東京の緊急事態宣言下であるにも関わらず新型コロナ感染者数が減少しません。まさに変異種の感染力のすさまじさの故です。
不安の日々をお過ごしの方が多いことと思います。そのような中で、ふと感じたことを分かち合わせていただきたいと思います。
明日のことが見えない中で、多くの人は不安に駆られています。そして、しばしば、その「不安」が、「怒り」として現れます。
私たちは見通しのつく世界の中で安心していたいと思いますが、それを邪魔するものに怒りが湧いてきます。
それがたとえば、東京オリンピック開催に対する怒りとして現れます。
このような時期には、人々は怒りの矛先を向ける対象を求めると言われます。それが「生贄(いけにえ)探し」として現れることもあるようです。魔女狩りの対象とされた人はたまったものではありません。
ダビデは自分に危険が迫って不安にさいなまれているとき、次のように祈りました
私をあわれんでください。神よ。
私をあわれんでください。
私のたましいは あなたに身を避けていますから。
私は滅びが過ぎ去るまで 御翼の陰に身を避けます
詩篇57:1
「滅びが過ぎ去るまで」ということばを、「コロナ猛威が過ぎ去るまで」と理解すると面白いと思います。
ダビデは、洞穴に身を潜めて、サウルの攻撃を避けていましたが、それがサウルとの関係の逆転のきっかけになります。彼はサウルを殺す機会が訪れたのに、神に裁きを委ねて、部下の刃を鎮めさせて、サウルの和解のことばを引き出すことができました。
「御翼の陰に身を避ける」なかで、不思議な展開が起きたのです。私たちも同じように、自分の不安感を主に告白するときに、そこに不思議な展開が生まれる可能性があります。
不安を押し込めると、それが怒りとなって現れます。しかし、不安を主に告白すると、そこから愛が生まれるという逆転があります。
今週木曜日は、復活したイエスが天に昇ったことを記念する昇天記念日です。今朝、NHKラジオでその解説とともに以下のバッハの昇天記念オラトリオが流れていたとのことです。
復活のイエスは40日間弟子たちにご自身を現わし、その後、天に昇って行かれました。それは弟子たちにとっては不安を掻き立てる時でしたが、そこから10日後にはペンテコステの喜びになります。
キリストの昇天は、私たちの罪のために十字架にかかられたイエスが、父なる神の右の座について、全世界を治めはじめる契機になります。
先の詩篇57篇ではその後、「私のたましいは うなだれています」(6節) という絶望感が告白された後、感謝の歌へと変わって行きます。
私のたましいよ 目を覚ませ。
琴よ 竪琴よ 目を覚ませ
私は暁を呼び覚まそう。
主よ 私は国々の間で あなたに感謝し
もろもろの国民の間で あなたをほめ歌います。
あなたの恵みは大きく 天にまで及び
あなたのまことは天にまで及ぶからです。
神よ あなたが天で
あなたの栄光が全地であがめられますように (8-11節)
バッハのキリスト昇天オラトリオは「神をそのもろもろの国にてあがめよ」という賛美から始まります。この背後に、詩篇57篇8-11節があるように思われます。
しかし、この詩篇の始まりは、不安のただ中で「御翼の陰に身を避けます」という告白から始まります。
不安感を主に告白するところから 主への感謝と賛美が生まれるという信仰の不思議を味わってみたいと思います。
祈り
主よ、私たちの目の前に様々な不安要因があります。私はそのような中で御翼の陰に身を避けます。どうか、あなたが天から助けを送って私を救い、あなたへの賛美を私の心の底に生み出してください。