麗しい気候の日々になっていますが、いかがお過ごしでしょう。
最近、ウクライナ情勢と共に世界の食糧事情の緊迫が話題になってきています。世界の小麦の輸出量の21%がロシア、9%がウクライナで、世界の小麦の輸出の三割がこの地域なのですから、ウクライナ危機以降、小麦価格の急騰が問題になっています。 で国際価格の推移が見られます。
これに加えて、地球温暖化の影響で、インドに熱波が訪れ、小麦生産が急減し、インドが小麦の輸出を止めたというような事態が拍車をかけています。
私たちは、主の祈りで、「私たちの日毎の糧を、今日もお与えください」と祈るように命じられていますが、この「私たち」に飢餓で苦しむ人々のことを含めて祈る必要がありましょう。
今週、黒川祐次元ウクライナ大使が記した「物語 ウクライナの歴史」中公新書を読み、いろいろ教えられました。
ウクライナ国旗は、小麦畑と青空がイメージされていますが、何と、世界の耕作に適した黒土地帯の三割がウクライナにあり、その耕地面積は日本の全国土面積に匹敵するというのです。
その輸出は、主にオデッサ港からなされていますが、ロシアによる黒海封鎖で大量の小麦がウクライナの倉庫に眠ったままになっています。
ところで、ウクライナは20世紀になって何と、独立宣言を六回もしていたということに驚きました。最初はレーニン主導によるロシア革命の際に、ロシアに先立って民主的な革命政府を立ち上げました。六回目の独立宣言はソ連邦崩壊の祭で、今回に続きます。とにかく、ロシアの共産党支配に真っ向から反抗し続け、虐殺に耐えて来たという歴史があるのです。
興味深いのは現在のウクライナ国歌の歌詞に、コサックという言葉が登場することです。歌詞は以下のとおりです
ウクライナの栄光も自由もいまだ滅びず、
若き兄弟たちよ、我らに運命はいまだ微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。
我らは自由のために魂と身体を捧げ、
兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。
この最後の二行は、繰り返して歌われます。
コサックとは自治的な武装集団で、15世紀から18世紀にかけて、ウクライナがロシア帝国とポーランド帝国の間に挟まれて混乱する中で、自由な武力集団が活躍し、各地域の自治を守ったという歴史があります。銃と酒を手放さず、自分の命を惜しまずに、飢えや渇きに耐えながら、明日のことを心配せずに、横暴な権力者と戦い続けることができます。
ウクライナ国歌に、そのようなコサックの精神を誇りに歌っているというのは何とも驚くべきことです。日本で言うなら、「武士道精神」を国歌に入れて歌うようなものです。
昔、志願兵を集めるために用いられた檄文は以下のとおりでした
キリスト教の信仰のために串刺しにされたい者、十字架のために引き裂かれたい者、極刑の苦しみに直面したい者、死を恐れない者は我々とともに来たるべし
ここで言うキリスト教信仰とは、ギリシャ正教、ウクライナ正教、ロシア正教などと言われる「東方正教」の流れです。
ポーランドはカトリックであったため、ロシア正教のロシアとの関係が密接になりながら、必死に独立を模索し続けた歴史があります。
ただ、コサックは小さな自治組織の組み合わせですから、国家全体をまとめる国民意識が育たなかったということが、ロシアの支配を許容するという展開になってしまいました。
9世紀の繁栄したキエフ公国の文化を受け継いでいるのがロシアなのかウクライナなのか、その視点の違いが、両国の争いの原因になっています。プーチン大統領は、ロシアこそがキエフ(キーウ)から始まった文化の後継者であってウクライナは、あくまでもロシアの不可分な一部なのだと言い張っています。しかし、ウクライナにはロシアと違った独自の文化の成長が見られ、ロシアに対して驚くべき影響力を発揮してきたことも事実です。
スターリンの後継者のフルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフなどはみなウクライナ人と呼んでも良いような背景をもっていました。スターリンと激しく戦ったトロッキーは、ユダヤ系のウクライナ人でした。
ウクライナ人から見たら、ロシアこそがウクライナの様々な恩恵を受けて反映することができたということのようです。
どちらにしても、ウクライナの政治的な安定は、世界の食糧事情の安定に密接につながっています。引き続き、ウクライナの平和のために祈って行きましょう。