映画「こんにちは、母さん」 〜ヘブル13:2、イザヤ49:15、16

9月1日に全国公開された映画「」を見てきました。英語のタイトルは、「Mom、Is that You?!(母さん、それがあなたなの?」という吉永小百合、大泉洋主演の映画です。

78歳という高齢の小百合さんが演じる恋愛と、50歳の大泉さんが演じる大手会社の人事部長の仕事と家庭の悩みの話ですが、監督があの「男はつらいよ(ふーてんの寅さん」などの名作を生みだした山田洋次さん(91歳)です。今から40年前、僕たちがドイツにいるとき、「男はつらいよ」のビデオを見て、日本の下町情緒に感動し、帰国して真っ先に訪ねたのは葛飾柴又でした。

ネタバレにならない範囲でご紹介しますが、今回の映画も、下町情緒にあふれたまさに日本的な笑いと涙の感動のドラマです。しかも今回の舞台となったのは墨田聖書教会というペンテコステ派の比較的小さな教会です。寺尾聡がそこで牧師役を演じますが、そこでの2分間の礼拝メッセージが印象的で、心から感心しました。ヘブル人への手紙13章2節の次の言葉がテキストでした(協会共同訳)。

旅人(見知らぬ人)をもてなすことを忘れてはなりません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。

その教会ではホームレスの方々への支援活動をしていますが、そのような方々を「もてなす」中で、天使たちをもてなしているかもしれない……天使である方は決して自分を天使だとは主張しません……あなたが「もてなす」方々が天しかもしれないのです……と言います。そしてそのあと、「死んでも役所の世話になどなりたくない」と言いながら、屋根のない仮宿での生活を続ける方を指して、「この人が天使かもしれない」と牧師が言いながら、吉永さんが演じるお母さん役の働きを励まします。ドイツ語では、ホームレスの方々を、「obdachlose(屋根の覆いのない方)と呼びますが、その方は屋根のない場所に住みながら、空き缶を集めて生計を立てています。

一方、大泉洋が演じる大手会社の人事部長は、「甘え」の意識を殺して、会社の人員整理の働きを担っています。家庭も壊れています。

6年ほど前にジェームス・フーストン先生による「キリストのうちにある生活──日本と欧米の対話の向こうに」という本の、翻訳監修に携わらせていただき、改めて、日本文化の中に流れるキリスト教的な心の再発見をさせていただきました。そこでフーストン先生は次のように書いておられます。

「甘え」ということばは、日本の社会的依存関係の領域を表しています……日本語の言葉や概念や態度の中で「甘え」ほど、強く西洋文化に対立的なものはないでしょう。対照的に、おそらくアメリカでもっとも誇張されている、私たちの「自我(エゴ)文化」に対して、「甘え」という薬が適度に処方されることが文化的に有益であると思われます。
それはアメリカ文化が、自律的な自己、自己膨張する自己、肯定的で競争的な自己、契約的でリーダーシップを持つ自己を推進し、さらには、クレジットカードを持ってショッピングモールに集まる消費者の集まりに見られるような空虚な自己さえも、自己実現のカルトとともに推進してきたからです……
「甘え」を聖書的に適用することが、私たちの文化で欠けていること、また疑われているということがしっかりと語られ、証しされる必要があります。
それは次のように記されているとおりです。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ、このわたしは手のひらにあなたを刻んだ」(イザヤ49:15、16)

たまたま先日の日曜日の礼拝では、この箇所から説教させていただきました。 から、お読みいただき、またお聞きいただくことができます。

本当にすばらしい映画でした。あの映画で描かれた教会の姿が、多くの日本人が憧れる姿なのかもしれない……またあのようなメッセージが、日本人の心に届き続けるものなのかもしれない……と、ふと反省することができました。