マタイ23章1〜15節「モーセの座に着き、天の御国を閉ざす者」

2022年5月29日

ダビデは「主 (ヤハウェ) の教え(トーラー:律法)は完全で たましい生き返らせ……蜜よりも 蜂の巣のしたたりよりも 甘い」と歌いました。

聖書の教えは、私たちを罪に定める規範というより、この心を謙遜にして神にすがる者とさせ、たましいを生き返らせ、蜂蜜よりも「甘い」ものだと本当に感じているでしょうか。

1.「彼らがしている行いはすべて人に見せるためです」

モーセが五つの書を記したように、マタイはイエスの五つの説教を残しています。第一は5章~7章までの「山上の説教」と呼ばれます。第二は10章全体で「十二弟子の派遣の説教」、第三は13章1〜53節で「天の御国の奥義の説教」、第四は18章~20章で「天の御国の共同体の説教」、第五は24章、25章全体の「終わりの日の説教」とも呼ばれますが、最後の説教は23章の律法学者たちに対する非難の説教から始まると考えることもできます。

そうすると最初の「山上の説教」の始まりでは九回の「幸いです」という生き方が描かれる一方、終わりの日の説教の始まりでは七回の「わざわいだ」という生き方が描かれていると見ることができます。

モーセは地上の最後の説教で、「見よ。私は確かにきょう、あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く……あなたはいのちを選びなさい」(申命記30:15、19節) と選択を迫りましたが、イエスもここで「律法学者やパリサイ人の義」(5:20) に従って滅びるのか、それともイエスご自身に従って永遠の祝福を受けるかの選択を迫っておられると考えることができましょう。

なお、山上の説教は「弟子たち」に向けてでしたが、23章は群衆と弟子たち」に、「律法学者たちやパリサイ人たち」の問題を、公然と非難するものです。ここには戦いがあります。

ただそこでイエスは不思議にも「律法学者たちやパリサイ人たちはモーセの座に着いています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはすべて実行し、守りなさい(2、3節) と言われました。

これはイエスが山上の説教で、「わたしが律法や預言者を廃棄するために来たと思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去る(過ぎ去る)まで、律法の一点一画も決して消え去る過ぎ去る)ことはありません。すべてが実現します」(5:17、18) と言われたことと同じです。

ときに誤解されますが、イエスは律法学者やパリサイ人たちの教え自体を否定したわけではありません。パウロも自分の歩みに関して、「律法についてはパリサイ人……律法による義については非難されるところがない者でした」(ピリピ3:6) と紹介しているほどです。

多くのクリスチャンはパリサイ人が間違ったことを教えていたかのように誤解しているかもしれませんが、イエスはここでは何よりも、「彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うだけで実行しないからです」(3節) と言っておられるのです。

律法学者たちは「モーセの座に着いて」いましたが、イエスの場合はガリラヤ湖のほとりを歩いて、漁をしているペテロやヨハネの傍らに行って、彼らを召し出しました。

また彼らは「重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません」(4節) でしたが、「イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒され(4:23) ました。

つまり、パリサイ人たちは安全な場に座り、上から目線で人々に指導をしていたのですが、イエスは生活に苦しむ人の現場にまで降りて行かれたのです。

しかも、イエスの「癒し」のみわざも、「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負ったというイザヤに預言された「主のしもべ」の生き方でした (マタイ8:17、イザヤ53:4)。漫画のアンパンマンは自分の身を削って人を助けていましたが、その原点がここにありました。

多くの人々は「尊敬される人になりたい」と心の底で願い、それが信仰の動機となりがちですが、イエスの生涯は、「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった」(イザヤ53:3、4) という預言の成就でした。イザヤが預言した救い主は、軽蔑されている人の仲間となる歩みだったのです。

さらにイエスは、「律法学者たちやパリサイ人たち」の行動の動機に関して、「彼らがする行いはすべて、人から見られるためです。彼らは聖句を入れる小箱(前訳では「経札:きょうふだ」)を大きくしたり、衣の房 (9:20参照:ツィーツィート) を長くしたりするのです」と言われました (5節)。

ここの「聖句を入れる小箱」とは、額につけるものと腕につけるものの二種類があり、出エジプト記13章1〜10節、11〜16節、申命記6章4〜9節、11章13〜21節の四ケ所のみことばが羊皮紙に記され、収められるものでした。しかもこれら四か所では「これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい」(申命記6:8) という趣旨のことが記されていました。

また「衣の房」とは、祈りの装束の四隅の「房」で、そこに「青いひも」がついていました (民数記15:38、39)。それは「主 (ヤハウェ) のすべての命令を思い起こし」て、自分の心と身体を誘惑から守るためのシンボルでした。

このようなシンボルが用いられた理由には、信仰を次の世代に正しく伝えさせるという目的がありましたが、それは敬虔さをアピールする手段にもなりました。

とにかく当時のイスラエルの民は、ローマ帝国支配への嫌悪感も重なって、信仰的であることが良い市民であるという雰囲気の中で生きていました。現代のアメリカなどでも、敬虔なクリスチャンであることと尊敬される市民であることが同一視される場合があり、そこではこのような落とし穴にはまる可能性があります。

イエスは山上の説教の九番目の「幸い」で、「あなたがたは幸いです」から始まり、「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき……喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです」(5:9) と言われました。

神への信仰によって人々から尊敬を得られる文化の中では、偽善が生まれがちです。逆説的ではありますが、信仰者であることが、愚かな人間と見られる文化の方が、健全な信仰が育つ場合が多いのかもしれません。

私たちの主イエスは悪霊の親玉と呼ばれたのですから (10:25)、人の評価などを気にする必要はありません。

2.「あなたがたは先生(ラビ)と呼ばれてはいけません」

さらにイエスは、「律法学者たちやパリサイ人たち」の問題を、「宴会では上座を、会堂では上席を好み、広場であいさつされること、人々から先生(ラビ)と呼ばれることが好きです」と言われました (6、7節)。

「先生」の原文は「ラビ」というヘブル語で(ギリシャ語ではない)、当時のユダヤ人が律法の教師を、尊敬を込めて呼ぶ際のことばです。これは直訳的には「私の偉大な方」という意味があり、日本語の「先生」よりもはるかに重い尊敬が込められます。

それでイエスは弟子たちに、「しかし、あなたがたは先生(ラビ)と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです」(8節) とイエスは言われました。

ドイツの福音自由教会(集会)では、牧師を「兄弟」と呼び、職務を「説教者」と呼んで、国教会のシステムと区別しています。ただ、日本語の「先生」には、ユダヤ人が律法学者を「ラビ」と呼ぶような深い尊敬の意味がないので、「先生」と呼ばれても良いのかなとは思います。

それ以上に興味深いのは、「あなたがたは地上で、だれかを自分の父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです」(9節) という表現です。これは決して家族の中での呼び方を禁じたものではなく、自分の指導者を「」と呼ぶことを指します。

預言者エリシャは、エリヤの後継者として選ばれ、エリヤが「火の戦車と火の馬」とともに天に引き上げられるのを目撃しながら、わが父、わが父、イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫び続けました (Ⅱ列王2:12)。

また、イスラエルのアハブ王家を滅ぼしたエフーは、エリシャの弟子からイスラエルの王として任職を受けましたが、エフーの孫のヨアシュ死の病の床にあるエリシャを見舞った際、彼の上に泣き伏して、「わが父、わが父、イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫びました (Ⅱ列王13:14)。

つまり、自分の子以外から「わが父」と呼ばれたのは偉大な預言者のエリヤとエリシャであったのですから、自分が信頼する人を「わが父」と呼ぶことには深い意味がありました。

ただ、カトリック教会では、終生独身を貫く司祭が、信者の方から、ファザー、日本語では「神父様」と呼ばれていますが、それはこのイエスの教えに反するのでしょうか?

さらにイエスは、「また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただ一人、キリストだけです」(10節) と言われました。ここでの「師」とは、脚注に「あるいは『案内者』」と記されているように翻訳困難なことばで、英語では instructor, leader, master, teacher など様々な翻訳があり、共同訳では「教師」と訳されています。

ドイツの独裁者ヒットラーは自分を Der Fühler と呼ばせましたが、その本来の意味は「案内者」と言う意味で、彼は滅びへの案内人でした。

また「キリスト」とは「油注がれた王」という意味ですから、ここは自分を王のように権威ある指導者とすることを禁じたものと理解すべきでしょう。

ただここでは、「ラビ」「父」「師(指導者)」と呼ぶこと自体が禁じられたというより、そのようなレトリックを用いて、「あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい」(11節) と命じられているのです。つまり、イエスは教会組織の中での呼び名のことを言ったのではなく、「宴会では上座を、会堂では上席を好む」ような態度を問題にしたのです。

パウロは自分の権威を否定するコリント教会の人々に、自分は彼らの「父」であると述べました。またエペソ人への手紙では、「キリストご自身が……ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました」(4:11) と記されています。

またヘブル書13章17節には、「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人たちは神に申し開きをする者として、あなたがたのたましいの見張りをしているのです」と記されています。

当教会の入会申請書には、「教会の指導者を、神によって立てられた器として尊敬し、その霊的指導を重視しますか」という問いがあります。

その意味は、「あなたがどこに住み、どこで働き、だれと結婚するのが神のみこころか……などは聖書に書いていませんから、それについて牧師が介入はしません。しかし聖書解釈に関しては様々な視点がありますから、まずこの教会の牧師として召されている者を尊敬し、その解釈を日々の生活に当てはめるということを大切にして欲しい」ということです。それが教会の一致の基礎になります。

プロテスタント教会の霊的指導者を「牧師」と呼ぶ根拠は、この「たましいの見張り」という点にあります。羊飼いは、羊が崖から落ちたり、狼の攻撃を受けたり、病原菌のある水を飲まないようにと目を見張りますが、教会の牧師は一人ひとりが誤った教えに惑わされて信仰の破船に会うことがないように見張っています。

そのために歴史的な神学や語学を学びますが、それが立派な信仰を生むわけではありません。実際、イエスが「あなたがたはみな兄弟です」(8節) と言われたように、日々の信仰の姿勢では、神学を学んでいない信者の方々の方がずっと信頼できる面があります。

どの教会でも、牧師を信仰の模範?と見る人は、必ずと言って良いほど躓きます。牧師は兄弟姉妹の一人で、専門知識以外のものを期待してはなりません。

また「あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです……あなたがたの師(案内人)はただ一人、キリストだけです」と記されるのは、教会の霊的な指導者が、神と人との間を取り次ぐ立場ではなく、それぞれがイエス・キリストの名によって、イエスの父なる神に向かって直接に祈り、それぞれが神の御心を求めることができるように寄り添う立場であるという意味です。

そしてこの部分の結論として、「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます」(12節) と記されます。私たちは互いに仕え合うために召されたのであり、自分こそが霊的に他の人よりも高い地位にあるなどと思ったら信仰の本質から外れてしまいます。

多くのカルト宗教では、信者の中にランク付けがなされ、それによって人々を信仰の成長へと駆り立てます。しかし、キリストの教会ではそのようなことがなされることはありません。その根拠がこの教えにあると言えましょう。

3.「改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にする」

イエスは13節から七回にわたって「わざわいだ(忌まわしいものだ)」と繰り返し、その対象を「偽善の律法学者、パリサイ人」または「目の見えない案内人たち」と呼びます。

彼らは基本的に、神に信頼する日々の生き方を細部にわたって具体的に教えましたが、イエスは、「心の貧しい者」「悲しむ者」「柔和な者」「義に飢え渇いている者」、そして、ご自身のために「迫害されている者」への「幸い」を保証されました。

ただこれらはすべて、イエスなしには決して実現できないものとも言えます。ところが彼らは、自分たちが「教師」、「父」、「指導者」になり、人々がイエスに直接につながるのを邪魔しました。

罪人たちにあれほど優しかった方が律法学者たちやパリサイ人たちに何と厳しいことを語っておられることでしょう。

その理由の第一は「おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない」(13節) という点にあります。先に記されたように彼らの「教え」が間違っていたのではなく、彼らがイエスの働きの敵となっていたことが問題なのです。

たとえば、律法の核心をイエスはパリサイ人と同じように、「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と言われました (22:37)。ただこれは、「私はこれを守り切っています」と自信を持って言えるようにする規範ではなく、人の心を探り、不安にさせる教えとも言えます。

そのようなときにイエスは、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」(5:3) と言いながら、彼らを神のあわれみに、究極的には、イエスの十字架にある救いに導きます。

一方、パリサイ人たちはこの教えをより具体化し、偽善によって自分を誇り、神の御心に反してしまうか、また人々がイエスにある神のあわれみに近づくのを妨害して、入ろうとしている人々も入らせない」ようにしています。

同じ聖書のことばが、人を神の前に謙遜にするか、それとも人々を偽善に導くかという両極端が生まれます。

脚注に記されているように14節として入っていたことばは、多くの古い写本にはないもので、それはマルコ12章40節に記された「また、やもめたちの家を食い尽くし、見栄を張って多く祈ります。こういう人たちは、より厳しい罰を受けます」が挿入されたものと思われますが (ルカ20:47もほぼ同じ)、このことばは、マルコでもルカでも、先の6、7節のことばとの関連で登場するものでした。

15節の「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは一人の改宗者を得るのに海と陸を巡り歩く。そして改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのだ」ということばは当時の問題を現わしています。

たとえばパウロが伝道したギリシャ北部のテサロニケという町には、ユダヤ人の会堂があり、そこには神を敬う大勢のギリシャ人たちや、かなりの数の有力な婦人たち」がいました (使徒17:4)。パウロはその「神を敬う」ギリシャ人たちにイエスを救い主として紹介し、その人々が初代教会の核となりました。

ただそのようなことは、その前のパリサイ人たちが世界中に散らされたユダヤ人の会堂で行っていたことでした。旧約聖書の教えそれ自体は、当時の多くの異教徒たちにとって極めて魅力的な教えでした。人々を、様々な偶像の祟りという恐怖から解放し、家庭の大切さを教え、多くの女性に「神のかたち」としての生きる誇りを与えていました。

聖書の教え自体の魅力が、伝道しなくても、当時の異教徒をユダヤ人の会堂に引き寄せていたのです。しかし、パリサイ人たちは、その人々を完全な「改宗者」に変えるために必死に指導しました。それは彼らの厳格な律法理解を教え込むためでした。

たとえば、食事の前の儀式的な手の洗い方から、完全に血を抜く肉の調理の仕方、安息日には2、000キュビト(約1、050m)以上歩いてはならないなど、聖書にはない様々な細かな規定がありました。

そして、その完全な「改宗者」となった人々は、多くの場合、もとのパリサイ人よりもより熱心に教えを守ると当時に排他的になって行きます。そのような人々が後に、使徒パウロを徹底的に憎み、その伝道を妨害するようになりますが、イエスはその兆候をこのときに見ていたのだと思われます。

たとえば、それは現代の教会でも、新しい「改宗者」に自分たちの教会の伝統を熱く教えることから生まれることかもしれません。

たとえばバプテスト教会の成り立ちを厳密に習った新たな教会員は、幼児洗礼をナンセンスと平気で言うようになるかもしれません。しかし現実には、教会の歴史で信頼できる多くの指導者はみな幼児洗礼しか受けていないことを忘れてはなりません。

ですから私たち福音自由教会では、洗礼前には原則、教派的なことはほとんど教えません。それは信じたばかりの人が、自分の信じたことを過度に絶対化し、排他的になることを避けるためです。

残念ながら、「最も熱い改宗者が、最も恐ろしい背教者になる」という皮肉が宗教の世界には起り得るという現実があります。そこで起きる問題は、神の愛の教えを、人をさばく基準に変えて、イエスの「救い」を見えなくすることです。

イエスはパリサイ人たちの教えを「守りなさい」と言いながら同時に「彼らの行いをまねてはいけません」と言われました。彼らに欠けていたのは、何よりも神の御前での「謙遜さ」でした。

聖書に登場する最高の伝道者はダビデと言えましょう。それは彼が自分の愚かさを包み隠さずに明かしながら、同時に、「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心」と記すことで、神の「豊かなあわれみ」と、私たちを内側から造り変える「聖い霊、自由の霊」の働きを語ったからです (詩篇51:17、1、11、12)。