日本の競争力の衰え〜ルカ19章ミナのたとえ

スイスの国際的なビジネススクールIMD(国際経営開発研究所)が2022年度の「IMD世界競争力年鑑」を発表しました。評価対象となった63カ国・地域のです。

IMDによると、国際競争力の高い今年の上位10か国・地域は、(1) デンマーク、(2) スイス、(3) シンガポール、(4) スウェーデン、(5) 香港、(6) オランダ、(7) 台湾、(8) フィンランド、(9) ノルウェー、(10) 米国の順で、中国は17位、韓国は27位でした。

その中で、何と日本は過去最低水準の34位に過ぎませんでした。測定の基準は、「経済状況(経済パフォーマンス)」、「政府の効率性」、「ビジネスの効率性」、「インフラ」の4大項目です。

日本のデジタル化の遅れがこの順位を下げる一番の要因になっていると思われます。ただ、日本は1989年から四年間連続一位であったというのですから、その凋落ぶりは驚くべきことです。

それは1990年のバブル経済崩壊後、日本人はあらゆる面でリスクを回避するように変わってしまったせいと言えましょう。皮肉にも、利回りなどから見ると、誰の目にも株式投資が一番、安定的な収益を確保できるはずなのに(東証1部平均利回り2%は歴史的な高水準)、それでも、みなリスクを恐れて、株に見向きもしません。

ルカの福音書19章にはミナのたとえというのがあります。あるとき王になる候補者が、王としての認可を受けるために遠くに旅をします。その際、10人のしもべに1ミナ(100日分の給与に相当)ずつ預けます。あるしもべは、それを10倍に増やし、もう一人は5倍に増やしました。これは現代的に言えば、短期間に100万円を一千万円に増やしたり、500万円に増やしたということです。

今から二千年前にはFXも株もありません。商業取引で10倍に増やしたのでしょう。その鍵は、何よりも、一人一人の必要に敏感になることです。希少なものを、それを切望する人に売れるときに大きな利益が出ますが、そこには必ず大きなリスクがあります。仕入れたものが、人々から評価されないことだってあります。十倍にできたということは十分の一になるリスクもあったということです。

ただ、このたとえで、主人から厳しい叱責を受けるのは、リスクを取ろうとしなかった人です。その人は、預けた一ミナも取り上げられて、王になることに反対していた人々と共にさばきを受けたと推測されます。

このたとえを聞くと、多くの日本人は、残りの七人の中には、商売で失敗した人もいなかったのですか……と尋ねてきます。しかし、たとえの中心は、一ミナを眠らせて、投資しようとしなかった人が、主人の寛容さを信じていなかったことにあります。失敗は許されるのですが、主人をけち臭い、横暴な人だと思って、リスクを犯せなかった人が厳しいさばきを受けるのです。失敗した人は、主人を信頼していたということで、もともとさばきの対象にはなり得ません。国際競争力の高い国は、失敗に寛容な国でもあります。

現代の多くの日本人は、失敗することを極端に恐れます。それは、社会全体が失敗を厳しい目で見るからです。日本が技術革新の波から遅れるのは、責任を負って決断できる人が少ないからです。官僚組織は、誰が責任者であるかが見えないような仕組みになっていますから、みんなが一致できるまで、変化は起きません。

そのような中で、組織を活性化することができる人は、「傷つく力」を持っている人です。辱めに耐える力を持っている人です。ただ、これが意外にも、繊細な人であることと矛盾はしません。新しいことを生み出せる人は、しばしば、みんなと違った発想ができる感受性豊かな人です。実は、そのような人は、とっても傷つきやすい人である場合が多いのです。苦しまないと、新しいことをしようという動機も生まれません。

私たちは、自分が傷つくことや、恥を負うことを恐れますが、それこそが、技術革新や、創造性が生まれる場となります。

今、「心が傷つきやすい人への福音」という本を、ほとんど書き終えたところです。250頁ぐらいになる予定です。その最後に引用した米国の社会学者の話しがあります。それぞれ20分間のビデオですが、日本語訳もついています。これを聞きながら、「心が傷つくこと」「恥を負うこと」にある創造性に改めて目が開かれました。とってもとっても面白い、女性教授の話しです。ぜひ、ぜひ、時間を取って開いてみてください。(お子さんの英語の勉強にもなります)

ご自分の傷つきやすさや敏感さをみなおすきっかけになります