「世界の終わり」預言の読み方

感染症が再拡大し、ロシアのウクライナ攻撃も止むことなく、国内では安倍元首相が銃撃に倒れ、新興宗教の恐ろしさが話題になっています。ある意味で、「世界の終わり」と思える状況があります。

しかし、長らく宗教改革者マルティン・ルターのことばと言われていた以下の告白が私たちにとっての慰めとなります

もし明日、世界が滅亡すると分かっていたとしても、私は今日、リンゴの木を植えよう

最近になり、このことばはルター由来と言うよりもドイツの第二次大戦末期の1944年に生まれたという解釈が定説になっています。まさに、ドイツ帝国の滅亡の中で、ドイツ人たちが戦後復興を視野に入れた希望を語っていたということのようです。

マタイによる福音書24章には、「世の終わり」に関する預言が記されています。ただ、丁寧に読むと、それはエルサレム神殿の崩壊に至る当時のイスラエルの現状が書いてあることが分かります。それは、確かに、最終的には世界の終わりに関しての預言ではあるのですが、同時に、当時のユダヤ人国家の滅亡を語る物
でもありました。

ですから、いわゆる終末預言は、最終的なキリストの再臨のことと同時に、この世界に繰り返し起る、悲惨な状況への対処を語っているとも言えます。

しかも、誤解してはならないのは、聖書的な「世の終わり」とは、世界が無くなる時ではなく「新しい天と新しい地」にシャローム(平和)が完成するときです。私たちの教会のヴィジョンは「新しい創造を ここで喜び シャロームを待ち望む」です。それが New Creation : hope for the Shalom というロゴになっています。


それをもとに以下のような新しい賛美が生まれています。以下でお聞きいただけます

先にルターのことばと言われたのが、違うと言われるようになったのは、ルターにとっての世の終わりとは、世界の「滅亡 (Untergang)」ということばではなく、キリストの再臨による新しい世界の創造を指していたからです。でも、言葉遣いは違っても、ルターが言いたかったことをそのことばが現していることも確かです。私たちはこの世からの逃避という意味での天国を目指すのではなく、この世界に神の愛が広がり、それがやがて完成するという意味でのシャローム(平和、平安、繁栄)を待ち望んでいるからです。

私たちはこの世界に神の愛を広げるために召されているのです。そこで私たちは、今日、リンゴの木を植える代わりに、「愛の種蒔き」をするよに召されています。

それを前提に使徒パウロは次のように語っています

私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから
Ⅰコリント15:58

それはキリストの復活によって保障された約束です。キリストの十字架と復活から、世界はすでにシャローム(平和)の完成に向かっていることを覚えたいと思います。ただ同時に、そこでは、その平和が完成する直前の世界が最も暗くなるということも事実です。それは、日本の戦後の復興と平和の直前に、沖縄戦の悲惨、東京大空襲、原爆投下があったのと似ています

キリスト者は、世界が暗くなるなかでも、そこに神の新しい創造のみわざを発見し、希望を持つことができます。