ウクライナのうめき——御霊のうめき

2月24日のロシアによる大規模なウクライナ侵攻が始まって100日が経ちましたが、戦争の悲惨さがいろんな形で報道されています。

以下は最新版のニューズウーク日本語版の を無料で閲覧できるものですが、これを読みながら、改めて現地の悲惨が伝わってきました。

ウクライナ東部は2014年から実質的なロシアの支配地になっていますが、そこから強制的に招集された数名の若者が、マリウポリ包囲に遣わされながら、一時的に、ウクライナ人保護のために動くことができました。それによってロシアの上官がウクライナの民間人に人道的な配慮をすることができました。彼らはマリウポリの病院を守るために貢献でき、まさにその友人となったのですが、その後、病院を守るウクライナの若者たちによって、誤って射殺されます。みんな、すばらしい善意で動いていながら、戦争という異常事態が、愛すべき人を誤って殺すという悲惨を生み出します。

ただ同時に、そこで神はキリストの十字架のゆえに、私たちの過ちを赦してくださいます。同時に一人一人の心の動機を正しく評価してくださり、この世では無駄になったと思える労苦を生かして新しい世界を開いてくださいます。私たちの労苦はキリストのうちにあって、決して無駄になることはありません (Ⅰコリント15章58節)。

また以下は、CGNTVでの国際飢餓対策機構総主事(ハンガーゼロ)の近藤さんのインタビュー番組です。近藤さんはつい先日、ウクライナ国境に近いポーランドを訪ねて来られました。ウクライナのオデッサを中心にすばらしい働きをしておられる船越宣教師ご夫妻の話しも登場します。20分ぐらいの番組ですので、ぜひお時間のある時にご覧ください。

明日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。この世界には大変な悲惨がありますが、それは「新しい天と新しい地」が生まれるための「産みの苦しみ」としての「うめき」であると言われます。そこで「御霊の初穂をいただいている私たち自身も……心の中でうめいています」が、そこで「御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださる」と約束されています (ローマ8:22–26)。聖霊の働きは、世界の痛みを自分の痛みとするという「うめき」の中に現わされ、そこから愛の行動が生まれます。私たちがそれぞれ置かれている場で「キリストの手紙」として用いていただくことができます。

この世界の様々な悲惨を傍観者的に見るのではなく、悲惨のただなかにおられる一人一人に思いを馳せて、そこおられる一人でも、二人でも思う浮かべながら、ともにうめきながら、執り成しの祈りをささげてみましょう。

そこから何かできることのためにほんの少しだけでも動き出してみてはいかがでしょう。義援金は、ご指定いただいたところに取り次ぐことができます。

ただ同時に、私たちの身近なところに、さまざまな困難を抱えておられる方がいらっしゃいます。そのうちの一人にでも二人にでも、何らかの形で寄り添い、自分のできることをすることは、ウクライナの人々を助けるのと同じように意味があることです。あなたの周りには様々な問題を抱えた方がいらっしゃいます。そこに目を向けてお祈りするところから、何か新しい世界が開けて来ることでしょう。