映画「ラーゲリーより愛を込めて」——フランクル「夜と霧」〜エレミヤ29章10、11節

先日、今、絶賛上映中の映画「」を見てきました。敢えて今、これを書くのは、「70年前の暗い話など、今更、見たいと思わない……」という方々への励ましのためでもあります。ネタバレにならないように、注意して書かせていただきます。

第二次大戦直後、日本人の約60万人がシベリアに不当に抑留され、そのうちの一割の命が失われたという悲惨な歴史が描かれたものですが、そこに流れるテーマは「愛と希望」です。

それも、本当に、人間性を失わせる過酷な環境の中で、人間の精神の自由の高貴さが描かれています。しかもそれは、36歳で初年兵として召集された山本幡男さんというロシア語が堪能な方の実体験をもとに描かれています。

この映画を見ながら、僕は、ナチス・ドイツの強制収容所を生きぬいた精神科医ビクトール・フランクルのことばを思い起こしていました。彼は「」というベストセラーになった本の中で、次のように記しています。

強制収容所を経験した人は誰でも……人が強制収容所の人間から一切を取りえるかも知れないが、しかし、たった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の自由、を取ることはできないということの証明力を持っているのである。

フランクルは、この本の中で、強制収容所の悲惨よりも、その中で、人間は内的な精神の自由を保つことができるという、「神のかたち」に創造された人間の高貴さを語ろうとしています。それと同じテーマをこの映画の中に見ることができました。

フランクルは、強制労働の行進の中で、愛する妻の顔を思い浮かべながら、心の中で彼女と語り合い、至福を体験できました……

人間は——瞬間でもあれ——愛する人間の像に心の底深く身をささげることによって浄福となり得ることが私に判った……人間の詩と思想とそして信仰とが表現すべき究極の極みのものの意味を発見したのである。愛による、そして愛の中の被造物の救い——これである……

この瞬間、彼は聖書の雅歌8章6節のことばを思い起こしました

愛は死のように強い

それは、死の力に対抗できる唯一のものが「愛」であるという意味です。

またフランクルはその中で、「一つの未来を信じることのできなかった人間は収容所で滅亡していった。未来を失うと共に彼はその拠り所を失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのである」と、「希望」の大切さを記しています。
 
また、比較的繊細な感情素質を持っている人の方が、悲惨の中でも人間性を保つことができたという逆説を次のように記しています

精神的に高い生活をしていた感じやすい人間には……恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。

この映画の主人公の山本さんは、まさにフランクルが強制収容所で体験的に理解したことと同じことを体験していたように思えました。

山本さんもフランクルも、ロシアの文豪ドストエフスキーとトルストイを愛読していたという共通点があります。

神のかたちに創造されている人間は、どんな悲惨な中でも、人間としての精神的な自由を保つ能力が与えられています。山本さんは、シベリアの強制収容所中で、スターリンの肖像画が掲げられている中で、多くの同胞が、人間性を回復する触媒として用いられました。そのとき、山本さんは、スターリンに勝利していたのだと感じました。

フランクルはこの本の最後で、「かくも悩んだ後には、この世界の何ものも……神以外には……恐れる必要はない」という貴重な感慨によって仕上げられる……と記しています。

シベリア抑留から約七十年が経ったからこそ、政治信条などの違いを超えて、この悲惨な事実の中から、私たちが共有できる事実があるように思います。

預言者エレミヤは、バビロン捕囚というイスラエルの最大の悲劇を前提に次のように語っています

まことに、主 (ヤハウェ) はこう言われる。「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。
わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている——主 (ヤハウェ) のことば——。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:10、11)

七十年が経ったからこそ、私たちが落ち着いて見られる悲惨な歴史があります。私たちはその体験から何を学ぶことができたか、それが私たちの未来を決めることのように思えます。

一人でも多くの方々にこの映画を見てほしいと思います。それと同時に、フランクルの「夜と霧」という永遠のベストセラーも手に取っていただければと思います。

これらは私たちに「将来と希望」を与えるために、現実に起きた物語です。