詩篇121篇「私は山々に向かって目を上げる」〜詩篇121篇

多くの人々は詩篇121篇をご自分の詩篇として愛唱しておられます。それにちなんだ賛美も多数あります。今まで多くの交読文を作ってきましたが、詩篇121篇がなかったことに気づき改めて作ってみました。味わっていただければ幸いです。今度はエズラ記1、2章からメッセージしますが、礼拝の最初ではこの詩篇を交読します。また一番最後に、英語で申しわけないですが、美しい映像と共にこの詩篇の賛美をご紹介します。

詩篇121篇
都のぼりの歌

私は山々に向かって目を上げる。
どこから私の助けが来るのだろう。
私の助けは 主 (ヤハウェ) から来る
天と地を造られたお方から。
主は あなたの足をよろけさせはしない。
あなたを守る方は まどろむことがない。
見よ まどろむこともなく 眠ることもない
イスラエルを守る方は。
主 (ヤハウェ) は あなたを守る方
主 (ヤハウェ) はあなたの右にいて 手をおおう陰。
昼も太陽が あなたを打つことがない
夜にも月が……。
主 (ヤハウェ) は すべてのわざわいからあなたを守り
あなたのたましいを守られる。
主 (ヤハウェ) はあなたの 行くのも帰るのも守られる。
今よりとこしえまでも。

 

解説

最初のことばは、「私は目を上げる、山々に向かって」と記されています。この「山々」とは「高き所」と呼ばれる偶像礼拝の場であるとも理解できます。それはエレミヤ3章23節に「もろもろの丘も、山の騒ぎも、偽りでした」と記されているようなことを思い浮かべさせます。一方、エルサレム神殿への巡礼の旅の最終段階で、海面よりも400m近くも低いヨルダン渓谷から、標高約800m以上もあるオリーブ山に続く峰々を見上げて標高差1200mの登山の助けがどこから来るのかと、途方に暮れている場面とも理解できます。また、文脈からは若干外れるかもしれませんが、神の創造のみわざとしての美しい山々を見上げて、自分の人生がどなたに依存しているかを思い巡らすということでもよいかもしれません。大切なのは、どの解釈を取ったとしても、「私の助けは主 (ヤハウェ) から来る。天地を造られたお方から」というメッセージにあります。

3–8節では6回にわたって「守る」ということばが繰り返されます。まず最初に、「主は あなたの足をよろけさせず」という意味で、主は「あなたを守る方」と呼ばれます。その理由が、その方が「まどろむこともない」からと説明されます。主は、私たちの歩みの一歩一歩を見守ってくださるというのです。そしてその方がさらに「イスラエルを守る方」と呼びなおされ、さらに、「まどろむこともなく 眠ることもない」と繰り返されます。

さらに「主 (ヤハウェ) はあなたの右手をおおう陰」と言われますが、これが具体的に「右手」を守ってくださるというより、詩篇110篇5節で、「あなたの右におられる主は  御怒りの日に 王たちを打ち砕かれる」と記されていたように、主が私たちを敵の攻撃から守ってくださる方であるという意味です。その二つの攻撃が、昼の熱い太陽に打たれることであり、夜に月に打たれることです。それは当時、月の光が人間の理性を失わせると恐れられていたからだと思われます。英語で moonstruck(月に打たれた)ということばが狂気の意味になっているのはそのためかもしれませんが、ここでは夜の月明かりの中で盗賊に襲われることも含めて、そのように記されているとも考えても良いでしょう。

そのことが7節で、「主 (ヤハウェ) は すべてのわざわいからあなたを守り」とまとめられます。さらに「あなたのたましいを守られる」と重ねて記されるのは、肉体の命を超えた「永遠のいのち」を指しているとも考えられます。さらに8節での「行くにも帰るにも……守られる」とは、日常の生活の中で、城壁に囲まれた町を出て野で働き、また戻ってくるということさえも、主ご自身が「今よりとこしえまで」守ってくださるという意味です。

詩篇44篇23節などでは、この詩篇とは反対に、「起きてください。主よ なぜ眠っておられるのですか。目を覚ましてください。いつまでも拒まないでください」と訴える祈りがあります。しかし、使徒パウロはその直前の「あなたのために 私たちは休みなく殺され、屠られる羊とみなされています」というみことばを引用しながら、「しかし、これらすべてにおいても私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」と告白しています (ローマ8:36、37)。つまり、パウロは神が眠っておられるように思える苦難の中で神に訴え続け、そのことをとおして、主は「まどろむこともなく 眠ることもない……主は今よりとこしえまでも守られる」という現実を体験できたのです。

祈り

主よ、たとい私たちの人生に、神が眠っておられるように感じられることがあっても、あきらめずに、あなたの助けを求めることができるように、私たちの祈りを導いてください。そして、主が「私を守る方」であることを力強く証しさせてください。