キエフの教会での礼拝のようす〜ハバクク書

先週3月15日にお知らせしましたが、1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に、その地のユダヤ人がイエスを救い主と信じる信仰に導かれ、そこに血筋の上でのウクライナ人をはじめとする異邦人が加わり、すばらしい教会が生まれています。「キエフ・メシアニック・ジュー集会(非ユダヤ人とユダヤ人が集うキリスト者の集会)」で、2000人余りの人が集う世界的な教会になっています。

神田英輔先生を中心とした「声なき者の友の輪」(FVI)は福島原発事故以降、上記の教会との交わりを築いています。今週皆様のご協力で発送したFVIのニュースレターにも記されています。

同教会で最近編集された動画が以下でご覧いただけます。3分50秒のもので全部英語ですが、画像だけで意味が分かります。最近のキエフのようす、同教会での礼拝、子どもたちとの食事会(これは先週ご紹介したものとほとんど同じですが、新しい方の証しが入っています)また、キエフに届いた支援物資の分配、またキエフから退避しようとする人の応援のようすなどです。

主任牧師のボリス先生は、再びキエフに戻ってきています。以下で最近の礼拝のようすをご覧いただけます。これは3月12日の安息日礼拝(土曜日)のようすです。3月17日がプリムの祭りでしたが、それが覚えられています。プリムとはエステル記にあるように、ユダヤ人がペルシア帝国下で大虐殺を受けそうになる状況から、大逆転して、ユダヤ人の立場が回復されたことを祝う祭りです。以下はその礼拝のようすです。4時間も続きます。飛ばしながらご覧いただくだけでようすがわかります。

この教会の特徴は、とにかく、主への賛美を身体全体で表す踊りにあります。主を賛美しながら踊っています。爆弾が落ちている中で、主を喜び踊っています。また、何人もの人が代わる代わる、主のみわざを証しています。また、主に賛美と祈りをささげています。最後の方にボリス師のみことばの解き明かしが、この時はキエフの外から中継されていました。この戦時下の礼拝には約300名が集まっていました。二時間かけて礼拝に集った人もいるようです。

私たちはニュースを見ながら、戦争の悲惨さに目をそむけたくなります。しかし、闇がおおう中には、必ず、主の光を確認することができます。

主は、貧しい者一人ひとりに目を留めておられます。そのような証しが繰り返しなされています。ハバクク書は次のような祈りから始まります。

1:2 いつまでですか、主よ。
私が叫び求めているのに、
あなたが聞いてくださらないのは。
「暴虐だ」とあなたに叫んでいるのに、
救ってくださらないのは。
3 なぜ、あなたは私に不法を見させ、
苦悩を眺めておられるのですか……
4 そのため、みおしえは麻痺し
さばきがまったく行われていません……

しかし、そのような中で、

3:17 いちじくの木は花を咲かせず
ぶどうの木には実りがなく
オリーブの木も実がなく
畑は食物を生み出さない……
18(それにも関わらず)
私は主にあって喜び踊り
わが救いの神にあって楽しもう。
19 私の主、神は私の力

神が与えてくださる救いとは、多くの場合、「にもかかわらず」ということばで表されます。目に見える状況は問題だらけですが、その問題のただ中に主のみわざを見出すことができます。

主は全世界の政治を動かす方ですが、それは人の目には、あまりにも時間がかかりすぎるように見えるものです。しかし、主の救いは、日々のあなたの生活のただ中で確認できるものです。

ネヘミヤ書8章10節には次のように記されています

主 (ヤハウェ) を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ

今ここで、主を喜び踊るところから、悪の力に耐えて、今ここで果たすべき責任に集中する力が与えられます。

ぜひ、上記の礼拝動画を少しずつでもご覧ください。