夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは 茶摘じゃないか
茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠
という歌がありますが、まさに今夕の5月2日を指します。立春から88日目を指します。
日本では一番過ごしやすい季節と言えるかもしれません。暖房も冷房もいらない心地よい時期です。
ただ、使徒パウロが、この世の風潮に流されるピリピの教会に向けて書いた手紙の3章17–21節では、とっても厳しい警告が記されています。(別に八十八夜を喜ぶことを問題にするのでは決してありません。知らないうちに十字架の敵として歩んでしまう危険が警告されています)
17 兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
19 その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。
20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自身に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。
上記のみことばを心から味わった上で、以下のビデオをご覧ください。私が尊敬する英国の神学者 N.T.ライト教授が、この箇所を当時の文脈と現代の私たちへの5分間のメッセージとして語ってくださっています。僕の友人が字幕をつけてくれました。
なお、上記の聖書箇所を読まずに、解説だけ聞くと少し混乱する方もいるかもしれません。ライトさんの話し方は、ときに論争的になりがちで、伝統的な解釈を否定しているかのように誤解される場合があります。
私たちは日常的に 天国への希望を語りますが、そこに知らないうちに異教的な価値観が入っている場合があります。私たちのたましいが肉体の束縛から解放されることで、永遠の平安を味わうというものです。
ピリピ書の文脈が語るように、問われているのは、私たちのこの世界での生き方です。天の国籍を持つ者としての誇りある生き方です。
そこには同時に、キリストの再臨によってこの世界が造り変えられることと、私たちの身体が栄光の姿へと造り変えられることが語られています。それこそが、私たちキリスト者の共通の信仰告白の核心部分です。