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私たちはギャングや「やくざ」からの感動的な悔い改めの物語に感動します。しかし、ギャングをすぐに止めようとしても、止められない悲惨なスラムがあります。ここで紹介されているアンディという牧師は、昔、企業の立ち上げや買収にからむ金融取引で大もうけした人ですが、あるとき、麻薬依存から必死に立ち直ろうとしている人の姿を見て、彼らの方が真剣に人生と向き合っているという感動を覚え、牧師への道を志します。
そして今、南アフリカのケープタウンのスラムのギャングの抗争地帯に単身で乗り込んで、彼らが殺し合いを捨てて、互いに生かし合う道がないかをともに探ろうとしています。
ギャングにすぐに「麻薬と銃を捨てる」ように説くようなことをしません。そんな当たり前のことを言っても、相手は耳を貸さないからです。その代わりに、今ここで可能なこと、ギャングが互いに殺し合う復讐の連鎖を止めるように、まず必死で説いて行きます。その際、牧師として何よりも、抗争で亡くなられた方の葬儀を大切に導くことから始めます。
昨年は、ギャングの若者に、コロナ感染で困窮している家庭を助ける、緊急支援の手伝いをさせました。若者たちは、人助けの喜びを体験できました。
今は、とっても安価な火災報知機を売る商売を指導しています。
その現地の働きを任せるのは、ギャングの幹部ですが、その幹部は、ギャング仲間を見捨てることはできないから、自分の街を離れることができない……と言っている人です。
人と人との信頼関係を築きながら、彼らがその交わりを生かしながら、生きることができる道をともに探っているのが、このアンディーという牧師です。
従来のキリスト教伝道というと、「ギャングからすぐに足を洗う……」ことを勧めることしか考えなかったと思いますが、ギャング自身が自分たちの交わりを生かしながら、新しい生き方を模索できるように助ける……という寄り添い方があるということに感動しました。
詩篇8篇には、すべて人間が、「神のかたち」に創造されており、創造主ご自身から特別に期待された生き方があるということが記されています。
まず、間違った道からすぐに足を洗うことを勧める代わりに、置かれた場でできること、復讐の連鎖を止めることなどから始まり、自分たちで創造的な生き方を発見できるように、寄り添う……という生き方に感動しました。
一人ひとりのうちに残されている「神のかたち」としてのすばらしさに目を留め、それを励まし育てている生き方、同じ、金融の世界から牧師になった者としてとっても教えられました。
詩篇8篇での創造主への賛美には次のように記されています。少し分かりにくいかもしれませんが、私たち人間は、創造主である神より「わずかに低いもの」として、極めて創造的な生き方ができるように創造されています。私たちはこの世界とすべての生き物を愛のうちに治める能力が与えられています。それは私たちが互いに助け合うという生き方を通して実現されます。その生き方は、イエス・キリストご自身が模範です。悪の道から立ち返る福音以前に、今ここでできる「神のかたち」としての創造的な生き方に目覚める……それこそが聖書の福音ではないでしょうか。
詩篇8篇3–9節 私訳
あなたの指のわざである天を仰ぎ見、
あなたが配置された月や星を見ますのに、
人とは、何者なのでしょう。これを御心に留めてくださるとは。
人 (アダム) の子とは、何者なのでしょう。これを顧みてくださるとは。
あなたは彼を、神よりわずかに低いものとされて、
栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいます。
あなたは御手のわざの数々を彼に治めさせようと、
すべてのものを彼の足の下に置かれました。
すべて、羊も牛も、また、野の獣も、
空の鳥、海の魚、海路を通うものも。
主 (ヤハウェ) よ。私たちの主(主人)よ。
御名は全地で、なんと威厳に満ちていることでしょう。