「おまえたちは神々だ」政治指導者のための祈り——Sting Russians〜詩篇82篇

安倍元首相の非業の死から約2週間が経ちます。

ただ、心が痛むのは、そのあまりにも悲しい死に方を前に、悲しむ間もなく、統一協会との癒着や国葬の話しばかりに焦点が当たって、民主主義における指導者の役割や危険に目が向かわなくなっていると思われることです。

私たちの教会には、かつての安倍政権に極めて批判的な人々と、極めて好意的な方々の両方が集まっています。政治的な見解において水と油の関係の人々がともに礼拝できていること自体がすばらしいことです。

詩篇82篇には、「神は……神々のただ中でさばきを下す」(1節) とは不思議な表現があります。これは文脈からすると、「神々」とはイスラエルの指導者たちを指しているのは明らかです。それゆえ2、3節では、「いつまで おまえたちは不正をもってさばき 悪しき者たちの味方をするのか。弱い者とみなしごのためにさばき 苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ」と、彼らに対する叱責と期待が記されます。

その上で改めて神ご自身が、民の指導者たちに向かって、「おまえたちは神々だ。みな いと高き者の子らだ。にもかかわらず おまえたちは人のように死に、君主たちのひとりのように倒れるのだ」と言われます (6、7節)。エゼキエル34章でも、「イスラエルの牧者たち」(1節) と呼ばれた者たちが羊を踏みつけていることが非難されました。つまり、神はイスラエルの指導者をご自身の代理の「神々」と呼びながら、神のお気持ちに沿って、民を治めることを期待しておられたというのです。

このことは、イスラエルの指導者のみならず、日本の政治指導者にも適用できることです。神は権力を握っている政治指導者を格別に厳しくさばかれます。政治指導者は、その意味で、非常に危険な場に立っています。

しかも、二千数百年前のアテネの民主主義が自滅したことを思い起す必要があります。アテネでは、ペルシアとの戦争などを主導した有能な政治家が、力を持つと、人々の妬みを買い、次から次ぎと有能な政治家が、陶片追放によって排除されて行きました。その結果、アテネは衆愚政治によって自滅しました。同じことが今も起きるかもしれません。

政治指導者は、厳しい神のさばきと、人々の妬みや不満を一身に引き受けなければならないのです。本当に、孤独で危険な立場に置かれています。

ですから、使徒パウロは、「すべての人のため、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです」(Ⅰテモテ2:1、2) と記しています。

政治指導者の批判なら、誰でもできます。事実、どの政治指導者も欠けだらけで、批判される理由に事欠きません。しかし、政権の安定がなければ、私たちが「平安で落ち着いた生活を送る」ことはできなくなります。

この近年、政治における意見の対立がますます先鋭化し、価値観の二極化が起きています。SNSの普及で、対立関係の火に、油が注がれ続けています。しかし、たとえば、かつての安倍政権を全否定することは、彼を応援した人々の存在の知性や判断力も否定することにつながるということを忘れてはなりません。民主主義では、一人の政治家を否定することは、その人を応援した人をも否定することになりかねません。ですから、政治家の批判には節度が必要です。そうでないと、他の意見を抱擁するという民主主義の基本が成り立たなくなります。

英国の Sting という方が 1985年に作った「ロシア人」という歌があります。当時の冷戦下で、共産主義圏に住む人々をあわれんだり軽蔑したりする雰囲気があった中で、ロシア人の日常生活は私たちと何も変わりはしない、彼らもみな自分たちの子どもを愛しているんだ……オッペンハイマーが作ったおもちゃ(核爆弾)で、戦争を止めようなどという発想をやめようと訴えています。

以下で日本語の訳がついた曲を味わうことができます。ロシアのウクライナ侵攻を前提に Sting もロシアの反戦運動を助けるためにこの曲をSNSに載せていますが、以下のビデオは昔のものです。

政治指導者に対する批判が行き過ぎると、民主主義の基本が崩れます。それはその政治指導者を応援していた無数の人々の判断力や知性を否定することにつながるからです。もちろん、健徳的な批判はいつも必要です、そして反対論を述べることも徹底的に保護される必要があります。

安倍氏の非業な死を巡っての議論が、もっと政治権力者に対する暖かいまなざしを生み出すことになることを心より願っています。