日本の内閣改造と統一協会問題が以前として話題になっていますが、多くのヨーロッパ諸国では政治と宗教は不思議な関係の中にあります。ある面で、共有できる伝統的な価値観があって初めて、一部の宗教をカルト的と批判できます。しかし、この日本で、ある宗教をカルトと呼ぶときの基準はどこにあるのでしょうか。注意しないと、政治にカルトの取り締まりを期待することは、信仰者が自分で自分の首を絞めることにつながります。
その中でも特に興味深いのは英国の君主の立場です。現在もエリザベス女王には、宗教的に明確な立場があります。それが、「Defender of the Faith and Supreme Governor of the Church of England」(信仰の擁護者、イングランド国教会の最高監督者)というものです。
たとえば、イングランド国教会は世界各地にアングリカンチャーチと呼ばれる教会を建てており、日本では聖公会と呼ばれますが、約10年に一度の世界的な会議をロンドンのランベス宮殿で開いてきました。最近はカンタベリー教会というところで開かれていますが、2年間延期されていたランベス会議が今年7月31日から8月7日まで一週間余り開かれていました。
エリザベス女王は、イングランド教会首長として、今年は以下のようなメッセージを送っていました。 でご覧いただけます。
今回は、コロナやロシアのウクライナ侵攻の話題は述べず、世界的な気候変動に対しての関心を述べていました。それは気候変動によって最も大きな被害を受けるのは、世界中の貧しい人々であるという観点からでした。
その最後の彼女の証しは、とっても分かりやすいものでした
Throughout my life, the message and teachings of Christ have been my guide and in them I find hope. It is my heartfelt prayer that you will continue to be sustained by your faith in times of trial and encouraged by hope at times of despair.
私の人生を通して、キリストのメッセージと教えは、私を導いており、そこに私は希望を見出してきました。私の心の底からの祈りとは、あなたがたが試練の中でその信仰によって支えられ続けることであり、絶望的なときにも希望によって励ましを受けることです
本当に簡潔な中にも、人々の心の内側にある信仰を励ます、優しい表現で、とっても教えられます。ぜひ、英語で味わってみてください。
日本は明治維新以降、英国の王政に倣おうとした面があります。それが戦前は、天皇を国家神道の最高司祭とする形になり、戦後は、国民全体に寄り添い、希望を与え、人々の心をまとめる象徴としての働きになっています。
戦後の日本は、戦前の反省から、宗教と政治の役割を完全に分離することを大切にしてきましたが、英国の女王のことばにもあるように信仰を抜きに、希望を語ることは非常に困難なことです。
私たちの信仰は、必然的に、この世のできごとに関りを持つものですし、そこに政治的な発言が生まれざるを得ません。
ただ、私たち自由教会は、政治と宗教が深く結びついた国教会制度を否定して、そこから抜け出してきた信仰者の流れです。ですから、政治信条の違いを徹底的に尊重しながらも、同時に、政治に対する関心を深め、発言するべきところで発言して行く必要があります。
英国では、女王が政治的な立場の違いに徹底的に配慮しながらも、自分の宗教的な確信を述べることは歓迎されます。でも、日本の天皇にはそれは許されません。
英国も不思議なバランスの上に立っていますが、天皇制をいだく日本も、同じように微妙なバランスを保つ必要があります。
そこで私たちに問われるのは、自分の信仰的なまた政治的な確信を正直に述べながらも、決してそこに違った見解を持つ人への棘(とげ)を含まないということです。その点で、私自身も反省しなければいけないことが多々あります。
互いの違いを尊重しながら、優しく自分の意見を述べるには、本当に全能の神の知恵を求める必要があります。
その祈りが、詩篇19篇14節では以下のように記されています
私の口のことばと 私の心の思いとが
御前に受け入れられますように。
主 (ヤハウェ) わが岩 わが贖い主よ
ランベス会議に閉会礼拝の音楽がとっても興味深いものでした。アングリカンチャーチは非常に伝統的な音楽を大切にしてきましたが、そこに打楽器や電子音楽が入ってきています。
とくに感動的だったのは、詩篇19篇をもとにした Let my words and my meditation という曲でした。この閉会礼拝の1時間29分ごろからお聞きいただけます