主が私たちの教会に与えられた ヴィジョン は週報の右上に記されています。ただ、教会形成の上でもっと分かり易い指針があった方が良いという意見もあります。その参考になるのが今回の箇所です。
ただ、暗唱聖句にする場合は、並行記事のマルコ11章17節の「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」の方が全体の文脈を現わしています。「あらゆる民」の範囲を味わってみましょう。
そこにはかなり面倒なことが生まれるかもしれませんが、それこそがキリスト教会の最大の魅力の原点です。キリストにある交わりは、決して気の合った仲間の範囲に留まって良いものではないからです。
1.イエスによる乱暴な宮清めの理由
イエスはエルサレムに入城するときにゼカリヤ9章9節の預言の成就として「ろばの子」に乗られましたが、群衆はみなそろって「ホサナ、ダビデの子に」と言いながら (21:9)、大変な歓呼をもって迎えられました(ヨハネ12:1、12、13の記述から「しゅろの日曜日」と呼ばれる)。
何とこれは、すべての人から見捨てられる十字架の五日前のことでした。その後のことがマルコ11章11節では、「こうしてイエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、すでに夕方になっていたので、十二人と一緒にベタニアに出て行かれた」と描かれます。
マタイではそのあたりの時系列的な記述を超えたことが描かれていますが、とにかくイエスは、宮の現状に心を痛めて一晩を過ごされたということが分かります。もし主が私たちの教会を訪ねられたら、どのような感想を抱かれるか心に留めているべきでしょう。
そして、イエスは次の日の朝、見せかけばかりで、人の期待を裏切る「いちじくの木」を呪われた上でエルサレム神殿に入って行かれました。そこにも多くの人々の期待を裏切る悲しい現実がありました。
そこで優しく柔和な救い主というイメージを覆すことをイエスは行います。そのことが、「それからイエスは宮に入られた。そして宮の中で売ったり買ったりしている者たちすべてを追い出された。さらに、両替人の台(テーブル)をひっくり返された、鳩を売っている者たちの腰掛をも……」(12節) と描かれます。
イエスの過激な行動の理由は、当時のエルサレム神殿の構造を知らないと理解できません。当時の神殿の最も外側に驚くほど広い「異邦人の庭」がありましたが、その内側に厚い壁を隔てて「婦人の庭」、さらにその奥に「イスラエルの庭」がありました。
いけにえが献げられるのはその内奥の庭にある「祭壇」で、異邦人は高価ないけにえを献げても、そこでの礼拝に参加することはできません。彼らは壁を隔てた遠くにある神殿の本体の建物の壁の上の部分を垣間見ることしかできませんでした。
たとえば使徒の働き8章に、エチオピアの「女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人」が、エルサレムに礼拝に来たことが記されています (27節)。彼は多大な時間と労力をかけて巡礼の旅をしてきても、異邦人の庭から厚い壁を見上げることしかできませんでした。
しかも、そこには、「鳩を売る者」や牛や羊を売る者たちが座り (ヨハネ2:14)、両替人もおり、大声で客を呼び寄せていたことでしょう。彼らは「宦官」を軽蔑しながら、その人の信仰を見ようともせずに、お金を取ることばかりを考えていたことでしょう。
イエスが神殿の中を歩まれた時も、同じく、敬虔な心を持った外国人や身体障害者、子供たちが、礼拝の場から排除されているのをご覧になり、彼らが、このような喧騒の中でしか神を礼拝できないことに、心を痛められたに違いありません。そこは「祈りの家」とは呼べない状況にありました。
ただし、この制度は祭司階級ばかりか一般のイスラエル人にとっても合理的なものでした。一般社会に通用していた硬貨には、まるで偶像のようにローマ皇帝の肖像が描かれており、それを神殿の献金に用いることはできません。そのため人々はそれを神殿が認める銀貨に両替して献金する必要がありました。
また、神殿内部で売られた動物は、いけにえとして適格であるという保証がついていましたが、もし遠路、動物を連れてきても、途中で怪我をすればいけにえとして不適格になりました。
それらを考えると、神殿の外庭にそのようなことに便宜を図る「商人」がいることは大きな助けになりました。しかし、その商人の働きを許可するのは祭司階層の権利であり、そこから多額の収益を得ることができました。
そればかりか、当時の一般市民は、ローマ帝国への税金ばかりか、「収入の十分の一」を神殿に献げるように命じられていましたが、それらはすべて基本的に祭司やレビ人のものとされました (民数記18:21–24)。
それは本来、彼らに相続地が与えられなかったことの代償でしたが、当時の祭司たちはその解釈を自分に都合よく変えていました。それは、律法の趣旨は、祭司やレビ人が神への奉仕に専念できる体制を整えることにあり、土地の所有自体が祭司に禁止されているわけではないという解釈でした。
それは一般のユダヤ人が凶作で税金の支払いのために土地を売らざるを得なくなった時に、祭司たちがそれを買い取ってあげることによって土地の所有権を外国人に渡さずに済むという言い訳でもありました。
当時、ローマ帝国の支配下でユダヤ人の自治権が保障されていましたが、その核心には神殿礼拝を律法に従って行えることがあり、それは宗教的特権階級の立場を守ることに繋がりました。
たとえば、当時、ルカ3章2節に登場する大祭司アンナス一族の権力や富は絶大で、その貪欲さは当時のラビたちの非難の対象にもなっていました(ヨセフス:ユダヤ古代史18:2–1脚注)。
また、イエスを十字架にかけたローマ総督ポンティオ・ピラトの前任者の総督グラトスは11年間の任期の中で5人の大祭司を解任または任命しました (同ヨセフス18:2–2)。つまり、当時のエルサレム神殿の大祭司は、信仰の名のもとにユダヤ人から金を巻き上げてローマ総督の顔色を伺いながら権力を維持していたのです。
つまり、イエスによる「宮清め」は当時の権力システムに対する激しい非難のしるしでもあったのです。
2.「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」
なお、イエスは激しい実力行使の理由としてイザヤ書56章7節の「主 (ヤハウェ) のことば」を引用しながら、「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる」』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている」と言われました (13節)。
イザヤの文脈では、主はまず「わたしの救いが来るのは近い」と言われ、「主 (ヤハウェ) に連なる異国の民」が「その民から引き離される」と悲観したり、また「宦官」さえも、「ああ、私は枯れ木だ」と嘆く必要のない時代の到来が約束されていました (1–3節)。
その上で、「安息日を守り」、主の「契約を堅く保つ宦官たち」に対して、男性器のない彼らは「息子、娘」を持つことができませんが、それにもまさる「永遠の名を与える」という祝福が約束されました (4、5節)。
そればかりか、「主 (ヤハウェ) の名を愛して、そのしもべとなった異国の民」を、主ご自身が「わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる」と約束されました (6、7節)。
そして当時、人と見られなかった「宦官」や、犬と呼ばれた異邦人を神の宮で歓迎するという意味を込め、「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる」と記されていました (7節)。
つまり、当時のイスラエルの民から軽蔑されていた人々を招き入れる礼拝の場をイエスご自身が創造される、その初めとして、イエスは宮を清められたのです。
それが現在のすべての民を招き入れる「祈りの家」としてのキリスト教会の始まりと言えましょう。
さらにイエスは続けて、当時のユダヤ人がその神が備えた「祈りの家」を「強盗の巣にしている」と非難しました。これはエレミヤ7章11節からの引用ですが、その文脈は、当時の宗教指導者が、「これは主 (ヤハウェ) の宮だ。主 (ヤハウェ) の宮だ。主 (ヤハウェ) の宮だ」と、エルサレム神殿が不滅であることを誇っていたことへの皮肉が語られた箇所でした。
実はその当時、神殿礼拝を巡って、「公正が行われ」ず、「寄留者、孤児、やもめが虐げ」られ、「咎なき者の血」が「流され」ていた現実がありました。しかし、それが反省されることもなく、神殿で「盗み、殺人、姦淫、偽りの誓い」がなされ、「バアルに犠牲」が「供え」られていました。
それを見られた主 (ヤハウェ) は、「わたしの中がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた」と言われました。
預言者エレミヤは、当時の神殿における退廃が正されることがなければ、ダビデ、ソロモンが神の導きによって建てた栄光に満ちたエルサレム神殿が跡形もなく外国の軍隊によって破壊されることを預言していたのです。
そして、エレミヤが当時の主の宮の責任者に捕らえられたように、イエスも捕えられようとしていました。
神は、私たちが集っている会堂をも「わたしの家」、「祈りの家」と呼ばれます。「祈り」とは、「礼拝」であり、その最高の模範は「主の祈り」です。
この礼拝の場の主人公は人ではありません。礼拝が、自分たちの願い事ばかりを訴える騒がしい場であってもいけませんが、また反対に静けさばかりが優先されて、子どもたちや障がいを抱えた方が集えなくなってもいけません。
しかもその場には、当時のユダヤ人たちから人間扱いされなかった「宦官」や、食生活やその他の生活習慣が全く異なりながらも「主 (ヤハウェ) に連なる異国の民」が招かれている必要がありました。
現在の教会で言えば、明らかに私たちの常識の枠を超えた振る舞いをしていながら、同時に私たちと同じ聖書の福音を信じるような人、そのような人がこの会堂にいて初めて、イエスの言われた「祈りの家」として機能していると言えましょう。
当時のユダヤ人は自分たちの都合を優先して、両替人やいけにえの動物を売る商売人を神殿の外庭を置いていました。そのため遠方から礼拝に来たエチオピアの宦官は憧れのエルサレム神殿に来ても、そこで礼拝らしい礼拝を守ることができませんでした。
礼拝の場は、まるで露天商の商売の場となっていたのです。当時のエルサレムには、神を恐れる多くの異邦人が集まって来ていましたが、彼らは当時のユダヤ人から、まだ神の民になり切れていない二流の信仰者と見られていたのです。
3.目の見えない人、足の不自由な人がみもとに来たことと、子どもたちによる賛美
それにしても、イエスの宮清めは、神殿の秩序を真っ向から否定する暴力と受けとめられ、多くの人々を敵に回し、ご自身の十字架を決定的にしました。
しかしこれによって、「すると(新改訳:また)、宮の中で、目の見えない人たちや足の不自由な人たちがみもとに来た。それで、イエスは彼らを癒された」(14節)という新しい展開が起こりました。
イエスが神殿の中での世的な利便性の論理を排除した時、世で軽蔑されていた人々が前面に出て来ることができたということに目を向ける必要があります。当時、「目の見えない人」や「足の不自由な人」は神に呪われた者と見られ、神殿に居場所がありませんでした。
しかし、神殿の外庭から商売人が追い出された時、彼らは安心してイエスに近づくことができました。彼らは、イエスのあわれみと癒しのみわざを聞いており、イエスのみもとに近づきたいと思っていましたが、お金を生み出すための空間が排除された時、彼らが安心して入って来る場が開かれたのです。
たとえば私たちがこの礼拝堂を建てようとしたとき、エレベーターの設置とより広い礼拝の場の確保を両立させることが大きな課題となりました。
このエレベーターは会堂の一番便利な場に設置されています。そのため一階集会場や二階の礼拝堂のスペースが削られ、一階には頭がぶつかる物置ができ、礼拝堂も階段スペースができたりして、椅子の数を減らさざるを得なくなりました。
しかし会堂委員会ではみなそろってエレベーターの設置を前提に工夫しようということでまとまりました。この維持費も結構な金額がかかっています。
ただ、会堂の最も貴重なスペースが、ごく少数の身体の弱さを抱えた人のために割かれていることは、私たちの教会の姿勢を何よりも現わすことに繋がっているのです。
さてそこでは、これに続いて、もう一つの大きな変化が起きました。15節は「祭司長たちや律法学者たち」が「見た」ということばから始まり、「彼らが腹を立てた」ということばで終わっています。
そして見た内容、また腹を立てた原因が、「イエスがなさった驚くべきこと」と「宮の中で子どもたちが『ダビデの子にホサナ』と叫んでいる」ということにありました。前者は、神を礼拝する場で、礼拝とは無関係な形で癒しがなされたことであり、後者は、神を礼拝する場で人間が称えられていることです。
そしてここで宗教指導者たちは特に、子どもの賛美を問題にして、イエスに向かい「子どもたちが何と言っているか、聞いていますか」(16節) と、抗議の気持ちを込めて尋ねました。
するとイエスは、「はい」と答えたばかりか、「あなたがたは読んだことがないのですか」と反対に質問しました。それは詩篇8篇2節のことばで、そのギリシャ語は、「幼子たちや乳飲み子たちの口を通して、あなたは賛美(誉れ)を回復された(打ち立てられた)」と訳すことができます。
実は、詩篇8篇のヘブル語テキストで、「力を打ち建てられた」と記されていることが、そのギリシャ語七十人訳では「賛美を打ち立てられた」と記されており、ここでのイエスのことばはその七十人訳からの引用となっています。もちろんイエスはここでギリシャ語を語ったわけではありませんから、それはマタイの解釈に過ぎませんが、その解釈も聖霊の導きで記されています。
ただし、ここでの文脈に目を向ければ、「讃美」と訳すか、「力」と表現するかには大差がありません。なぜならその直後に、詩篇8篇ではその目的が、「刃向かう者を沈黙させ、敵と仇とを動けなくさせる」ことと記されているからです。それは、常識で凝り固まった大人よりも、幼子や乳飲み子の方が神のみわざに感動して、それを素直に口に出すことができるという意味です。
私たちの発想は伝統や慣習から自由になることはできませんが、「幼子や乳飲み子」のように、心の底から自分の弱さを知っている者こそが、神のみわざに心から感動し、神はご自身の栄光を現わすことができるというのです。
子どもは神学的な枠組みから自由なため、イエスが「目の見えない人」や「足の不自由な人」を癒している姿に素直に感動し、この方こそが「ダビデの子」としての「救い主」であり、「どうぞ救ってください(ヘブル語は「ホシアナ」)」(詩篇118:25) と賛美され、祈りがささげられるべき方であるということが分かったのです。
古代教会でキリスト教信仰がローマ帝国から公認された時、多くの知識人もイエスを救い主と認めるようになりましたが、頭の良い人々は、イエスを創造主として崇めることは、「神が唯一である」という聖書の根幹に反すると思い、御子も聖霊も神であると告白する三位一体の教理に反対しました。
しかし当時の一般民衆は、そのような理屈を飛び越え、「イエスが創造主でなければ罪人は救われようがない……」と単純に考え、御父、御子、御霊なる神を賛美しました。それこそが、現在の頌栄の起源だと言われます。
ですから、三位一体の教理こそ、幼子や乳飲み子の賛美が勝利したしるしとも言えます。
そればかりか、これは私たちの心の宮の問題でもあります。目の前の計算に忙しい両替人のテーブルにとって子どもの存在は邪魔です。同じように、心が忙しすぎるなら、自分の中に住む子どもの声を窒息させ、喜びがなくなります。
目の前の子どもを受け入れることは、自分の中にいる子どもの気持ちを受けとめることでもあります。「あなたがたのからだは……神から受けた聖霊の宮である」(Ⅰコリント6:19) と記されているように、神の前での沈黙によって心の宮清めをも行なう必要があるかもしれません。その時、あなたの内側に、真心からの神への賛美と、自由な喜びが生まれてくるのではないでしょうか。
マルコ福音書では、目の見えない人や足の不自由な人、子どもの賛美の記述がない代わりに、「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」という表現に「あらゆる民の」ということばが付け加えられています (11:17)。この方が正確なイザヤ書の引用です。
神は外国人や宦官を指しながら、「わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる」と約束されたことの理由が、「なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ」と記されていたからです (イザヤ56:7)。そしてそれこそが世界における平和(シャローム)の完成のしるしでした。
イザヤは豊かな者たちの自己満足の礼拝を非難し続けていました。その欺瞞に満ちた礼拝が正される時、主 (ヤハウェ) は、「わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように……安息日ごと、すべての肉なる者がわたしの前に来て礼拝する」と言われました (66:22、23)。
つまり、「あらゆる民」を含む礼拝の完成こそ、世界のゴールなのです。この地の礼拝は、天で実現するこの理想の礼拝を、目に見えるように現わそうとするものです。
ただし、「あらゆる民」を教会に迎えようとする時、様々な困難があります。それぞれの感性、習慣等が余りにも異なるからです。互いへの尊敬がなければ一緒に礼拝はできません。一人ひとりに聖霊の賜物が与えられるのは、異なった背景を持つ人々が互いに仕え合うためです。
それぞれに固有の使命が与えられています。「私などが……」と互いに遠慮し合うことで、孤立感を味わう人もいます。
また、奉仕への無責任によって、礼拝全体の雰囲気がしまりのないものになる場合があります。安易な甘えは、御霊の働きを消すことになります。なぜなら、聖霊の働きは、自分の限界を超えて使命を果たそうと願うところにこそ働くからです。
それは小さなことから始まります。あなたと並んで礼拝している「神の家族」に対して無関心であって良いでしょうか?もちろん興味本位に他人のプライバシーに立ち入ってはなりませんが……。
たとえば、「家庭に、くつろぎを期待したら、互いのわがままがぶつかり合う。家庭は仕え合う場である」と言われることがあります。仕え合おうとする時、結果的に安らぎが生まれます。
この「祈りの家」も同じです。くつろぎを期待するなら、わがままがぶつかり、人を退け、自分の弱さをも退ける結果になります。一人ひとりが「あらゆる民の祈りの家」を建てるために召されています。