このようなときには、改めていつもご紹介している以下のグラフをご覧になると良いと思います。たとえば東京都の新規感染者数は昨日(1月27日)16,000人を超えていますが、重症者数は18人と昨年9月のピーク一日300人の十分の一以下に留まっています。また、一人が何人に感染させるかという実行再生産率も急上昇の後、明確な を見せています。
不思議なのは、新型コロナ感染の国際比較です。 でご覧いただけます。
ニュースでお聞きになっておられるように、英国でも米国でも、驚くべき感染者数とかなりの死者数があるにもかかわらず、規制を大幅に緩めようとしています。それは二年続いたコロナによって、多くの生産ラインがダメージを受け、供給不足による物価高騰が起き始めているからです。
多くの国では、失業などの経済的な恐怖がコロナ恐怖を上回ってきております。病気よりもお金を気にするのか……という声が聞こえそうですが、仕事がなくなり自殺に追い込まれる人のことを気にするのは、当然の政治的な配慮です。
コロナも失業も同じように恐れるべきことです。コロナばかりを気にし過ぎて経済を失速させるなら、その方が長期的なダメージが大きくなります。
どちらにしても目の前の恐怖を一面的に見ることは危険です。
そのような中で、いろいろな断定的な見解が広がりがちで、私自身としてもいろいろ楽観的な希望を語りたくなる誘惑と戦っています。そのようなときに、以下のエレミヤを通して語られた主のことばが心に迫ってきました
預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っている……
彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、
平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている
エレミヤ6:13、14
つまり、このような中で、安易に「平安」を語るのは、偽預言者、偽牧師のしるしになるというのです。
今後の見通しに関してはさまざまな見解がありますが、これらすべては神の御手の中で起こっていることであり、神はこのような中で、私たちが必死に、神の救いを求めて祈りの手を挙げることを望んでおられることは明らかです。
ソロモンがエルサレム神殿を建てた後で、主 (ヤハウェ) は彼に次のように語っておられます。これはまさに現代の私たちに対する主のことばでもあります
わたしがわたしの民に対して疫病を送ったときには、わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒す
Ⅱ歴代誌7:13、14
私たちの祈りは、全地の癒しにまでつながると約束されています。
聖書によると、神がこのような疫病の広がりを許されるのは、私たちが主の前にへりくだり、主に救いを祈り求めるようになるための、神の招きとも言えます。科学的に疫病を分析し、それに対する対処を考えることは何よりも大切なことのように思いますが、私たちキリスト者に求められている働きは何よりも、神に向かって手を挙げて祈ることです。
そのことをソロモンは次のように祈っています
この地に……疫病……が発生したときでも……どのようなわざわい、どのような病気であっても、だれでもあなたの民……が、それぞれ自分の心の痛みを知って、この宮に向かって両手を伸べ広げて祈るなら、どのような祈り、どのような願いであっても、あなたご自身が、御座が据えられた場所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。一人ひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心をご存じです。
Ⅰ列王記8:37-39
私たちに今後のコロナ感染の予測を立てることはできません。しかし、これがいつか収束に向かうということは確かです。
ただそのとき、主は私たちに、「おまえはコロナの中で、どのように祈り、どのように生きて来たのか……」と問われることになります。コロナの中でどのように生きて来たか、それが私たちの将来を決めることになります。
コロナ以上に、主を恐れることこそ、私たちの知恵であるべきでしょう。