ウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン演説が多くの国々の国会で受け入れられているというのは、まさに前代未聞の奇跡とも言えましょう。それは、彼がいつ暗殺されても不思議ではない危険な状態に自分の身を置きながら、ウクライナ国民全体の救いを求めて語っているという、その背景を皆が知っているからです。
本日のイエスの「たとえ」による話しも、難解に思える部分があります。しかし、これはイエスが三日後に十字架に架けられて殺されるという自覚をもって語っておられるという当時の文脈を決して忘れてはなりません。イエスはユダヤ人たちに「悔い改め」を、攻撃的なほどに、熱く迫っています。それは道徳的な生き方への招きというより、神の愛の招きを真剣に受け止めるようにという人生の方向転換の訴えです。
あなたはそのままの姿で、イエスについて行くことができます。そしてあなたの生活習慣の変化は、イエスについて行くという生きる方向の変化から必然的に生まれることです。しかも、「イエスについて行きたい」と願う信仰自体が、神の一方的な「選び」という「恵みのわざ」から始まっています。
1.「天の御国は……息子のために、結婚の披露宴を催した一人の王にたとえることができます」
22章1節は、「そしてイエスは彼らに答えて、再びたとえをもって話された」と記されています。これは「祭司長たちとパリサイ人たち」が先のたとえで自分たちについて話されていることが分かり、イエスを「捕らえようとした」(21:46) という彼らの心の中にある「問いかけ」に対する「答え」としての「たとえ」です。
21章では、イエスが十字架に架けられる金曜日の五日前の日曜日、人々はしゅろの枝を切って道に敷きながら「ホサナ、ダビデの子に」と叫びながら、イエスをエルサレムに迎え入れました。そして主はその夜はベタニアに戻り、翌朝、月曜日にエルサレム神殿に来て、商人たちを追い出しました。
そして火曜日の朝、道端の「一本のいちじくの木」を枯らして、その後イエスがエルサレム神殿の外庭で人々に「神の国」の福音を語っているときに、「祭司長たちや民の長老たちがイエスのもとに来て」、「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか」と尋ねます (21:23)。
それに対するイエスの一連の答えの中での三番目のたとえです。とにかく、これはイエスが十字架に架けられる三日前の、当時の宗教指導者たちとの会話であるということを心に留める必要があります。
なお、二番目の「ぶどう園の農夫」のたとえの結論でイエスは、「神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます」と言われました (21:43)。
後にパウロは「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく」「文字ではなく、御霊による心の割礼」を受けた「人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人です」と、何とも不思議なことを言います (ローマ2:28、29)。それは、「神の民」の枠が外見上のユダヤ人から「取り去られ」、御霊を受けたユダヤ人とすべての異邦人にまで広がられることを現わしています。
現代の教会こそが「神の国の実を結ぶ民」なのです。とにかく、イエスの話しを聞いていた「祭司長たちやパリサイ人たち」は、「神の国」が自分たちから取り去られるということばに、激しく怒りを覚えたことでしょう。
そこでイエスは、「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した一人の王にたとえることができます。王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった」と描かれます。この王の「息子」のための披露宴とは、明らかに「神の子」であるイエスを「花婿」にたとえてのことです。
「花婿」とは、既にイエスご自身がバプテスマのヨハネの弟子の疑問に対する答えとして述べたときに用いたことばです。9章14、15節で、ヨハネの弟子たちは「私たちとパリサイ人はたびたび断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか」とイエスに言いましたが、それに対しイエスは「花婿に付き添う友人たち(婚礼の客たち)は、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか」と答えました。
しかもその文脈は、イエスが「取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた」という状況の中での会話でした。
さらにそこでは、「これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、『なぜあなたがたの先生は、取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか』と言った」と記され、それに対するイエスの答えが、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」と答えたと描かれています (9:12、13)。
当時の宗教指導者は、ネヘミヤ記9章の祈りに記されていたように、イスラエルの神に向かって、断食をしながら、自分たちの罪を告白し、「ご覧ください。私たちは今(この日)、奴隷です。この地で、あなたが私たちの先祖に与え、その実りと、その良い物を食べるようにされたところの。ご覧ください、私たちは奴隷です、ここで」と (36節)、「奴隷」ということばを強調しながら、神にある真の救いを求めていました。
それに対してイエスは、ご自身をイスラエルが待ち望んだ「救い主」として示しておられます。当時の人々は、ローマ帝国の奴隷状態から解放されることを求めていましたが、イエスが与えようとしている救いは、この世の富と権力の支配の背後にある、サタンの圧政からの解放でした。
そして、イエスの現れによって現実に、多くの人々が悪霊の支配から解放され、そのしるしとして肉体的な病の癒しを確認することができました。
先のネヘミヤ記では、この断食の祈りの前に、エルサレムの城壁が再建されたことを祝う日にすべてのイスラエルの民に向かって、「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ」と言いました (8:10)。
そしてその結果が、「こうして、民はみな帰って行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである」(8:12) と記されていました。
そこにすでに実現している神の救いのみわざを理解した者たちは、断食の祈りをする前に、「主 (ヤハウェ) を喜ぶ」ことに何よりも心を留めたのです。
ルカ7章18–22節では、バプテスマのヨハネが、イエスが罪人たちと食事をしていることを聞いて、弟子たちを通してイエスに、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか」とこの期に及んで尋ねたと記されていました。
それに対してイエスは、「あなたがたは行って、自分たちが見たり、聞いたりしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています」と言いながら、ご自身がイザヤ書35章5、6節の預言を成就していることを紹介しました。
大切なのは、今ここに見られる主の救いのみわざに目を留めることです。
残念ながら、キリストの再臨まで、この世から不条理が無くなることはありません。この世のすべての問題の解決を待ち望んで「断食」をし続けるなら、私たちはこの世界をよりよくするために働く前に、飢え死にするしかなくなります。
今ここに実現している「救い」をともに喜ぶことこそ、何よりも優先すべきです。しかし、当時のパリサイ人はそれを理解しようとしませんでした。それがここでは、「披露宴に招待」されていた客たち、つまり、聖書を学んでいたはずの人々は、「来ようとしなかった」と描かれているのです。
2.「披露宴の用意はできているが、招待した人たちは相応しく(値し)なかった」
その後のことが、「それで再び、他のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい』と伝えながら。『見よ。私の(主催する)食事を用意した。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、すべてが整った。披露宴に来なさい』と」と描かれます (4節)。
ここでは、王が「私の食事」「私の雄牛」と言いながら、王がその領地で特別な関係にあった貴族たちを、王の食卓に招いたという恩恵が強調されています。そこでは招待された客の一人ひとりが覚えられ、彼らをもてなす準備が丁寧にされていたということが示唆されます。
ところがそれに対する「(王が)招待した客」の反応が、「ところが彼らは気にもかけず、出かけてしまった、ある者は自分の畑へと、ある者は自分の商売へと。一方、残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱した、また殺した」(5、6節) と描かれます。
招待された客は、ずっと前からこの日のことが知らされていましたから、その日の仕事などは調整をつけることができていたはずです。ここでの彼らの反応の核心部分は、彼らは王の支配権を認めていないという一言に尽きます。
ですから、彼らは王の恩着せがましい招待を喜ぶどころか、その謙遜な姿勢を嘲ったばかりか、遣わされたしもべを殺すことまでしました。
それに対しての王の対応が、「王は怒った。そして軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼした、そして彼らの町を焼き払った」と描かれます (7節)。ただし、王が息子の披露宴の準備をしていながら、軍隊を送って町を滅ぼすということは、あり得ないこととも言えます。ですから、これはあくまでも、当時のユダヤ人に将来の警告として語られた部分と解釈できます。
どちらにしても王の立場としては、自分の王権を嘲る者どもをそのまま放置はできません。それは国の秩序を根本から破壊する行為だからです。ですからこの部分は、神の御子を十字架にかけて殺したユダヤ人たちが、その約40年後の西暦70年にローマ帝国軍によって滅ぼされ、エルサレムが廃墟とされることを預言したことばとして理解することができます。
さらにその後のことが、「それから王はしもべたちに、『披露宴の用意はできているが、招待した人たちは相応しく(値し)なかった。だから大通りに行きなさい。そして、出会った人をみな披露宴に招きなさい』と言った」と記されます (8、9節)。
かつて王は、招くに値する人を厳選して招いたつもりでした。それは天地万物の創造主が、イスラエルの民という弱小民族を選び、ご自身の啓示を聖書によって彼らに与えたことを意味します。旧約聖書こそは、王からの招待状であったと言えましょう。
ところが彼らは、王が彼らを祝宴に招いておられるという恵みを忘れ、啓示の書を持っていること自体に愚かな誇りを持ち、それを実践することで土地の収穫や仕事が成功するという結果ばかりを求めて行きました。彼らは神の招きに応じる代わりに、聖書の啓示をこの世で成功するための手段に引き下げてしまったのです。
私たちの中にも、神との交わりのときを喜ぶ代わりに、この世での成功のために神を利用するという姿勢があるかもしれません。そのような人こそが、畑や商売のために王の祝宴への招きを拒絶する人です。
さらに王が遣わしたしもべを殺すとは、自分の聖書解釈に反する人を異端者と決めつけることを意味します。
神からの招待状としての聖書が、神の御子を殺す理由にされました。また最近ロシアのプーチン大統領は、「侵攻の目的はウクライナ東部の親ロシア派を「ジェノサイド(集団虐殺)から救うことだ」と主張しながら、イエスがいわれたことば、「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13) を引用することで、兵士たちを鼓舞しました。
しかし、イエスが弟子たちを「友」と呼びながら、彼らの「救い」のためにご自身がいのちを捨てると言われたことばを、どうして戦争犯罪を正当化するために用いることができるのでしょう。
しかもそのような誤ったみことばの引用で、自分の行為を正当化し、自分と意見の違い人を排除してきた独裁国家が何と多いことでしょう。
なお、ここで王は、今度は、いろんな種類の人に出会うことができる大通りに出て行って、手あたり次第の人を宴会に招くように命じました。そしてその結果が、「しもべたちは通りに出て行って、出会った人をすべて集めました、悪い人も善い人も、それで披露宴は客でいっぱいになった」(10節) と描かれています。
これは、後にイエスの弟子たちが世界中に出て行って、出会った人すべてに「神の国の福音」を伝え、キリスト者の共同体である教会に集めたことを意味します。
その際、原文では「悪人でも善人でも」と「悪人」が先行して記されます。実際、大通りで最初に出会う人は「悪人」である可能性が高かったと思いますが、ここでの強調点は、「出会った人すべて」に区別をつけず、「集める」ことにあります。
3.「どのようにあなたはここに入って来たのか、婚礼の礼服を着ることもないまま」
王が息子のために催した披露宴が「客でいっぱいになった」とき、「王が客たちを見ようとして入ってくると、そこで王は、婚礼の礼服を着てない人を見出した」という (11節)、次の展開が描かれます。
そこで王はその人に「友よ」と優しく呼びかけながら、「どのようにあなたはここに入って来たのか、婚礼の礼服を着ることもないまま」と尋ねます (12節)。
なお、多くの人々はこの人が貧しくて「礼服」を持っていなかったのではないかと同情します。しかし、王は彼に「どのように入って来たのか」と尋ねているところから判断すると、礼服は既に用意されていて、それを身に付けた上で会場に入って来るというシステムになっていたと考えるのが合理的かとも思われます。
ひょっとしたら、会場に招き入れる案内役(アッシャー)の制止を振り切って、着替えることを拒否したまま、強引にここに入ってきたのかもしれません。その彼の異常さが、王の「友よ」という呼びかけに「彼は黙っていた」と記されることに現わされます。
万が一、彼だけが特別に貧しくて礼服を持っていなかったのだったとしても、王の優しい問いかけに、答えを拒否するということはあり得ません。
ですから、彼は意図的に、王が催した宴会に対する反抗する思いをアピールしたと考えるべきでしょう。これは、先に王の招きを拒絶した人々と基本的に同じ態度と言えましょう。
これは現在に適用すると、教会の礼拝に招かれて出席しながら、礼拝のかたちすべてに反抗的な態度を取るようなことかもしれません。
みんなが起立しても、理由のないままそこに座り続け、賛美に加わりもしなければ、聖書を開こうともしない、態度すべてで礼拝の形を軽蔑するような姿勢を取っている人とも言えるかもしれません。日本ではさすがにそのような人を目にすることはほとんどないでしょうが……。
このような無礼な態度を取った人に対して、「王は召使たちに、『「こいつの足と手を縛って、外の暗闇に放り出せ。こいつはそこで泣いて歯ぎしりすることになる』と言います」(13節)。
この礼服を着ることを拒否した人は、招きに応じながら、王が定めたしきたりに真正面から反抗したために、招かれていなかればこのような苦しみに遭わずに済んだと思える状況に落とされます。
なお「外の暗闇に放り出され……そこで泣いて歯ぎしりする」という表現は、8章12節では「御国の子ら」として最初に招かれていたイスラエルの民を指していました。
また25章30節では、一タラント(約1億円)を主人から預けられながら、それを地の中に隠してしまった人へのさばきとして記されています。
共通するのは、主人から与えられた恵みの招きに感謝して応答しようとせずに、せっかくの機会を無駄にして、主人の怒りを招くということです。
そして、このたとえ全体の結論として、「それは、多くの者たちが招かれていますが、選ばれている者は少ないからです」と記されます (14節)。この文脈では、多くの貴族たちが最初に王から招待されながら拒絶したこと、また、せっかく婚礼の席に連なりながら礼服を着ることを拒絶した人が、実は、最初から「選ばれて」はいなかったということを意味します。
それは、王の責任ではなく、彼らの傲慢さのゆえですが、彼らの応答の仕方が既に神の選びの外にあったということを示唆しています。これは、イエスがガリラヤ湖畔で神の国の福音を語り、それからエルサレムに来るまでに、驚くほど多くの人々がイエスのもとに来ながら、最終的にイエスの弟子として留まるのはごくわずかであるということにも当てはめられます。
後にパウロは、「神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものをないものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しいものを神は選ばれたのです。肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです」(Ⅰコリント1:27–29) と記しています。
これは、私たちの信仰的な応答自体が神の一方的な「選び」によることを意味しますが、その目的はだれも「神の御前で」自分を「誇ることがないようにする」ことにあります。自分の信仰的な応答を誇れる者はいないのです。
私たちはある意味で、愚かで気弱で惨めであるからこそ、イエスのみもとに召されたと言えます。しかし、婚礼の席に招かれた者が、礼服を着る必要があるように、私たちは「キリストを着る」必要があります。それは、「キリストに着くバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストをその身に来たのです」(ガラテヤ3:27) と記されているとおりです。
私たちはこのままの姿で神に愛されている者ですが、このままの状態に留まっていてはなりません。「バラは バラのように スミレは スミレのように わたしも このままの姿で ついてゆきます」という賛美があるように、私たちはイエス様について行く必要があります。
そして、イエス様について行くときに、私たちは無意識のうちに、キリストによって変えられ続けているのです。イエスについてゆくということこそが、「キリストをその身に着る」という行為に他なりません。
また「選び」に関しても、讃美歌239「さまよう人々」で、「罪とが悔める心こそは 父より与うる賜物なれ」と歌われるように、神によって選ばれたしるしに他なりません。
多くのユダヤ人たちがイエスを拒絶した結果、福音が異邦人の間に広められましたが、私たちはその神の招きを謙遜に受け止める必要があります。