大企業や官僚組織では、人脈を作り、保つことが大切にされます。影響力のある上司につながっていることには得点があります。私の会社時代にも、私に目をかけてくださった上司の二人が後に副社長にまでなっています。私がドイツ留学に派遣してもらえたのも、そのうちの一人のおかげだと思っています。
また退職の前には別の一人から、「会社は君のために大きな投資をしてきた。それが無駄になるではないか……君が望む部署に転勤させてあげる……」と言われ、一瞬、心が揺らいだことがあります。しかしそのときふと、「それは無駄にはなりません。僕はより広く社会のために働きます。すると会社は僕を通して社会投資をしたことになるではないですか⋯⋯」と、まさに聖霊の導きで堂々と言えました。そのように答えられたことは、僕の牧会生活の原点になっています。
人から、また組織から受けた御恩の背後に、すべてを支配する全能の主がおられます。その主が、人や組織を使って、あなたに恵みを施してくださったのです。受けた恩のゆえに、人や組織の奴隷になるということは決してあってはなりません。私たちは誰かから特別な恵みを受けるたびに、「あなたの主人は誰なのか」という問いかけがあることを忘れてはなりません。
1.「その日、人は自分を造った方に目を留め、その目はイスラエルの聖なる方を見る」
17章はアラム王国の首都であった「ダマスコに対する宣告」から始まります。まず、「ダマスコは取り去られて都でなくなり、瓦礫の山となる。アロエルの町々は捨てられて、家畜の群れのものとなる……要塞がエフライムから失われる。王国がダマスコから……」(1-3節) と記されます。
「アロエルの町々」とはどこを指すのか諸説がありますが、Ⅱ列王記10章33節では、アラムの最盛期を築いた王ハザエルの支配地が「アルノン川のほとりにあるアロエル」まで及んでいたと記されていることから見ると、「王国(の支配)がダマスコから失われる」ことの象徴的な表現とも言えます。
そのアロエルはルベン族の支配地の最南端、モアブとの国境の町でした。それはアッシリア帝国の攻撃によって、北王国の中心のエフライムから要塞が失われるとともに、アラムの首都ダマスコの支配地が失われることを指しています。
これは、ユダの王アハズが、アラム、イスラエル連合を恐れてアッシリアと手を結んだことへの答えと言えます (7章参照)。預言者イザヤは、そのような人間的な外交政策で国を守ろうとする姿勢を非難し続けていました (7:4)。
17章3節後半の「アラムの残った者は、イスラエルの子らの栄光のようになる」とは、アラムと北王国イスラエルが同じように「栄光」を失うことを指しています。そのことが「その日、ヤコブの栄光は衰え、その肥えた肉は痩せ細る」と記されます (4節)。
さらに5、6節は翻訳も解釈も極めて困難ですが、イスラエルの収穫物が落ち穂を拾う程度にしか残されないことを意味すると思われます。なお「レファイムの谷」とはエルサレムの南の穀倉地帯で、そこではエルサレムの住民が飢えのために落ち穂ひろいをせざるを得ない状況にまで貧しくなることを指していると思われます。それらはすべて北王国イスラエルと南王国ユダの双方が極貧の状態に落とされ「取り残しの実」のようなわずかな民しか残されないことを指しています。
7、8節の表現は感動的で、「その日、人(アダム)は自分を造った方に目を留め、その目はイスラエルの聖なる方を見る。そして彼は、自分の手で造った祭壇に目を留めない。また、自分の指で造った物は見ない、アシュラ像や香の台などは」と記されます。
そこでは「目を留め」また「見る」ということばが対照的に繰り返され、その対象が決定的に変えられることを意味します。人はそのとき、自分の目では見えないはずの創造主に心の目を向ける一方で、目に見えるばかりか自分の手で造ったはずの祭壇や偶像から心が離れることになるという驚くべき変化が生まれるというのです。本来、人は自分が造った物を何よりも大切にするはずですが、目に見える祭壇や偶像が何の役にも立たないと分かったからです。
一方「その日」(17:9) には、「その堅固な町々は、森の中の見捨てられた場所、かつてイスラエル人によって見捨てられた山の頂のようになって、荒れ果てる」というのです。これは3節で「要塞がエフライムから失われる」と記されていたことがさらに詳しく描写されたものと言えましょう。
そしてその理由が「あなたが救いの神を忘れたから、あなたの力の岩を覚えていなかったから」と説明されます (17:10)。そればかりか10節後半から11節では、より豊かな収穫を期待する働きがすべて無駄になるようすが描かれます。
多くの人々は目の前の問題解決を目に見える人間関係や目先の努力によって解決することに忙しくなり、この地上のすべてを支配しておられる創造主を忘れてしまいがちです。しかし、具体的な対策に走る前に、アダムの子孫である私たちは、「自分を造った方に目を留め」、その心の目で「イスラエルの聖なる方を見る」ことこそが何よりも大切です。
そのことが後に、「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」(30:15) と簡潔に勧められています。
2.「背が高く肌のなめらかな民⋯⋯から⋯⋯万軍の主 (ヤハウェ) のために贈り物が運ばれて来る」
17章12、13節では、アッシリアの王に率いられた連合軍の恐怖が、「ああ(災いだ)、多くの国々の民のざわめきよ。彼らは海のざわめきのようにざわめいている。(ああ)国民(くにたみ)のどよめきよ。彼らは激流のどよめきのようにどよめいている。国民(くにたみ)は、大水のどよめきのようにどよめいている」とまず描かれています。
それは迫り来る恐怖を大海や激流に例えて描きながら、それを「ああ」と呪う意味です。
それがその直後に、その連合軍の力が見掛け倒しの「張り子の虎」に過ぎないことが、「しかしそれは、叱りつけると遠くへ逃げる。彼らは吹き飛ばされる、山の上で風に吹かれる籾殻のように、つむじ風の前でうず巻くちりのように」と描かれます。アッシリア連合軍は、「主 (ヤハウェ) の𠮟責」で「吹き飛ばされる」存在にすぎません。
そこでの目に見える驚くべき変化が14節では、「夕暮れには、見よ。突然の恐怖。夜明け前に彼らはいなくなる。これこそ、私たちから奪い取る者たちの取り分……かすめ奪う者たちが受け取る割り当て」と記されます。
これは後に彼らがエルサレムを攻撃した時、夜の間に御使いが「アッシリアの陣営で185、000人を打ち殺し……翌朝……死体となっていた」(37:36) という形で成就することになります。
18章1節は17章12節と同じ「ああ(災いだ)」という嘆き、または「呪い」のことばから始まります。新改訳での「羽コオロギの国」とは、聖書協会共同訳では「高い羽音を立てている国」と訳されており、そちらの方が原文のイメージを表します。それは強く見えても、忙しく羽をうならせる昆虫のような弱い国という意味です。
その地は「クシュ」と呼ばれ、現在のスーダンやエチオピアを指します。そこは「クシュの幾多の川のかなたにある」と世界の最南端をイメージさせます。なお、紀元前780年~656年のエジプト第25王朝の時代には、現代のスーダンにある都市ナパタの王朝がエジプト北部までも支配して、アッシリアと衝突する状態にありました。その「ナパタ王朝」が当時は、「クシュ」またはエチオピアとも呼ばれていました。
18章2節は、そのクシュ王国が、「背が高く肌の滑らかな国民のところ、また、あちこちで恐れられている民」に向かって「すばやい使者」を送るとも解釈できますが、それがどこの国を指すかは明らかにされていません。
その国は「その国土を多くの川が分けている、力強い、踏みにじる国」であると描かれているだけです。その目的は、より強い国と連合することで自分たちの国をより安定させ、繫栄させることにあります。
一方、2節の前半を、クシュ王国が自分の使者を「パピルスの船を水に浮かべて、海路(ナイル川)」を使って、エルサレムに送ってきたと考えることができるかもしれません。
その際、後半の「行け、すばやい使者よ」ということばは、「エルサレムがその返答としてクシュに使者を送り返す」ことへの皮肉とも解釈できます。その際は「背が高く肌の滑らかな国民」とは「クシュ(エチオピア)」を指すことになります。
その場合、エルサレムがエチオピアと手を結ぶことの愚かさが描かれているという意味になります。どちらの解釈でも、国々が合従連衡によってアッシリアの脅威に対抗しようとすることの無意味さを描いたことでは同じです。
そのような状況下でイザヤは、「世界のすべての住民よ。地に住むすべての者よ。山々に旗が上がるときは見よ。角笛が吹き鳴らされるときは聞け。主 (ヤハウェ) が私にこう言われたからだ」(18:3、4) と、「世界のすべて住民」に向けて語ります。
それは目に見えない神からのしるしを「見る」こと、また耳には聞こえない神からの語りかけを「聞く」ことの勧めで、戦いの開始のしるしとしての「旗」や「角笛」の背後にある主のご意思(みこころ)に注目するようにという意味です。
そして主が語られた内容が、「わたしは静まり、わたしのところから眺める。照りつける日差しの暑さのように、刈り入れ時の暑さの中の雨雲のように」と記されます (18:4)。それは先にあった「高い羽音を立てて」動き回る国とは対照的な主の「静けさ」や「凝視」の中にある「恐ろしさ」を覚えさせるためです。
中東においては「照り付ける日差し」は多くの人にとって耐えがたい苦しみですし、「刈り入れ時の雨雲」はせっかくの収穫の喜びを無にしてしまいます。
さらに18章5、6節ではその「刈り入れ」のイメージから進んで、「ぶどう」の実を生まなかった「枝」や「つる」が切り取られ「投げ捨てられ」て、「猛禽や野獣」の役にしか立たないものとされると描かれます。
それは世の終わりの神のさばきのときを指しますが、7節ではそのときになると、先の軍事力を誇っていた、「背が高く肌のなめらかな民、あちこちで恐れられている民……強い踏みにじる国民」(18:2と同じ) の側から、「万軍の主 (ヤハウェ) の名のある……シオンの山」のエルサレム神殿へと、「万軍の主 (ヤハウェ) のために贈り物が運ばれてくる」という大逆転が約束されます。
つまり、イスラエルの神こそ歴史の支配者であられ、またその住まいであるエルサレム神殿こそが世界の中心であるということがやがて明らかになるというのです。
ユダ王国も北王国イスラエルも、南のエジプトと北のアッシリアやバビロンという超大国に挟まれ、大国の顔色を見ながら国の独立を図るという政策を続けていました。
これは現代の多くの人にも当てはまることでしょう。仕事の上で人との協力関係を築くことは何よりも大切ですが、私たちはその中で、さらに大切なことを忘れてはなりません。それは、主 (ヤハウェ) こそが、すべての権威のみなもとであるということです。
人との関係を築く能力も私たちにとっての愚かな誇りとなり得ます。目に見えない全能の神のご支配の現実を「見る」こと、またその御声を「聞く」ことこそが、何よりも大切です。
そのために必要なのは、忙しさの中でも、一人静まる時間を持つことです。私たちの信仰は、孤独の中でこそ養われるという面があります。
3.「その日、エジプトからアッシリアへの大路ができ……ともに主に仕える」
19章、20章は「エジプトについての宣告」です。最初に、「見よ。主 (ヤハウェ) は早い密雲に乗ってエジプトに来られる」(19:1) と描かれます。「密雲」は主の栄光を表しますが、ここでは主の栄光が人々の期待をはるかに上回る短期間のうちに異教徒の伝統国家エジプトに現わされるという意味です。
そのとき「エジプトの偽りの神々はその前にわななき、エジプト人の心も真底から萎える」と記されます。ここでは「エジプト」という名前が敢えて何度も繰り返されることで、主のみわざが意外な地に示されることが強調されます。
そこで主 (ヤハウェ) は、「わたしは、エジプト人を駆り立てて、エジプト人にはむかわせる」(19:2) と言われます。実際、これ以降のエジプトは内戦によって国力を落とします。その結果が、「エジプトの霊はその中で衰え果てる」(19:3) と、世界最古の文明の誇りの失墜が描かれます。
しかもそこでの主 (ヤハウェ) のさばきが、「わたしがその計画をかき乱すと、彼らは偽りの神々や死霊、霊媒や口寄せに伺いを立てる」(19:3) と記されます。彼らはピラミッドに象徴される死者崇拝を大切にしましたが、国が没落し始めると現実逃避を促すようなスピリチュアリズムが横行したようです。それこそ、国を自滅に向かわせる主のさばきです。
さらに19章4節で主 (ヤハウェ) は、「わたしは、エジプト人を厳しい主人の手に引き渡す。力ある王が彼らを治める」と描かれます。これは、この後エジプトが、アッシリアの王に屈服するばかりか、ペルシア、ギリシャ、ローマの支配下に入ることを示唆します。その背後にイスラエルの神、主 (ヤハウェ) のご支配があることを覚えるべきです。主 (ヤハウェ) こそ、国々の上におられる真の王だからです。
そのような政治的な混乱と並行するような被造世界の混乱が、「海の水は乾き、川は干上がり、涸れる」(19:5) と描かれます。これは地中海に接するナイルデルタが干上がることを指しています。
さらに「多くの運河が臭くなり」(19:6) と描かれるのは、ナイル川の水量が極端に少なくなる中で、人工的に作られた運河がかえって人々に害をもたらす皮肉が描かれたものとも言えましょう。
そのような中で19章8~10節ではナイル川の豊かさで生計を立てていた漁師や織物の職人たちの嘆きが激しくなります。それはエジプトの富の源が枯れるからです。
19章11節は「全く愚か者だ」という表現から始まり、それが「ツォアンの首長たち」と言われます。彼らはナイル河口デルタ北東部の都市タニスの支配者で、北からの侵略への備えの責任を担っていました。
そこでは、さらに皮肉を込めて、「知恵あるファラオの助言者たちも愚かなはかりごとをめぐらす」と記されます。彼らは血筋によって「私は知恵ある者の子、昔の王たちの子です」と誇っていますが、国際情勢の変化に対応する「知恵」を持ってはいません。それは現代の日本の二世政治家にも当てはまるかもしれません。
12節では、「いったいどこにいるのか、あなたの知恵ある者たちは。彼らがあなたに告げ、知らせればよい、万軍の主 (ヤハウェ) がエジプトに何を計画されたかを」という皮肉が述べられます。
彼らは伝統的な「知恵」を誇りながら、全世界の「万軍の主 (ヤハウェ) 」に関しての真の「知恵」を持ち合わせてはいません。
さらに19章13節では、「メンフィス」というナイル川下流の伝統的なエジプトの首都の名が記されながら、エジプトの中での政治の混乱が続けて描かれます。
ただそこで驚くべき表現として、「主 (ヤハウェ) が、彼ら(諸族のかしらたち)の中に、混乱の霊を吹き入れられたので、彼らは、そのあらゆる行いによってエジプトを迷わせる」と記されます (19:14)。イスラエルの神を知ろうとしない者には、「混乱の霊」が注がれてさらに混乱が加速されるというのです。
これと同じ悲劇が日本の中でも起こっていると思わされることがあります。主のご支配の中で「混乱の霊」の働きがあるということは、その混乱を人間的な知恵で鎮めようとする前に、混乱のただ中で、主 (ヤハウェ) の御前に静まることを優先すべきという勧めと理解できましょう。
19章16節では、「その日」ということばとともに、「エジプト人は女のようになり、恐れおののく、万軍の主 (ヤハウェ) の御手の前に」と描かれます。
その結果が、「ユダの地はエジプトにとって恐怖となる」と記されます。世界最古の国家が、当時の小国ユダを恐れるようになるというのは何とも不思議なことです。それはエルサレムこそが「万軍の主 (ヤハウェ) 」の「住まい」であったからです (詩篇132:13)。
さらに18節でも「その日」ということばとともに、エジプトにおいて、彼らが軽蔑するカナン語が五つの町で話されるようになり、そこではイスラエルの神「主 (ヤハウェ) に誓い」が立てられるばかりか、その一つの町は、イル・ハヘレス(滅びの町)と呼ばれるようになると描かれます。
さらに19節でも再び「その日」ということばとともに、「エジプトの地の真ん中には主 (ヤハウェ) のために一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには主 (ヤハウェ) のために一つの石の柱が立てられ」と記されます。それは、エジプトが主 (ヤハウェ) を礼拝する国になるというのです。これは、日本で言えば、宗教的な伝統と慣習に縛られた天皇家がクリスチャンになるというようなものです。
19章20b、21節ではそのようなことが起きる経緯が「彼らが虐げられて主 (ヤハウェ) に叫ぶと、主は彼らのために戦い、彼らを救い出す救い主を送られる。そのようにして主 (ヤハウェ) はエジプト人にご自分を示し、その日、エジプト人は主 (ヤハウェ) を知る」と描かれます。これは伝統文化に安住する彼らの誇りを打ち砕き、主にすがらざるを得なくなるという状況を作ることを意味します。
それをまとめるように22節では、「主 (ヤハウェ) はエジプト人を打ち、打って彼らを癒される。彼らが主 (ヤハウェ) に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らを癒される」と記されます。これはイスラエルを取り扱う主のみわざと同じ表現と言えましょう。この「エジプト人」を「日本人」と読み替えると、同じく伝統を誇る日本人のための救いが見えてきます。
聖書に描かれる「主のさばき」には多くの場合、その人を神に立ち返らせようとする「あわれみ」があります。
19章23、24節の表現は感動的で、「その日、エジプトからアッシリアへの大路ができ、アッシリア人はエジプトに、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人はアッシリア人とともに(主に)仕える。その日、イスラエルはエジプトとアッシリアに並と並ぶ第三のものとなり、大地の真ん中で祝福を受ける」と描かれます。
これは勢力争いが続く当時の世界に、同じ主を礼拝することによる完全な平和が実現することであるとともに、二つの超大国にはさまれて苦しんでいたイスラエルこそが世界の中心となるという意味です。
20章では紀元前711年にアッシリア帝国がペリシテ人の地アシュドテを征服したときのことが描かれています。不思議にも主 (ヤハウェ) は預言者イザヤに、「行って、あなたの腰の粗布を解き、あなたの足の履物を脱げ」(20:2) と命じられます。これはエジプトに訪れる悲劇を、動作で現わさせるためです。
その期間が「三年間」であるとは長すぎるように感じられますが、断続的に必要に応じてそうしたとも解釈できます。
そして、「アッシリアの王はエジプトの捕虜とクシュの捕囚の民を……裸足のまま、尻をあらわにして、エジプトの恥をさらしたまま連れてゆく」と描かれます (20:4)。紀元前671年にアッシリア軍はエジプトの中心都市メンフィスを占領しますが、この預言がその時に成就したとも解釈できます。
なおこの時のエジプト王朝は、クシュの支配下にありましたので、「人々は打ちのめされ、また恥を見る、それはクシュを頼みとし、エジプトを誇りとしていたゆえである」と記されます (20:5)。
そして再び「その日」という表現とともに、「この海辺の住民」が、「見よ、われわれの拠り所がこの始末だ……われわれは、どうして助かることができるだろうか」と自問自答するというのです (20:6)。
興味深いことに、ミカ書5章では「救い主の誕生」がベツレヘムであると預言されながら (2節)、その救い主の働きが、「アッシリアが私たちに国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は私たちをアッシリアから救い出す」(6節) と描かれていることです。
エジプトは人をアッシリアから救い出すことはできません。救いはただイスラエルの神、主 (ヤハウェ) によって実現します。それは私たちの周りにいるアッシリアのような傲慢で横暴な者からの救いすべてに適用できます。
私たちのまわりにも「知恵」に満ちた人がいます。しかし、主 (ヤハウェ) を知らない彼らこそ、最も大切な人生の真理に無知なのです。
主は、預言者エレミヤを通して、エジプトとバビロンの間で揺れ動くユダの人々に対して、「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。力ある者は自分の力を誇るな。富ある者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを」(エレミヤ9:23、24) と言われました。
この世の生活では、豊かな人脈を持っていることが何よりの財産であるとも言えますが、そこには人を滅私奉公やまた違法行為にも手を染めさせる誘惑があります。「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。人間の奴隷となってはいけません」(Ⅰコリント7:23) ということばをいつも味わうべきでしょう。
ただし、敵対し合う権力者に二股をかけるということは、神と人との前に恥ずべきことです。人からの恩や親切に心から感謝し続けながら、同時に、その背後におられる主を仰ぎ見て、自由に生きるという知恵が私たちに求められています。
全能の主を知っていることが何よりの誇りとなることを覚えましょう。