マタイ27章55〜66節「イエスの復活の舞台を備えた人々」

2023年7月2日 

一般的なキリスト教の教えでは、イエスの十字架の死の後に、弟子たちの間に復活信仰が芽生えたという説明がなされます。それこそが科学的な表現だとさえ言われます。確かに、イエスの身体の復活は万人が認められることではありませんから、それは客観的な表現のようにも思えます。

しかし、イエスの復活が歴史的な事実でなければ、弟子たちの中に復活信仰は生まれ得なかったということの方が合理的な説明と言えましょう。しかも、救い主の復活預言は、旧約預言の核心部分にあります。それを誰よりも理解できたのは当時のパリサイ人たちであるからこそ、彼らはイエスの弟子たちが復活神話を作ることがないようにと必死の働きをしました。

また、このときまで自分の信仰を隠していたアリマタヤのヨセフも、自分のために用意していた「新しい墓」を提供することで復活の舞台設定をしました。イエスの弟子たちの女たちは、ただおろおろしていたようでも、その場に居続けることで、復活の証人となって行きます。

それらが示すことは、イエスの復活の客観性を証明するのは、イエスの男の弟子たちではあり得ないという事実です。創造主ご自身が、イエスを十字架にかけた張本人さえ用いて、イエスの復活の舞台設定をしたのです。

1.「そこには大勢の女たちがいた……その中にはマグダラのマリア」

イエスが「大声で叫んで霊を渡された」直後のようすが、「またそこには大勢の女たちがいた。遠くから眺めていた者たちで、彼女たちはガリラヤからイエスについて来ていた、イエスに仕えるためであった」と描かれます (27:55)。

マタイは、男の弟子たちについては「弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった」(26:56) でまとめ、それ以降はペテロが三度イエスを否認したことを詳しく描いているだけです。

ここで注目すべきは、「大勢の女たち」がイエスの苦しみを遠くから眺めながら、そこに「いた」こと、また「彼女たちはガリラヤから」、「イエスに仕えるため」に「ついて来ていた」と描かれています。この後に明らかになりますが、彼女たちはイエスが息絶えた後にも「仕える」という気持ちはまったく変わっていません。

そして、ここに突然彼女たちの名が、「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子たちの母がいた」と描かれます。その後も、「マグダラのマリアともう一人のマリア」という表現が二回 (27:61、28:1)、それに続いて「女たち(彼女たち)」という表現が二回登場します (28:5、11)。

その代表者の「マグダラのマリア」についても何の紹介もないばかりか、その心の動きも表現されません。しかしそれはマタイがイエスに召された時のことを、「イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、『わたしについて来なさい』と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った」と描かれていることに似ています (9:9)。

私たちの目は、あまりにも「信仰」を人間的な力のように見てしまう傾向があります。「マグダラのマリア」に関しては、ここで突然、その名が登場しますが、彼女の背景をマタイはまったく記していません。この名が繰り返されるのは、目撃者に一貫性を持たせるためだけとも言えましょう。

しかも、「マリア」という名を敢えて繰り返しながら、イエスの母マリアのことさえ省かれています。それはマタイが、人間の心理よりも創造主のみわざに目を向けさせようとしているからです。

私たちが注目すべきなのは、創造主ご自身がイエスの復活の証人として。当時、証人能力を認められていない女性たちを備えておられたということ自体なのです。それは神がどんな人をも用いることができるという証しです。

なおルカ8章2節ではマグダラのマリアについて、「悪霊や病気を治してもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア」と描かれます。「マグダラの女と呼ばれるマリア」という表現に、「新宿の女と呼ばれるマリア」という響きが感じられると言われる場合がありますが、「マリア」という名が多すぎることからこのように呼ばれたと考える方が一般的です。

彼女が「七つの悪霊」に支配されていたというのは、欲情に駆られた、売春婦のような生き方と結びつけるのも行き過ぎと言えましょう。ここから分かるのは、彼女は自分の信仰で癒されたのではなく、イエスによって「悪霊を追い出してもらった」ことによって、イエスに従うことができるようになったということです。

「七つの悪霊」を信仰の力で追い出すことは絶対に無理で、すべてがイエスのあわれみと結果としか言いようがないということが明らかにされます。取税人マタイが、イエスに目を留められて使徒とされましたが、女性の弟子の代表と見られる「マグダラのマリア」も、イエスの一方的なあわれみによって召し出された者です。

彼女がその高貴な生き方によって女の弟子の最高位にされたとは、だれも思いもしません。弟子の集団の中心に、当時の人々から徹底的に忌み嫌われていた取税人とこのような女性がいたということ自体が不思議です。

マタイの福音書は、アブラハムの系図から始まりますが、そこに登場する四人の女たちは道徳的にはどう考えても尊敬のしようもない人々です。

タマルは遊女の姿でしゅうとのユダと関係をもって双子を生み、ラハブはエリコの遊女、ルツは軽蔑されたモアブの女、ソロモンの母バテシェバは「ウリヤの妻」として描かれています。

そして、このイエスの復活を描く最後の場面において「マグダラのマリア」という女性の名が何度も登場します。しかし、記されるのはその「名」のみで、彼女の歩みも信仰もまったく描かれていません。

私たちが見るべきなのは、創造主はどんな人をもご自身のみわざを証しするために用いることができるということです。それはバプテスマのヨハネが、「われわれの父はアブラハムだ」と誇っている宗教指導者たちに、「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです」(3:9) と言われたことを思い起こす必要があります。

私たちはあまりにも自分の心の目を人間のわざとしての信仰に向けすぎる傾向があるのかもしれません。すべてが創造主ご自身のご計画から始まるのです。

2.「夕方になって、お金持ちの人が来た、アリマタヤ出身のヨセフという名の人で」

57節では突然、「夕方になって、お金持ちの人が来た、アリマタヤ出身のヨセフという名の人で、彼自身もイエスの弟子となっていた」と描かれます。原文では「お金持ちの人が来た」という、不思議な表現が前面に出てきますが、そこには重大な意味が隠されています。

そして彼の行動が、「この人がピラトのところに行って、イエスのからだを求めた(下げ渡しを願い出た)。そこでピラトは渡すように命じた。ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包んだ。

そして自分の新しい墓に納めた、それは岩を掘って造ったものだった。そして墓の入り口に大きな石を転がしておいて、立ち去った」と描かれます (58–60節)。

金曜日の夕方に日が沈むと、安息日に入り、イエスのからだを墓に葬るという労働は許されません。

また、申命記21章22、23節には「ある人に死刑に当たる罪過があって処刑され、あなたが彼を木にかける場合、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主 (ヤハウェ) が相続地としてあなたに与えようとしておられる土地を汚してはならない」と記されていることからも、十字架にかけられた者の遺体の処理は急を要しました。

総督ピラトはユダヤ人との無用な争いを避けるためにも、ヨセフの願いを「渡りに舟」と即座に受け入れます。ヨセフも過越の祭りの安息日の前ですから、大急ぎで手際よくイエスのからだを包み、自分のために用意していたはずの「新しい墓に納めた」のです。

彼らは目の前の問題解決に必死だっただけでしたが、知らないうちに、イエスの復活の舞台を備えることに貢献していました。

その背後にはイザヤ53章9節で、「彼の墓は悪者どもとともに設けられた。しかし、彼は富む者とともに葬られた。それは、彼が暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったから」(私訳) と預言されていたことがあります。

当時の十字架刑にされた人々は犯罪人専用の共同墓地に投げ込まれました。そのことがイザヤでは「彼の墓は悪者どもとともに設けられた」と預言されています。しかし、それでは「墓が空であった」という復活の証しが成り立たなくなります。それで、「彼は富む者とともに葬られたと、その遺体がお金持ちの墓に葬られることになると預言されたと言えましょう。

それを前提に、ここでは「お金持ちの人が来た」と描かれ、イザヤの「主 (ヤハウェ) のしもべの歌」が思い起こされることにつながります。

「アリマタヤのヨセフ」に関しては、ヨハネの並行記事では、「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していた(19:38) と描かれ、またマルコの並行記事でも、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた(15:43) と、ヨセフの動機に焦点が当てられますが、マタイでは彼が「金持ち」であったことばかりが強調されているかのようです。

それはマタイが所詮、取税人でお金に目が向かっただけ、などという見方をしてはなりません。マタイは、個々人の動機よりも、預言の成就という面をいつでも第一にしているからです。

多くの人々は、イザヤ53章というと「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」(53:3) という「苦難のしもべ」の描写を思い起こします。

しかしこの歌は52章13節の、「見よ、わたしのしもべは栄える。高められ、上げられ、はるかにあがめられる」という復活預言から始まることを忘れられがちです。

しかもその後半の部分では、「痛めつけられても、彼はへりくだり、口を開かない。ほふり場に引かれる羊のように……。毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」と描かれていました (53:7)。それはイエスが総督ピラトの前で、「不利な証言を」聞きながら「どのような訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた」と描かれていたことが (27:13,14)、イザヤ預言の成就であることを指し示すことになります。

イザヤではさらに続けて、預言された救い主の死の理由が、「しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。だが、彼の時代のだれが思い巡らしたことだろう。生ける者の地から絶たれた彼は、わたしの民のそむきのために罰せられたことを」(53:8) と描かれていました。

これほど明確に十字架の意味が説明されていたのは何とも不思議です。マタイは自分が記した福音書の背後にイザヤ52章13節から53章12節の預言を思い起こさせるような書き方をしているのです。

この福音書でイエスは、「天の父」という表現を繰り返し、その愛のご支配を強調しています。その代表例は、「そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父のお許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています」(10:29、30) という表現です。

ところがイエスが苦しむ場面では、「天の父」の沈黙が前面に出てきます。そしてイエスは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばざるを得なくなります (27:46)。

しかしイエスが「大声で叫んで霊を渡された(27:50) という瞬間から、圧倒的な御父の働きが描かれます。それは、「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂け」、「地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った」(27:51、52) という不思議に現わされます。

男の弟子のほとんどは、ただ恐れて身を隠し、女の弟子たちは胸が張り裂けるほどの悲しみを味わっていました。しかし、神が沈黙しておられると思われた瞬間から、神の圧倒的なみわざが始まっていました。神は確かにそこにおられ、沈黙してはおられなかったのです。

61節では、「マグダラのマリアともう一人のマリアはそこに居続けた、墓の方を向いて座りながら」と描かれます。彼女たちは絶望感に圧倒されながらも、その場を離れることができずにいたのです。

しかし、それこそキリストの復活の大前提となります。多くの信仰者も、「もうだめだ……」と絶望した瞬間に、神のみわざを体験して来ました。それは音楽家の演奏が、完全な沈黙を待ってから始められるようなものです。まわりが敵だらけで神が見えないと思えるその時こそ、神の圧倒的なみわざ表わされる舞台なのです。

3.「私たちは思い出しました。あの欺く者が『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを」

62節では、「明くる日、すなわち備えの日の翌日」と記されます。これは土曜日ですが、それは一年で一番大切な過越の祭りの安息日でした。そのことを明らかにするために「備えの日の翌日」と敢えて記したのだと思われます。

なおルカ23章55、56節では「イエスとともにガリラヤから来ていた女たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスのからだが納められる様子を見届けた。それから、戻って香料と香油を用意した。そして安息日には、戒めにしたがって休んだと描かれています。

イエスの弟子の女たちは、イエスの遺体を香料と香油で整えたいと思いながら、それを必死に我慢し、安息日には休んでいましたが、その休み方を具体的に指導していた「祭司長やパリサイ人たちがピラトのところに集ってきた」とここで描かれます。

これは彼ら自身の律法解釈に真っ向から反する暴挙です。これがマタイでしか描かれないのは、この福音書がユダヤ人の読者を意識しており、その異常さがよく理解できたからでしょう。

63節では、「祭司長たちとパリサイ人たち」がピラトに「言った」ことばが、「主よ(閣下)、私たちは思い出しました。あの欺く(惑わす)者が、まだ生きているとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを」と記されます。彼らはピラトに向かって「主よ」などと、おべっかを使って、その心を動かそうとしています。

イエスは弟子たちに繰り返し、ご自身が「殺される」ことを予告しながら、その最後に明確に「三日目によみがえります」と言っておられました (16:21、17:23、20:19)。弟子たちの心にはそれが意味ある言葉として残っていませんでしたが、それを伝え聞いていたパリサイ人たちは、イエスの弟子によって新しい動きが生み出されることを急に心配し出したのだと思われます。

イエスは十字架上で、「神殿を壊して三日で建てる人よ」という嘲りを受けていましたから (27:40)、パリサイ人たちはそれが復活神話を生み出す基となると心配したのでしょう。彼らはイエスの死を見るだけでは満足できませんでした。「恐れ」は人の心を敏感にしますが、彼らはその意味でイエスの弟子たちよりも主のことばを注意深く聞いていたと言えましょう。

ただし彼らは、最初からイエスを「人を惑わす(欺く)者」であると断定していたので、復活の可能性を考える代わりに、弟子たちが復活神話を作り出すと思い込みました。それで「三日目まで墓の番をするように命じてください」と直接的な行動を大胆に願います。

その理由が、「そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません(そうでないと……民に言うことになります)。そうなると、この惑わし(欺き)のほうが前のものよりもひどいものになります」と述べられます。

それに対しピラトは、「おまえたちは番兵を持つことになる。行け、そして知れる限りの番をするようにと言います。その結果が、「彼らは行って、墓の番をした、番兵たちとともに石に封印をすることで」と記されます。

つまり、安息日に「石に封印をして」「墓の番をした」、その責任者は「祭司長たちとパリサイ人たち」であると描かれているのです。彼らこそが墓の管理者となったというのです。

このときイエスの弟子たちは、イエスの繰り返しの復活預言を聞き流していたので、ただ恐れにとらわれて隠れていました。そして何と、ユダヤ人とローマ人の指導者が、協力してイエスの復活の舞台設定をすることになりました。

そして、この後、墓が空っぽになったことが誰の目にも明らかになります。少し考えたらわかることですが、それは皮肉にも、祭司長やパリサイ人が恐れたとおりの展開ですから、彼らは「弟子たちが盗んで、復活神話をでっち上げた」と言えば済むことになります。

不思議なのは、パリサイ人たちの周到な準備をしたにも関わらず、その復活の話しを否定しきれなかったという事実です。しかも、弟子たちの後の行動を見ると、彼らが自分たちで作り出した噓の話に、自分たちの命をかけたと想像すること自体があり得ないことです。

それほどに墓が空っぽになるということこそが、主の復活の最大の証拠となって行くのです。

多くの人々は、イエスが私たちの罪のために十字架にかけられ、イエスの犠牲によって私たちに永遠のいのちが与えられたと言います。

それは決して間違っていませんが、イエスが繰り返し弟子に語っていたことは、「人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります」という事実です (20:18、19)。

そして、この救い主の犠牲による罪の赦しと、人の子と呼ばれる救い主の復活の両方を、誰よりも明確に預言していたのがイザヤです。福音記者マタイは、一人ひとりの信仰者の心の動きをまったく無視するかのように、預言の成就という面に焦点を当てています。

敢えて、登場人物の心理描写がなされるのは、イエスに敵対する者たちです。それは彼らの悪意を際立たせるためですが、それによってイエスと父なる神が悪の力に打ち勝ったという福音が明らかにされます。

イエスの十字架は、サタンとその勢力に対する父なる神の勝利宣言の場です。ヘブル人への手紙2章14、15節では、神の御子が私たちと同じ「血と肉をお持ちになられ」十字架の死を遂げた理由が、「それはご自分の死によって、死の力を持つ者、すなわち悪魔を無力化するためであり、また死の恐怖によって一生涯奴隷となっていた人々を解放するためでした」と描かれています。

とにかく、キリストの復活なしに、福音は成立しません。そして、キリストの復活は私たちの中に真の意味で、恐怖に打ち勝った「生きる力」を生み出します。

それは、「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるからです (ローマ8:11)。イエスの復活を否定するあらゆる努力がなされてきましたが、誰もイエスの復活を嘘だと証明できた人はいません。

その代わりに広げられた教えが、十字架だけで福音を完結させ、人々の目を復活に向けさせない教理です。イエスに敵対する勢力は、今も昔も、イエスの復活は初代教会の弟子たちの中に生まれた神話であり、それは福音の核心ではないと言い続けています。