心の耳を開かれる〜詩篇40篇

昨晩、高齢者として、ワクチン接種の二回目の予約を6月二週目に入れることができて、ふと洋子とともに「この夏どうしようか……」と考えているところです。

不思議な信仰な歩みをしている友人から以下の海援隊の懐メロ、「思えば遠くに来たもんだ」を紹介してもらい、自分の信仰の歩みも振り返るきっかけになりました。

この歌の文脈と僕の人生の文脈はまったく異なりますが、「思えば遠くに来たもんだ」という歌詞が、妙に心に残ります。僕の少年時代にも線路に耳を当てるということはよくありました。今は絶対にやってはいけないことですが……

それにしても、私たちもどこかで、神によって心の耳を開かれることで、それぞれの今の歩みにつながっているのではないでしょうか。

詩篇40篇6–8節に次のように記されています

あなたは いけにえや穀物のささげ物を
お喜びになりませんでした。

あなたは私の耳を開いてくださいました。

全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物を
あなたは お求めになりませんでした。
そのとき 私は申し上げました。

「今 私はここに来ております。
巻物の書に私のことが書いてあります。
わが神よ 私は
あなたのみこころ(ご意思)を行うことを喜びとします。
あなたのみおしえは
私の心(腹)のうちにあります」

聖書の中に私たち一人ひとりの人生のことが書いてあります。

もちろん、具体的にどこで生まれて、何をする……という歩みではありません。しかし、広い意味で、神の愛の御手の中に包まれて歩んでいくという、不思議な歩みです。

神の「みこころ」というのも、そう難しいことではありません。

「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です」(ピリピ2:13) と記されている通り、神は私たちの心のうちに、「私はこれを行いたい!」という意思をお与えくださいます。

僕もある意味で、今、ここで牧師としての働きをしたいという熱い思いが与えられているから、ここで生きているに過ぎません。

お一人おひとりのうちに、神様はそのような思い、使命感をお与えくださいます。

その際、「あなたが使命を探す」というより、「使命の側があなたを探している」という逆説を大切にしたいと思います。

自分の中に沸き起こる様々な問題意識、それこそ、神の語りかけと言えるのではないでしょうか。

以下のような賛美を味わっていただきたいと思います。

開いてください、心の目を
さらに深く 主を知るために。
開いてください、心の耳を。
さやかな御声を 聞き取るために

このもととなった英語の歌を紹介します。わかりやすい英語の歌詞が映ります。