この状況下で、今この時に不安と不満を抱くのは当然とも言えますが、「私の時」ではなく「神の時」にすべてが美しいと言える状態へと変えられるというのが本来の趣旨かと思います。
1月2日の詩篇91篇の礼拝メッセージでも語りましたが、ペストの感染爆発で、教会が急成長した時期と、衰退した時期の両方があります。ペストの脅威から守られることばかりを願った時期には教会が衰退しました。
しかし、ペストの中で、自分に問われていることに恐れずに向き合った時に、感染症を通して信仰者の働きが輝き、教会が成長しました。
キリスト者は、すべての状況が神のご支配の中にあると信じることができます。だからこそ、危険の中にも飛び込んで、問題と戦い、悲惨な状況をさえも益に変えていただくことができます。
それはドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」の中で書いているような生き方です。長老ゾシマは主人公アリーシャへの遺言として次のように語りました
多くの敵を持つことになっても、その敵たちさえ、おまえを愛するようになる。
人生は多くの不幸をおまえにもたらすが、それらの不幸によっておまえは幸せになり、人生を祝福し、ほかの人々にも人生を祝福させるようになる。これが何より大事なのです。おまえはそういう人間なのですよ。
彼はこの未完の長編小説で、そのような人生を描きたかったのではないでしょうか。
私はあるとき、「In His time」(御手のなかで)という英語の賛美歌を聞きながら、深い感動に満たされました。その原歌詞は次の伝道者の書3章10、11節をもとに記されています
私は見た。神が人の子らに労させようと与えた仕事を、
神が、すべてをご自身の時に美しくしておられるのを、
また、彼らの心に永遠を与えておられるのを。
それでも、人は、神のなさるみわざを、
初めから終わりまで見極めることはできない。(私訳)
それを聞きながら、私の心には以下のような祈りが生まれました。
私の働きが何の実も結んでいないと 空しく思われたその時、
神は、私の時ではなく、ご自身の時を待つように言われました。
神の時に、神の時に、神はすべてを、美しくしてくださいます。
主よ、あなたは、私に、永遠への思いを与えてくださいました。
ですから、私はすべてが明らかにされる時をただ待ち望みます。
主よ、日々私に、今ここで、何をなすべきかを教えてください。
私の時ではなく、あなたの時に、すべてが美しくされますから、
それを信じて、今、私はあなたをたたえながら歩んでゆきます。