去る火曜日、私たちは七十歳になって初めてささやかな中古マンションを手に入れ、転居しました。家内ともども、この歳になっての引っ越しは本当に疲れると互いに言いあっています。
たまたま明日の礼拝では、「先のことを思い起こすな (do not remember)。昔のことを思い巡らすな (nor consider)。見よ。新しいことをわたしは行う。今、もうそれが芽生えている。それをあなたがたは知らないのか」(43:18、19私訳) という箇所からメッセージすることになっています。
もともと、それまでの住居は、教会が借りている牧師館としての位置づけでした。その場合、牧師が退職すると住居がなくなるということになります。しかし、個人で住居を所有していると、年金生活になっても最低限の生活レベルは保たれることになります。長期的に教会の後継者を捜す上でも、教会とは違った町に住むことである程度の距離を保つことができるうえ、埼玉県に多い福音自由教会のお手伝いに行く上でも都合がよくなります。 そのため、国立駅南口の徒歩圏内に住居を決めることができたのでは幸いでした。自転車では今までと同じぐらいの時間で教会に来ることができます。
今は、新しい住居の書斎機能をどのように整えることができるかというのが個人的な課題です。この35年間近くにわたっての個人的な神学的な課題を整理して世に問いたいという熱い思いが湧いてきています。昨年、「心が傷つきやすい人への福音」という本をまとめて以来、同労者の中からも「恥」の観点から堕落と救いを見ることの必要性に理解が得られてきており、35年前の卒業論文も話題にしていただいています。
新しい住居は、終の棲家として購入したものですが、そこでまた新しいことを始めてみたいという思いがふつふつと湧いています。そのように導いてくださっている主をほめたたえ、ますます福音伝道に携わる働きを広げたいと願っております
外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています
Ⅱコリント4:16
という聖霊様の働きに期待して歩んでゆきたいと願っています。
幸い、スポーツクラブがすぐ近くにあります。適度に体を鍛え、適度に休みながら、新しい生活を楽しみたいと願っております。