ということはその組み合わせて決まります。それでも「私たちのお金」と呼べる関係が、一体の夫婦と言えましょう。もちろん、そこには様々な事情や組み合わせがありますから、一概に、これを聖書が語る原則と呼ぶつもりはありません。しかし、財産を完全に共有していることは、夫婦が一体として生きていることの最大の証しとなるとも言えましょう。
初代教会は、そのような財産共有の関係が教会に集う兄弟姉妹全体に広がっていたということを記録しています。それは制度としてできたことではなく、創造主であられる聖霊の働きとして生まれたということで、独身の方でも、聖霊の働きによって、信仰の友との一体感を味わうことができればと思います。