詩篇の祈り、御手の中で

なぜ、詩篇を祈るのか?2020年4月1日から6月初めまで毎日のように詩篇の祈りを配信し、その後は週に3回程度の配信を行ってきております。それにしても、「なぜ、詩篇の祈りなのですか?」、「この不安の中でもっと、分かりやすいメッセージが欲しい……」という声もあることは承知しています。

しかし、今、何よりも、この世界で求められているのは、「悲しむ者とともに悲しみ」、今ここで自分にできることを行って行くということではないでしょうか?私たちは今、このコロナ蔓延の神学的な意味を知りたいと思うかもしれませんが、残念ながら、傷んでいる人の気持ちを逆なでするような解説がときに見られます。

私たちがこのようなときに問うべきことは、「なぜ?」と質問よりも、「何を?」ということかもしれません。英国の感染爆発が始まったときに、政府が、国立健康サービスへの非専門員を含むボランティアを募った時、たちまちのうちに約50万人もの申し込みがあったとのことです。ところが、この日本では、「医療従事者とその関係者を差別しないように……」という何とも情けない訴えがなされる必要があったほどです。

欧米のキリスト教国では、苦難のただ中に入り込んで、「ともにうめく」という動きが見られる一方、この日本では「忌まわしいことから身を遠ざける」という精神になりがちでした。

それは残念ながらキリスト教会の風潮にも表れます。礼拝の場を開き続けるかどうかに関しても、周辺住民の方々からの評価を意識した判断が先行した面があるとも聞いています。そこには、問題のただ中に入るというよりは、問題を遠ざけるという意識が働いているような気がします。

もともと、私たちの主ご自身が犯罪人として十字架にかけられたのに、今更、社会の評価を気にして礼拝堂を閉じるようなことがあって良いのか……とも思います。もちろん、それぞれの教会には、固有の事情がありますから、勝手な判断は控えるべきですが……。

ローマ人への手紙8章22節から26節には、この世界の痛みに対しての三重のうめきが描かれています。第一は「被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています」(22節) という世界の「うめき」です。コロナ蔓延とともに世界中に悲しみのうめきが満ちています。それとともに生まれるのが、「御霊の初穂をいただいている私たち自身」が、「心の中でうめいています」という、世界のいたみに共感する「うめき」です (23節)。

これは「私たちのからだが贖われることを待ち望みながら」とあるように、私たちの栄光の復活にあずかるとき、この世界の全ての矛盾がなくなり真の平和 (シャーロム) が実現することを待ち望みながら、今は、「うめく」ということです。

ただ、たとえばこの感染症に対する様々な対応や、経済対策に関しての様々な意見を聞きながら、また先のボランティアの可能性も聞きながら、自分の家族のことも考え、また知らないうちに自分自身がウィルスを運ぶ可能性があることも考えながら、「今、何をどうしてよいか分からなくなる……」ということもあります。実は、多くの問題はその本質を知れば知るほど、「あちらを立てればこちらが立たず……」という矛盾と葛藤が見えて来るはずです。多くの人が批評家的な発言ができるのは、実は、「真の実情を知らないから……」ということがあるかもしれません。

そのようなときに生まれるのが、「私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださる」(26節) という、聖霊ご自身の「うめき」です。「聖霊のうめき」とは何とも不思議ですが、これはイエス様のゲッセマネの園の祈りのようなものです。また詩篇に登場するさまざまな解決の見えない自分の感情を注ぎだす祈りです。今回の詩篇ディボーションの発信はそのような祈りから始まっています。

そこから必然的に生まれる結論が、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、神がすべてのことを働かせて益とすることを、私たちは知っています」という「確信です」。どのように祈ったらよいか「分からない」という部分と、「すべてが益とされることを分かっている」ということの対比が興味深いです。

しかも、この「益とされる」とは、あなた個人に関してのことというより、この世界全体にとって益となるということを示しています。大切なのは、世界の痛みに共感して祈る、ことから、今ここで、自分に迫って来る働きが見えて来るということです。それはほんとうにごく些細なことかもしれません。今、あなたの身近なところで痛んでいる人のために「ともにうめく」ことから、今できる、何かが生まれてくる……そのように祈って行きたいと思います。

この期間、私たちは礼拝の中でしばしば「御手の中で」という有名な歌を味わってきました。日本語の歌詞は、以下の通りです。

御手の中で すべては変わる賛美に
わが行く道を 導きたまえ あなたの御手の中で
御手の中で すべては変わる感謝に
わが行く道に 現したまえ あなたの御手のわざを

でもこれはなかなか本来の歌詞の意味を訳しきれてはいません。以下のサイトで、美しい英語のオリジナルを味わうことができます。とってもやさしい英語です。以下にその逐語訳を記させていただきます。

In His time, In His time,

主の時に、主の時に、

He makes all things beautiful in His time

主はご自身のときにすべてのことを美しくしてくださる

Lord, please show me everyday,

主よ、日々、私に教えてください。

as You’re teaching me Your way,

あなたの道を私に教えながら、

that You do just what You say,

あなたがご自身の時にご自身のことばを実現してくださることを

in Your time.

あなたのときに、

In Your time, In Your time,

あなたの時に、あなたの時に、

You make all things beautiful in Your time

あなたはすべてのことを美しくしてくださる、あなたのときに

Lord, my life to You I bring,

主よ。私のいのちをあなたのもとに携え行きます。

May each song I have to sing

ですから、私が歌うすべての歌が、

be to You a lovely thing, in Your time.

あなたの時に、あなたにとってうるわしいものとなりますように

この背後には伝道者の書の以下のみことばがあります

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

神はまた、人の心に永遠を与えられた。

しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまで

見極めることはできない (伝道者の書3章11節)

伝道者の書3章9-15節私訳

働く者は、その労苦から何の益を得るのだろう。

私は見た。神が人の子らに労させようと与えた仕事を、

神が、すべてをご自身の時に美しくしておられるのを、

また、彼らの心に永遠を与えておられるのを。

それでも、人は、神のなさるみわざを、

初めから終わりまで見極めることはできない。