no risk no life あなたの道を主に委ねよ〜詩篇37:5

今朝ほど、日本が30年間連続で世界最大の純債権国の地位を守っているとの報道がありました。以下でその をご覧いただけます。

日本の企業や個人が外国に持っている資産と、外国人が日本で持っている資産 (日本の借金)の差額、が対外純資産と呼ばれますが、これは昨年約357兆円で30年連続世界一でした。ちなみに、第二位はユーロの特殊事情があるドイツ、第三位は経済大国となった中国です。

これは日本は世界一のお金持ちという誤解を与える数字とも言えるかもしれません。それに対し、米国は世界最大の借金国で、対外純債務は1200兆円にも達しています。

最近のワクチン開発、また情報技術産業などにおいて米国が圧倒的な地位を保っています。そして世界中のお金が、米国の産業に投資することによって利益を得ることができるからです。「アメリカが借金をしている……」というよりも、「世界中のお金がアメリカに流れている」のです。それは米国の魅力のシンボルとも言えます。

お金はいつも流れ先を求めています。日本のお金が海外に流れて行き、反対に海外のお金が日本に集まって来ないのは、多くの人々が日本に希望を見出せなくなったためとも言えます。産業の成長力が弱まっているのです。

1990年のバブル崩壊以降、日本はすべてにおいて安心、安全を第一として、リスクを冒して、新しいことを始める気風が失われています。

昔の仕事の絡みで株式市場のことが気になりますが、最近の株価上昇がバブルの再来かのように言われることがありますが、日本の一部上場の会社の株式配当利回りは平均で2.1%にもなっています。それはたとえば100万円相当の株を保有していると毎年2万円余りの安定的な配当を受けられるということです。それに対し、ゆうちょ銀行の定期預金では一年に20円の金利しかつきません。

しかし、30年前のバブル崩壊以降、多くの方々は、株が怖い……というイメージを持っています。もちろん、株価は簡単に半分に下がったりします。ですから素人が安易に手を出すべきことではない……ことは確かです。

どうかくれぐれも、「高橋先生から株を勧められた……」などと短絡的なことを言わないようにお願いします。

僕が何よりも言いたいのは、日本全体が今、安心安全を求めるあまりに萎縮していて、リスクを取ろうとしない雰囲気があるということです。それが象徴的に表れているのがいまだに30年前の高値を超えることができない株式市場です。

日本では、何か新しいことを始めるにしても、いつも、どのように周囲に説明責任を果たせるかと言うことが気になってしまいます。

先日、ワクチン接種を受け行ったら、同じ時間に予約を取っている人は、数名しかいませんでした。あまりにも手続きに慎重を期すぎているような気がしました。

何か大切なことを始めようとするときには、必ず危険が伴います。安心安全を第一としすぎる結果として、ワクチンの開発も接種も遅れているという現実があるような気がします。

またこのコロナ蔓延の時期、だれも明日のことは分からなくて当然なのに、あまりにも、責任者への追及が厳しくなっているような気がします。これでは誰も怖くて責任を担うことができなくなります。

僕が聖書のタラントのたとえなどをご紹介したら、ある金融の専門家が、それを「no risk, no life」と表現してくれました。

それは、「危険を冒さなければ、いのちの喜びもない」という意味になります。

詩篇37篇5、6節には次のように記されています

あなたの道を主 (ヤハウェ) にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる
主は あなたの義を光のように
あなたの正しさを真昼のように輝かされる

以下は拙著「職場と信仰」第10章タラントのたとえとその関連——に書いたさわりのぶぶんです。

タラントのたとえ(マタイ25章)

Talent(タレント)ということばを1960年版の英和大辞典で調べると、「発達させて世のために役立てるように神から人に委ねられたと考えられる素質、才能、〔聖書〕マタイ25:14–30のたとえ話しから」と記されていました。それほどにこのたとえは、現代の文化に影響を与えています。

マタイの福音書25章14–30節のたとえで、その初めの「天の御国は○○のようです」(14節) とは、この福音書で繰り返される表現ですが、いわゆる「天国」ではなく、目に見えない神のご支配の現実を描写したものです。

神は「旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人」にたとえられます。それは、神がご自身の民にこの世の働きを任せ、その結果を問われるからです。

その際、「それぞれの能力に応じて」(15節) 預ける額に差があります。一タラントは六千デナリであり、当時の労働者や兵士の約二十年分の給与に相当します。現代の日本の平均年収の感覚で仮に年収五百万円の人なら一億円に相当するとも言えます。それで計算すると、五タラントとは五億円を、二タラントとは二億円を預けられるようなものとなります。

多くの人の感覚なら、額が大きすぎて、これで「商売」を始める気にはならないかもしれません。ところが、五タラント預けられた人も、二タラント預けられた人も、主人が旅から帰って来るまでという短期間に、それを二倍に増やしたというのです。これは、大きなリスクを取る大胆な商売をしない限り不可能です。

なおここで「五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントもうけた」と記されています (16節)。これは与えられた才能を生かすという適用以前に、具体的なビジネスの話として、まずは受け止める必要があります。

ここでの「商売をする」という動詞は通常は汗水をたらして手作業のような「仕事をする」という意味でのことばです。

また「もうけた」ということばも、努力または投資によって「利益を得た」という意味です。とにかく、この五タラント預けられた人は、全身全霊をかけて仕事をして、五億円を十億円にするような結果を出すことができたということです。

一方、一タラントしか預けられなかった人は、そのお金を失うことを恐れるあまり、「地面に穴を掘り、主人の金を隠した」と描かれます (18節)。

この人は、「この役に立たないしもべ」としてさばかれ、神の民から締め出され「泣いて歯ぎしりする」というのです (30節)。実は、預かったお金を倍にすることは、半分になるリスクを冒すことと裏腹です。

しかしそれは、先の詩篇37篇の「あなたの道を主にゆだねよ」という、主との交わりを体験する機会にもなり得たのです。

主は、あなたがリスクを恐れるあまり、才能を眠らせてしまうことを何よりも嫌われます。

このタラントのたとえ、ルカでのミナのたとえを、仕事においてどう考えるかは拙著をお読みいただければ幸いです。