終末論としてのエゼキエル預言 —— 契約の成就の観点から

昨日は牧師にとっての安息日でしたが、早朝、どうしてもゴミを出しに教会に来る必要がありました。そこでふと映画の を開くと、「ローマの休日、製作70周年 4Kレストア版」というのが目に留まり、急遽、見に行ってしまいました。

この古典的名作が、僕の誕生年に作成されたとは知りませんでしたが、映画館で見るとその世界に心が招き入れられ感動的でした(ちなみに白黒のままでしたが)。ご存じの通り、某国の王女が深夜に、訪問先のローマの大使館を抜け出して、新聞記者に出会い、翌日、ローマでの生活を二人で楽しむという話です。最初、新聞記者は友人のカメラマンにお願いして、大スクープ記事にしようとしか思っていませんでした。しかし、王女との交わりに中で、彼女の気持ちを理解し、最後はそのカメラマンの友人も納得して、その報道を差し控えることにしたというストーリーです。絶好の商売のネタを捨てることにしたのは、王女の葛藤と決意を知った結果ですが、そこに人間同士の信頼関係の美しさが描かれています

最近上映中のミッション・インポシブルにおいても、テーマは仲間同士の友情、命をかけた助け合いの美しさというのがあります。

それぞれ、私たちの信仰の世界とまったく無縁なようでありながら、実は、西洋キリスト教文化世界に流れる永遠のテーマがあります。それは「約束を守る」ということの大切さです。

僕は10年間、証券市場で働いて来ました。外部から見たら、そこは仁義のないだまし合いの世界に見えるかもしれませんが、当時は、数億円単位の取引が、録音もされないままの電話の口約束で成立するのが常でした。契約成立後、株価や債券価格が思わぬ方向に動いても、十年間の間、一度たりとも口約束が反故にされたことはありませんでした(もちろん、口約束の後、すぐに書面での確認は郵送されましたが……)。契約書以前に、口約束が絶対的な力を持ち、それが裏切られることがないというのが、金融市場に参加する者の最低限のモラルとされていました。

この「約束を守る」という話は、聖書の世界では、アブラハム契約を始めとして、神がご自身の約束、また預言者を通して語られたことを必ず成就するという話につながります。

先日のメッセージは、エゼキエルの神殿預言の箇所でした。これは聖書の終末論において、それがキリストによって成就された預言なのか、それとも将来的な「千年王国」において成就する約束なのか……と言うことに関して議論がなされてきた経緯があります。福音自由の信仰箇条見直しにからめて、エゼキエルのテキスト自体に丁寧に向き合って解釈したつもりです。本当なら3時間かけてお話ししたいことを30分間で、視覚的な図表を用いて簡潔にお話ししました。そして結論として、それをイエス様が語ってくださった「イエスを信じる者の心の奥底から生ける水の川が流れ出る」という話に繋げました(ヨハネ7:37、38)。

で小生とメッセージテキストと、音声メッセージをお聞きいただくことができます(エゼキエル40章~47章の礼拝メッセージ 「神殿から生ける水の川が流れ出る」)。

神殿の平面図に関しては からご覧いただけます。

神殿の平面図(出典:esv.org)

 

聖書には、神殿の立体的な側面は記されていませんが、それを想像したものが以下の図です。外庭、内庭に入る門に焦点を合わせています。

出典:LOGOS BIBLE SOFTWARE