人の知恵の限界——サッカーと中国のゼロコロナ政策〜箴言16:2、3 

今日は、日本中が、サッカーワールドカップでのスペインに対する勝利を喜んでいます。

僕はサッカーはまったくの素人ですが、解説を見て不思議に思ったのは、スペインはパス回しの技術が最高で、日本戦におけるボールの支配率が82.3パーセントと史上最高レベルだったとのことです。日本は終始、スペインにボールを支配されながら二対一の得点で勝利しました。何とも不思議な結果です。朝が早かったので、僕は最後の20分余りしか見ていませんでしたが、得点を得た後の日本の守りは素晴らしかったです。ボールを支配されていても、肝心のところでチームワークを発揮できていたのかなと思います。

一方、このワールドカップの裏で、中国でのゼロコロナ政策に対する国民の不満が爆発しつつあるようです。コロナ対応を厳しくするあまり、別の災害対応ができなかったことから始まり、ワールドカップをテレビ観戦した人が、世界中はもうマスクを外しているという現実に目を開かれたという現実があるようです。その挙句、サッカーの試合は見られても観客席を映す映像はカットするようなことまであったとかのようです。

新型コロナ対応の初期では、ヨーロッパでドイツの徹底的な管理政策と、スウェーデンの国民の自主性に任せながら免疫力が高まるのを待つという政策の対比が話題になっていました。しかし、この一年の傾向を見ると、ドイツとスウェーデンでは人口百万人当たりの一週間の新規死者数では2,000人程度であまり変わりはありません。米国や英国はそれが3,000人と高水準が続いています

一方、今年になって急速に悪化したのが韓国で、百万人当たりの一週間の新規死者数が昨年末は80人程度だったものが最近は600人にまで増えています。日本の場合も昨年末150人程度だったものが最近は400人のレベルまで増えています。要するに、日本や韓国は昨年までは感染者数も死亡者数も国際的には優等生であった数字が、急激な悪化の傾向が見られるということです。それは免疫力がまだ弱いためであると言われています。

それらと対照的なのは中国です。中国の百万人当たり一週間の新規死者数はずっと4人以内にとどまっています。習近平さんは中国のコロナ制圧の成功を国民に宣伝できる根拠がここにあります。しかし、ゼロコロナを守るために、驚くべき行動制限が、また非人間的ともいえる行動制限が課せられ、それが最近の不満を呼び起こしています。現実には、経済が大きな打撃を受けて、失業者数の急増につながっています。

ただ、中国の場合自国製ワクチンの効能も低いと言われている中で、自国産に固執していますから、今後急速に感染が広がる可能性もあります。

民主主義を守ることの難しさが話題になっています。それは無政府状態と独裁政治との間にある狭い回廊を綱渡りのようなバランスを保ちながら達成できるものだと言われています。

中国の場合の現在の問題は、自国民に向けて宣伝し続けているコロナ対応成功体験をひっこめることができなくなっていることです。独裁的な政権は、自分の過ちを認めることが命取りになる場合があります。

箴言16章2、3節には次のように記されています

人は自分の行いがみな純粋に見える。

しかし、主 (ヤハウェ) は人の霊の値打ちを量られる。

あなたのわざを主 (ヤハウェ) にゆだねよ。

そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。

人は、いつも自分の思いを絶対化したい、自分こそは純粋な思いで世の中を見てるという思いになります。それは独裁者だけの問題ではありません。聖書の神を知るとは、人間の知恵の限界に謙遜になることです。

コロナを管理できると思うことで、中国は危ないところに置かれているのかもしれません。私たちも、自分が描く勝利の方程式に固執しないような謙遜さが必要でしょう。ただ、同時に、自分の行動の純粋さをまったく主張できない人も問題ではあります。そのような自尊心のない人には仕事を任せることはできません。自分の心の動機の純粋さをある程度主張できるような自負心は本当に大切ですが、そこにある落とし穴をこの箴言のことばは言っています。

今日の話では、ボール支配率が82パーセントを超えたスペインが日本に負けたこと中国のゼロコロナ政策の矛盾を合わせて、そこから学ばせていただきました。