詩篇144篇と人の価値 —— 村上春樹の新作「街とその不確かな壁」

村上春樹の新作「街とその不確かな壁」という小説を読みました(2回)。ネタバレになるといけないので、内容は書きませんが、改めて、自分の心の奥底にある思いと、普段自覚している自意識の関係を考えることができました。彼の小説はファンタジーを用いるので分かりにくい面もありますが、かえってそれによって、自分の心の奥底にある未整理の感情に向き合うことができるとも言えます。今回、特に興味深かったのは、小説の真ん中あたりに詩篇144篇4節のみことばが、以下のように引用されていたことです

人は吐息のごときもの。その人生はただの過ぎゆく影に過ぎない。


この翻訳文はどこからのものか不明です。ひょっとして彼の私訳かもしれません。解説が次のように記されています

人間なんてものは吐く息のように儚い存在であり、その人間が生きる日々の営みなど、移ろう影法師のごときものに過ぎんのです。

ただ、その儚い存在の人間の心の繊細な動きを本当に大切に扱っているのがこの小説の醍醐味ですから、これも逆説的に見る必要があります。小説にはどの詩篇からの引用であるかは書いてありません。ですから敢えて、その詩篇の文脈を知っておられるとこの小説の意味をより深く味わうことができると思い、以下に僕の私訳による交読文を紹介させていただきます

3 主 (ヤハウェ) よ 人 (アダム) とは何者でしょう これを知っておられるとは

人の子とは何者でしょう あなたがこれを顧みられるとは。

4 人 (アダム) は息に似て

その日々は過ぎ去る影のよう

5 主 (ヤハウェ) よ 天を押し曲げて降りてきてください。

山々に触れて 噴煙を上げさせてください。

6 稲妻を放って 彼らを散らし

矢を放って 彼らをかき乱してください。

7 御手をいと高き所から伸ばして 私を解き放ってください

私を救い出してください 大水から 異国の子らの手から……。

8 彼らの口は 空しいことを語る

その右手は 欺きの右手。

4節で用いられた「息」ということばは、「空しい」とも訳されることばです。伝道者の書の冒頭のことば「空(くう)の空、すべては空」という訳で用いられることばと同じです。伝道者の章では、人が人生で何かを達成することの「空しさ」が説かれながら、神が与えてくださった日常生活を、家族とともに、また友人とともに喜ぶことが何よりも大切であると説かれています。

そして、この詩篇144篇は アダムの子孫の生涯は、塵から生まれて塵に帰るようなむなしいもの、実態のない影のような移ろいやすいものであると言われながら、そのようなこの私一人の人生に神はご自身の目を留めてくださるという幸いが歌われています。私たちの価値は、神がこの私一人に目を留めてくださっているということから生まれます。

この小説は、村上春樹が四十年前に書いたものを全面的に書き直し、膨らませたものであると、彼が「あとがき」で証ししています。

私たち一人一人に与えられた感性から湧き上がる「思い」を大切に育むことの意味を考えさせられます。僕の場合も40年前から変わらないテーマに取り組んでいる面があります。

私たち信仰者は、自分の正直な思いにふたをすることなく、その心の声に正直に耳を傾けることから、創造主との交わりを深めることができます。