マタイ27章15〜26節「バラバの釈放とイエスの十字架刑」

2023年5月7日

人の人生は、時の権力者の思い違いによって破滅に向かうような「空しい」ものです。そのことが「人 (アダム) は息に似て、その日々は過ぎ去る影のよう」(詩篇144:4私訳) と歌われます。

ピラトは、人々が「バラバ・イエスという、名の知れた囚人」よりも、「キリストと呼ばれているイエスの」の「釈放」を「望む」と思い込んで、目の前の問題を乗り切ろうとしました。しかしそれはイエスの十字架を決定づける大誤算となります。

本日の聖書箇所には、イエスの十字架刑が決まる経緯が記されます。当時のローマ帝国は、それぞれの支配地の民族の宗教や自治権を尊重していましたが、死刑判決を決める権限だけはローマ皇帝の代理としてのローマ総督にゆだねられていました。

私たちは使徒信条を告白するたびに、「主は……ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ……」と唱和しますが、当時のローマ総督ピラトこそがイエスの十字架刑を決めた裁判官という歴史的な事実があります。彼は、自分がそのような汚名を着せられることになるとは思いもよらなかったことでしょう。そのようなった経緯を細かく見て行きたいと思います。

1.「おまえたちはだれを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか、それとも……」

27章1節でのイエスに対する死刑判決は、ユダヤの最高法院によるもので、判決理由は「この男は神を冒涜した」という、全員の目撃による証言でした (26:65、66)。

それはイエスが、ダニエル書7章13節のことばを引用しながら、ご自身こそが聖書の預言を成就する全世界の王であることを宣言した結果でした。それは、当時のユダヤ人の指導者にとっては、イエスがローマ帝国からの独立運動を導く「ユダヤ人の王」であるという意味になります。

しかし、総督ピラトには、イエスがダニエル書を引用してご自身を「ユダヤ人の王」であると宣言することが、ローマ法による反逆罪に相当するという理屈が理解できません。

ピラトがイエスに、「あなたはユダヤ人の王なのか」と質問したことに、イエスは「あなたがそう言っています」とだけ答え (11節)、それを否定しなかったことは、彼をさらに悩ませることになります。

ユダヤの祭司長たちや長老たちは、イエスが群衆を扇動してローマ帝国との戦争を引き起こそうとしているという趣旨のことをいろんな角度から訴えていたことでしょうが、イエスはその「不利な証言」に沈黙を守ったままでした (13節)。

それはイエスが、イザヤ53章7節に描かれた「主 (ヤハウェ) のしもべ」の預言を成就する姿でもありました。そこには、「痛めつけられても、彼はへりくだり、口を開かない、ほふり場に引かれる羊のように。毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」と記されていました (私訳)。

そこでは「口を開かない」ということばが繰り返されますが、前半は「神の子羊」として全焼のささげ物にされることを受け止めているという謙遜を、後半は「毛を刈る者」に対する信頼の証しとしての沈黙を意味していました。

さらにイエスはその53章10節に、「彼を砕き、病とすることは、主 (ヤハウェ) のみこころであった。もし、彼がそのいのちを罪過のためのいけにえとするなら、末長く、子孫を見ることになる。主 (ヤハウェ) のみこころは彼によって成し遂げられる」と記されることを思い巡らし、十字架を「主 (ヤハウェ) のみこころ」と受け止めていたことでしょう。

とにかくイエスがユダヤの最高法院で死刑判決を受ける理由も、イエスが不利な裁判の席で、沈黙を守っている姿も、すべてダニエル書やイザヤ書の預言からしか理解できないことですが、それはピラトには理解不能な理屈でした。

それは現代の多くの日本人にとっても同じです。イエスの十字架が私たちの「罪の赦し」に結びつくということを合理的に説明する試みが多くの人々によってなされてきました。しかし、どの説明にも何らかの疑問が生まれがちです。

私たちは聖書を読むときに、一つひとつの預言が神のご計画通りに成就した歴史を見ることができます。その全知全能の神が、十字架にかけられたイエスを救い主と信じる者に対する罪の赦しと復活を約束してくださいました。

そして同時に、私たちに対して「神のかたち」としての生き方を指し示してくださったイエスに倣うように命じられています。神の預言の成就を信じるとは、預言に従って十字架に向かわれたイエスの生き方に倣うことでもあります。

そこで、私たちの落とし穴となるのが、神のみこころを知ろうとする前に、目の前の問題の解決に夢中になってしまうことです。イエスは敢えて、「ユダヤ人の王」として苦しむことを望まれました。王には民全体の身代わりになる資格があるからです。

それに対してピラトは、イエスが「ユダヤ人の王」であることを否定しなかったことが、「ローマ帝国への反逆罪」になるかという議論に入り込むことなく、責任逃れのための妥協策を考えました。

それが、「ところで、総督は祭りのたびに、群衆のために彼らが望む囚人を一人釈放することにしていた」という総督が恩赦を与えるという習慣でした。そして、「そのころ、バラバ・イエスという、名の知れた囚人が捕らえられていた」という話が記されます。

マルコ15章7節によると、彼は「暴動と人殺しをした暴徒たちとともに牢につながれていた」者であり、ルカ23章25節では、「暴動と人殺しのかどで牢に入れられていた男」と描かれています。

このバラバには「イエス」という呼び名もあったというのがマタイの記事ですが、これはイエスという名が記されない写本も多くあり、事実は確定できません。

しかしイエスとはヘブル語では「ヨシュア」であり、極めて一般的な名前です。これは同時にイスラエルを新しい時代に導く指導者にふさわしい名でもありました。

つまり、「暴動と人殺し」によって革命運動を主導したと思われるバラバ・イエスという名との比較で、ピラトはその名の組み合わせを喜ぶように、「人々が集まったとき」、「おまえたちはだれを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか、それともキリスト(メシア)と呼ばれているイエスかと問いかけたのです (17節)。

そしてその理由が、「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したのを知っていたからである」(18節) と記されます。ピラトは、群集がつい五日前にイエスを「ダビデの子」として歓迎したのを知っており (21:9)、また、イエスのそのような高い評判に、当時の宗教指導者が「ねたみ」を覚えていたことも知っていました。

ですから、ピラトはこの提案に対し、群衆がイエスの「釈放」を願うことで、「一件落着」となるという計算をしていました。まさに、ユダヤ人の心理状態や同時に、ユダヤ人の預言解釈に何の興味も持たない者のこの世的な打算による提案でした。

もし、ピラトがダニエル書の預言の意味を少しでも知ろうとしていたら、イエスがユダヤの最高法院で死刑と判決されたこととローマ法の関係の中から、イエスへの判決をもっとまじめに考えることができたはずです。

とにかく、ピラトの軽はずみな思い付きの行動で、また真理を探ろうともしない、裁判官になる資格もない愚かな行為によって、イエスは死刑判決を受けようとしています。そこには人々の罪が集積しています。

イエスを銀貨三十枚で売り渡したユダの罪、イエスの弟子であることを否定したペテロの罪、そして、群衆の気持ちを見誤って取返しのつかない判決を引き出そうとするピラト、すべての人の罪が重なる形で、イエスの死刑判決に向かって動こうとしています。

もしここで、ペテロを始めとする弟子たちが、イエスの行動を弁明することができていたとしたら、ピラトの画策も功を奏したかもしれませんが、すべての判決は、気まぐれな群衆の気持ちに委ねられてしまったのです。すべてピラトの浅はかさのゆえです。

2.「あの人がどんな悪いことをしたのか」

19節にはマタイ固有の記事が描かれます。それが、「ピラトが裁判の席に着いているときに、彼の妻が彼のもとに人を遣わして言った。『あの正しい人と関わらないでください。あの人のことで、私は今日、夢で大変苦しい目にあいましたから』」という出来事でした。

ピラトの妻は、イエスが「正しい人」であることを直感的に悟り、同時に、自分の夫がイエスと関りを持つことで、とんでもない汚名を着せられるということを、夢を通して悟ったようです。

聖書には、神が指導者に特定の夢を見させ、未来への備えをさせるという記事がたびたび登場します。多くの男性は、理屈によって心の中の「恐れ」を抑え込もうとしがちですが、弱い立場に置かれがちな女性は、そこにある不安な現実に心の耳を傾けることができます。

それは、イエスの頭に高価な香油を注いだ「ある女の人」の行動として描かれ、また、イエスの十字架を遠くから見続けていた女性や、復活の朝にイエスの遺体に香油を注ぎに来た女性の行動に現わされています。

「女の直感」が聖書でも大きな意味を持っているというのは興味深いことです。ただそれは当時の女性の人格権が認められていなかったこととセットになっているのかもしれません。

社会的に弱い立場の人は、いろんなことに敏感になるからとも言えます。約百年前までは女性には選挙権さえ認められていませんでした。

そして20節では、「しかし、祭司長たちと長老たちは群衆を説得した。バラバを要求し、イエスを滅ぼすようにと」と記されます。これこそ、「だれを釈放してほしいのか」(17節) という質問への、期待外れの簡潔な答えです。祭司長たちはイエスを「滅ぼすように」という要求を群衆に願わせたのです。

そして再びピラトが、「おまえたちは二人のうちどちらを釈放してほしいのか」と問うと、彼らは「バラバだ!」と叫んでしまいます。ピラトはそれに驚き困惑したことでしょう。

それで彼らさらに、「では、キリストと呼ばれるイエスを私はどのようにしようか」と尋ねます。彼はローマ皇帝の代理としてこの裁判の席に着いているのに、群衆に判決の仕方を尋ねるとは、自分から総督の権威を捨て去るようなものです。

それに対して、群衆はそろって、「十字架につけろ!」と叫びます。もともとはピラトが、イエスの「釈放」をユダヤの最高法院の決定に反して行うための方便として考えた手段が、徹底的にローマ皇帝の権威を辱め、群衆を裁判官の立場において、総督ピラトが彼らの判決を聞かざるを得ない立場に追いやることにつながったのです。

それを聞いたピラトは、困惑の気持ちを込め、「あの人がどんな悪いことをしたのか」(23節) と彼らに問います。これほど人の心に響く問いかけはありません。

バッハのマタイ受難曲では、その最初の部分で、「慕わしき 救い主の 破りしは何の掟 犯せしはいかに深き、罪とがぞ」という問いかけが歌われます (教会讃美歌72)。それがマタイ受難曲全体での問いかけとなっているように思われます。

それへの答えとして、十字架の判決の前に、「彼は私たちすべてに良いことをしてくださいました。彼は見えない人の目を開き、足の萎えた人を歩けるようにしてくださいました。彼は私たちに御父のことばを伝え、悪魔を追い払ってくださいました。また悲しむ者に気力を回復させ、罪人を受け入れ、引き受けてくださいました。そのほかのことを私のイエスは何もなさいませんでした」と歌われます。

彼は善い行いしかしなかったために、十字架にかけられることになったというのは何という皮肉でしょう。それはまさに神学的な逆説です。

そのことがイザヤ53章3–5節の「主 (ヤハウェ) のしもべの歌」では、「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた……まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛み(悲しみ)を担った……彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安 (シャーロム) をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された」と描かれます。

それはイエスの十字架の苦しみが、人々の病をいやし、気力を回復させるための最後の働きであったことを指しています。それは私たちに真の「平安 (シャローム)」と「癒し」をもたらすための主のしもべとしての働きだったのです。

マタイ受難曲では先の歌に続き、「愛のゆえに私たちの救い主は死ぬことを望んだのです。彼は罪を何一つ知ることはありませんでした。それは永遠の滅びとさばきの刑罰が私のたましいに残ることのないためでした」と美しく歌われます。

イエスは、まさに私たちへの愛のゆえに死のうとしています。

3.「この人の血に関して私は無実である、自分で見よ」

ところが、ピラトの問いかけを受けた群衆は、「ますます激しく叫び続けた。『十字架につけろ!』」と描かれます。つい五日前、「ホサナ、ダビデの子に」と、しゅろの葉を振って歓迎したと同じ人々が、「十字架につけろ」と罵っています。何があったのでしょう。

それは、イエスが自分たちをローマ帝国の支配から解放する代わりに、無力にローマ総督の前の裁判を受けていることに対する激しい失望から来ていると言えましょう。

多くの人は、自分の期待が裏切られたと思ったとたん、それが激しい憎しみに変わるということがあります。期待が強かった分だけ、裏切られたと思うときの失望が増し加わります。

そして実際に、多くの教会の牧師は、それがゆえに働きを続けられなくなることがあります。牧師などは「罪人のかしら」に過ぎないのですが、その人への期待が大きすぎた人ほど、失望が強くなってしまうということがあります。

イエスの場合は、もっと別の問題がありました。この時点では、イエスはすべての弟子たちから逃げられていました。イエスの弟子の集団の会計係がイエスを裏切ったという話は、みんなの耳に入っていたことでしょう。

しかも、一番弟子のペテロでさえ、イエスと一緒にいたのを見たという目撃証言のことばに対して、「嘘ならのろわれてもよいと誓い始めた」(26:74) ということは話題になっていたかもしれません。

どちらにしても、そこにいた群衆は、イエスが手塩にかけて育てた弟子たちからさえ逃げられた失敗者であることが明らかになっていました。たった12人の弟子さえ従えられない指導者に何を期待しても無理です。

しかし、実際は、イエスの弟子たちがイエスにつまずいて逃亡するというのは、26章31、32節によるとイエスがゼカリヤ13章7節の預言を成就するために起こしたことでした。

それは弟子たちに自分の弱さを心の底から自覚させ、聖霊によって生きる者と変えるためにイエスの最後の訓練の機会だったのです。

どちらにしても、群衆による「十字架につけろ!」という叫びが激しくなったことを受けてのピラトの行動が、「そしてピラトは見た、することが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを。それで水を取って群衆の目の前で手を洗った。『この人の血に関して私は無実である、自分で見よ』と言いながら」と描かれます (24節直訳)。

ピラトは自分がローマ皇帝の代理の裁判官の地位に置かれながら、これが不当な判決であって、自分にはイエスの血の責任がないと言い放ちました。何という無責任でしょう。

しかし、それよりもなお恐ろしいのは、その言葉に対し、「すると民はみな答えて言った、『この人の血は私たちや私たちの子どもたちの上に』」と描かれていることです。これは、そこにいるユダヤ人たちがイエスの血の責任を子どもの世代に問われても構わないと言ったことを意味します。

残念ながら、後のヨーロッパのキリスト教徒たちは、これを、ユダヤ人迫害を正当化する根拠に使いました。それは、ユダヤ人のせいで救い主イエスが十字架につけられ、彼らはその血の責任を自分で担うと言ったのだからという説明です。

しかしそこで忘れてはならない事実があります。それは、イエスが「ユダヤ人の王」として、第一にユダヤ人の救いのために十字架につけられたということです。

そして、何と言おうともこの裁判の責任者はローマ総督ピラトであり、このような群衆の怒りを買う原因にイエスの弟子たちの逃亡もあったということを忘れてはなりません。イエスはまさにここにいるすべての人の責任で、十字架にかけられることになったのです。

その結果が、「そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放した。そしてイエスに対しては、鞭で打ってから、十字架にかけるために引き渡した」と描かれます (26節)。「釈放した」ということばは15、17、21節のほか四回目の登場です。

バラバの「釈放」が、イエスが十字架刑のために「引き渡された」ことと対照的に描かれます。 というやくざから回心した伝道者の集まりがありましたが、イエスはまさに、そのような社会の闇に住む人に新しい人生を与えるために、身代わりに十字架にかかられたのです。

ただ同時に、このときユダヤ人たちがイエスの代わりにバラバの釈放を願ったことは彼らのその後の歴史を決めることになりました。バラバはエルサレムで暴動を引き起こして人殺しまでした人です。

一方、イエスは、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39) と言われて、ローマ帝国への反抗を戒められた方です。このときユダヤ人たちは、救い主と称しながら無抵抗に捕らえられたイエスを退け、剣をもって戦うバラバの生き方を選び取ってしまったとも言えましょう。

ユダヤ人がイエスの血の責任を負うことになったとは、ユダヤ人迫害を正当化する理由ではなく、何よりも当時のユダヤ人が愛し誇っていたエルサレム神殿の滅亡とユダヤ人がエルサレムからの追放と結びついています。

後に彼らはローマ帝国に対する激しい独立戦争を起こし、自滅しますが、それこそが彼らの選択の結果でした。

ピラトは、キリストであるイエスを釈放するために、「バラバ・イエスという、名の知れた囚人」を持ち出してきました。それに対し、「祭司長たちと民の長老たちは、群衆を説得した、バラバを要求し、イエスを滅ぼすようにと」と記されます。

祭司長たちはどのように、群衆がバラバの釈放を要求し、イエスの滅亡を求めるように説得できたのでしょう。何とも不思議です。

たぶんそこでは、イエスが何の抵抗もせずに捕らえられ、弟子たちが逃げ去ったということが根拠にされたのかもしれません。ローマ帝国に対する暴動を引き起こし、殺人を犯した方が賞賛されるというのは、戦争が迫っているという危機感の中では起こり得ることです。

バラバは、「暴徒たちとともに」捕らえられていたとマルコは描いていますが、それならバラバは独立運動の指導者で、暴徒たちから信頼されていた人とも言えるかもしれません。

それに対して、イエスは弟子たちすべてから逃げられたどころか、会計係のユダから売り渡された無能な指導者と言えます。

バラバ・イエスという人がいなかったら、イエスを「十字架につけろ!」という叫びがここまで激しくなることはなかったことでしょう。バラバのせいで十字架刑が決まったとも言えます。ですから、バラバがその後、回心したとは考え難いのかもしれません。

事実、聖書ではバラバのその後に関しては示唆される材料がありません。イエスに対する怒りを引き出すための「当て馬」とされたとも言えます。しかし、それによって、イエスの十字架刑に、弟子たちも含めるすべての人が責任を負っていることが明らかにされました。

後にペテロは、ペンテコステの日にその場にいたすべてのユダヤ人に向かい、「神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手(ローマ人)によって十字架につけて殺したのです」と、彼らの責任を問いました (使徒2:23)。

それは彼が自分自身にも問いかけていたことばであり、また私たち一人ひとりも自分の罪によってイエスを十字架につけたということができます。イエスの十字架刑が決まる場面は、ピラトの大誤算から始まった歴史上最も愚かなハプニングとも言えますが、そこにはすべての人間の罪深さが凝縮して現わされます。

しかし、そこには神の御子イエスが、すべての人の罪をその身に引き受けようとするイザヤ預言の成就がありました。そして、先のペテロは続けて、「しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました」(同2:24) と、神が人々の罪に打ち勝ったことを宣言しています。

イエスの死刑判決に人間の愚かさと罪深さが凝縮されていますが、神はそれをも用いて、神の召しに従う者の最終的な勝利を保証してくださいました。

人の生涯は「息」や「影」のように儚いものですが、神はご自身に従う者に「永遠のいのち」を保証してくださいました。