日本ではコロナ感染対策が徐々に緩和されつつありますが、中国ではゼロコロナ対策を徹底しており、無症状の感染者が3人出ただけで、一つの町全体に厳しい行動制限を課すようなケースもあるとのことです。
多くの中国の大学生は、学内の学生寮に住んでいるようですが、徹底的な外出制限が課せられ、最近は授業もすべてオンラインでなされています。
そのような中で、5月26日夜には、天津大の広場に大勢の学生が集まり「形式主義を打倒せよ! 官僚主義を打倒せよ!」などと叫んでいる場面とされる動画が交流サイトに投稿されたとのことです。
この「形式主義を打倒せよ! 官僚主義を打倒せよ!」というスローガンは、日本にも適用されるべきかもしれません。
日本での感染対策では外国人の入国が長らく制限されたため、国際結婚をしている夫婦が危機的な状況に陥っているとも伝わっています。その対応が、あまりにも非人間的だと非難されてもいます。
官僚主義は、整合性を大切にし、何かの問題が起きた時にも、「当局としてはこのような公平な対応をしていました」と応答できる形を常に整えています。
そのため、一人ひとりの事情に配慮することが、公平性の原則と衝突すると判断される場合があるのでしょう。
それに対して、詩篇の祈りの世界では、一人ひとりの特殊な事情下での個人的な祈りが大切にされています。全世界を治めておられる神が、一人ひとりの個別な事情に耳を傾け、その祈りに耳を傾けてくださるのです。
詩篇109篇は、自分を傷つける者に対して、神の厳しいさばきを訴える祈りで、しばしば、「のろいの詩篇」とさえ呼ばれます。その20-22節では、次のような祈りが記されています。
これが私を告発する者たちへの、主 (ヤハウェ) からの報復となりますように。
私のたましいについて悪く言う者たちへの……。
しかし、あなたは、主 (ヤハウェ)、私の主よ、
御名に従って私を(優しく)取り扱ってください。
あなたの慈愛 (ヘセド) はすばらしいのですから、
私を救い出してください。
なぜなら、私は苦しみ、また乏しく
この心は、内側で、傷ついているからです。(私訳)
この後半の部分は、以前の新改訳第三版では美しく意訳されていました。
- しかし、私の主、神よ。
どうかあなたは、御名のために
私に優しくしてください。
あなたの恵みは、まことに深いのですから。
私を救い出してください。 - 私は悩み、そして貧しく、
私の心は、私のうちで傷ついています
僕は昔、この翻訳を見て、何かとっても心が温かくなりました。神の御名にかけて、公平にではなく、自分を特別扱いしてほしいと願っているからです。
今、僕は「心が傷つきやすい人への福音」という新しい本を執筆中です。ダビデは自分の傷ついた心を正直に神に訴え、驚くほど図々しく、自分への特別な配慮がなされることを神に訴えています。まるで、冷たい公平性の原則を打ち破るように……(もちろん、公平性の原則はこの社会で大切にされるべきではありますが……)
しかし、私たちの創造主は、それぞれの特殊事情に格別な配慮をしてくださる方です。神の全能性とは、この世の官僚が不得手な、個別の事情に配慮できることとして現わされるからです。そして、敬虔な祈りとは、そのような率直な、大胆な祈りを意味します。