先週からお伝えしている米国ケンタッキー州アズベリー大学の礼拝堂で予期しない形で起こった霊的覚醒の動きですが、まもなく二週間を迎えようとしています。24時間礼拝が続き、世界中にようすが伝えられています。
ほとんどが好意的な感想で、そこにまさに「愛と平和の神がともにおられる」と要約できると思います。私たちの教会のメンバーも30年近く前に、アズベリー大学に隣接するアズベリー神学校で学んでおられたことがあります。1970年2月のリバイバルのことはしばしば話題になっていたとのことです。本当に大学しかないような小さな町で起こった出来事でした。
ただ、その頃は、米国各地でまさにリバイバルと言われる現象が起きていました。ロサンゼルスを中心に起こった Jesus Movement で多くのヒッピーたちがイエス様に立ち返ったのもまったく同じ時代のことです。
ただ、その頃のアメリカでは Love&Peace というとジョン・レノンとオノ・ヨーコの奇抜な行動が話題になっていました(1969年)。その少し前にビートルズのリーダーだったジョン・レノンが「自分たちはイエスより今有名になっている」と不用意に発言したことから、米国の福音派から猛反発を受け、ビートルズのレコードの焼き討ちまで行われたことがありました。ベトナム戦争末期の時代、伝統的な教会に反旗を翻していると思われた人々が、「愛と平和」を自分たちのやり方で広げると語っていました。
伝統的な福音派が、自分たちの正義を訴え、戦いのモードになっていたときに、伝統的な教会に反発を感じる若者が「愛と平和」を声高に訴える……そのような雰囲気の中で、1970年のリバイバルがアメリカで起こったように思います。それは「イエス・キリストこそが愛と平和をもたらす救い主である」という原点に立ち返る運動だったのだと思います。対立ではなく、和解を生み出す静かな霊的な動きが今、アメリカから世界に広がりつつあるような気がしています。
11 最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になり(修復され)なさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。
12 聖なる口づけをもって互いに挨拶を交わしなさい。
Ⅱコリント13:11、12
ここで「完全になる」ということばは、破れた着物を繕(つくろ)う際に使われることばです。聖霊ご自身が、今、アメリカを修復しようとしておられるのかなと思います。2月18日(土)に紹介した で、今のアズベリーのようすをご覧いただくことができます。
以下の記事は、当教会の幼児教室に二十数年前に集っていた方が今のアズべリー大学を訪ねた際のレポートです。
アズベリー現地の様子
CNN や FOX などの主要メディアでも報じられるようになってきたアズベリー大学リバイバル。トリニティの学生達約20名ほどで現地に向いました。「思ってたのと違う」というのが全体としての感想です。(悪い意味ではありません)
到着すると目に入ってきた長蛇の列。チャペルまでは約6-7時間待ちとのこと。到着したのが午後3時だったので夜10時まで並ぶのはさすがに厳しいので、断念してチャペル前の広場へ向かいました。広場では巨大スクリーンとスピーカーが2台設置され、中の様子が映し出されています。耳に入ってきたのはスペイン語の賛美と黒人のワーシップリーダーの姿。アズベリー大学は白人学生が多いことから、アズベリーで起きている出来事を「白人至上主義的」として批判する主流メディアもあったので、良い意味で期待を裏切られました。
そして広場には人がごった返していましたが、想像していたような熱気はなく、むしろ静かな賛美と祈りに包まれていました。手を繋いで祈る家族の姿。
「ありがとう。ありがとう。」と言いながら抱擁しあう黒人の青年と白人の老人。そこに溢れていた空気は確かに「平和」と「希望」と呼ぶのにふさわしいものでした。
寒くなってきたタイミングでボランティアによって Chick-fil-A(アメリカで大人気のチキンバーガー)とコーヒがボランティアによって無料配布されました。大勢のボランティアが笑顔で人々を迎える姿には心打たれました。「どこから来たの?」の一言から始まり、自然と周りの初めて会う人たちと会話が広がっていきます。そこにあったのは熱狂的なカリスマ的な雰囲気というよりも、遠い親戚が久しぶりに集まったような、そんなアットホームさでした。
礼拝堂では青年達による証会が始まり、多くの青年達が次々とマイクの前に立ちます。涙を流しながら自分の通ってきた痛みを分かち合う学生達。家庭環境、ドラッグ、性、自傷行為、鬱。アメリカの若者たちを囲んでいる痛みの深さに自然と涙がこぼれました。
大袈裟な癒しの宣言などはなく、むしろ全員が一体となって学生達のために共に祈り、共に喜ぶ時間でした。良い意味で「思ったのと違う」体験でした。翌日現地の学生、牧師、教師から少し話を聞くことが出来、学生達・大学側のリアルな複雑な感情をも聞くことが出来ました。