明日の礼拝ではマタイ20章1–16節の「ぶどう園の労働者のたとえ」からお話ししますが、これを現代の日本で課題になっている同一労働同一賃金の理想からすると、とんでもない不条理とも言えます。
何しろ、最後の一時間しか働かなかった人は、12倍の時給を得たことになるからです。これ以上は、明日のお楽しみ、ぜひマタイ18章以降の流れをご覧ください。
昨日のNHKニュースウオッチ9を見ていたら、このコロナがチャイナウィルスと呼ばれる中で、米国でアジア系住民に対するヘイトクライムが過激化してる一方、ご高齢のアジア系住民を援助するボランティア組織も活動を活発化しているという報道がありました。
ある若い白人女性はこの現象に心を痛め、その働きに加わり、ご高齢のアジア系女性のお買い物とか散歩に寄り沿いながら、助ける方も助けられる方も、両方が生きがいを感じ喜んでいるようすが描かれていました。
2018年に日本の内閣府が世界7か国の13歳から29歳の若者の意識調査をしてその結果が公表されています。それによると日本の若者にボランティア活動に参加したい気持ちがあるかどうかを尋ねたところ33.3%の人が「ある」と答え、48.1%の人が「ない」と答えたとのことです。これが米国では、「ある」が65.4%、「ない」が23.5%でした。ドイツは「ある」が49.6%、「ない」が30.8%でした。
残念ながら、日本の若者は米国の若者に比べて、誰かの役に立つことに喜びを感じる人の割合が極端に低いようです。目立つことを嫌う国民性の故でしょうか?それにしても、ボランティア活動に「参加したくない」という若者が、「参加したい」という若者よりはるかに多いというのは、何か根本的な問題があるのかもしれないとも思います。
一方、2006–2008年の調査でのボランティア国際比較という調査があり、そこでは各国の全人口の中でボランティア活動に参加したことのある人の比率があげられていました。そこでは米国が41.9%、日本が24.7%、中国がたったの3.9%でした。共産党政権下の中国がボランティアに一番後ろ向きというのは面白い結果ですが、独裁政権下ではほとんど同じ現象が見られるようです。
聖書では、「主イエスご自身が『受けるよりも与える方が幸いである』と言われたことばを覚えているべき」と記されています (使徒20:35)。
人はすべて「神のかたち」に創造されていますから、心の底で、誰かのお役に立つことによって生きがいを感じることができるという意識を持っています。
それからすると、ご高齢になって、「私は人の負担になっているばかり……」と思うことは、とっても辛いことかと思います。しかし、たった一言、「ありがとう!」と言って、笑顔で人の助けを受けることで、生きがいを感じる若者も多くいます。
「喜んで助けてもらう」ことで、若い人々に喜びを与えることができるという交わりの形成が、この日本の若者意識を変えるきっかけになるかもしれません。
同一労働、同一賃金の基準は、非正規雇用、女性差別の問題に対してはとってもとっても大切な概念です。しかし、人が働きたいと思うのは、基本的に「お金のためではない……」という面も決して忘れてはならないと思います。
また多くの日本のサラリーマンも、「お金のためだけなら、こんな苦労は引き受けない……」と思って、身を削るようにして働いています。
仕事は、何のためにあるのか、何のために働くのか……そんなことを考えながら明日の礼拝メッセージにご期待いただけると幸いです。