僕の私訳交読文を紹介させていただきながら講義しています。ヘブル語のリズムを生かした私訳交読文を実際に交読すると、詩篇の感情表現がとっても身近に感じられると言っていただき、上機嫌で帰ってきました。
今日お話ししたのは、詩篇の歌が、既に起きつつあることの大枠を神のみわざとして喜びながら、同時に、その完成途上にある悲しみやうめきを表現するということです。喜びとうめきが並行して記されます。
これはたとえば、現在、新型コロナは確実に収束期に入っています。もちろん、この冬にかけて第六波が広がる可能性がありますが、ワクチン接種が進んでいることと治療薬が次々と開発されていることを考えれば、大きな山を越したことは間違いありません。
それは現在、エズラ記で学んでいるバビロン捕囚からの解放の時期と同じです。そこには下記の詩篇にあるような大きな喜びがあります
詩篇126篇交読文
都のぼりの歌
主 (ヤハウェ) がシオンを復興してくださったとき
私たちは夢を見ている者のようであった。
そのとき 私たちの口は笑いで満たされた。
私たちの舌も喜びの叫びで……
そのとき 諸国の人々は言った。
「主 (ヤハウェ) は彼らのために偉大なことをなさった」
主 (ヤハウェ) は私たちのために偉大なことをしてくださった。
それが私たちの喜びとなった。
私たちの繁栄を回復してください 主 (ヤハウェ) よ。
ネゲブの流れがそうなるときのように。
涙とともに種を蒔く者は
喜び叫びながら刈り取る
種入れを抱え 泣きながら出て行く者は
束を抱え 喜び叫びながら帰って来る
私たちは今、コロナから解放されつつあることを心から喜ぶべきでしょう。
しかし同時に、この詩篇の後半では、「私たちの繁栄を回復してください、主よ。ネゲブの流れがそうなるときのように」と祈られています。
バビロン捕囚からの解放で、すぐに神殿が建ったわけではありません。そこには期待外れの絶望感もありました。その中で、主への熱い祈りが生まれます。
ネゲブの流れのように……というのは、乾期にまったく川の流れが見えたところが、雨季には驚くべき水流の流れになることを思い、そのように、繁栄の回復を実現してくださいと、神にすがる祈りです。
そしてその後が、涙や悲しみが 喜びの叫びになるという大きな転換が歌われています。
私たちの生活には、日々、いろんな悲しみや不安があります。しかし、そんなときに、この詩にあるような大枠の回復をまず大きく喜びながら、目の前の不安を神様に訴えるという姿勢が大切かと思わされました。