私たちはしばしば救いの喜びを失い、倦怠感の中に落ちることがあります。そのとき「自由の霊」によって支えられるようにと祈ることができます。
イエスの十字架の意味が次のように簡潔に表現されます。
血を注ぐことなしには、解放は実現しません (ヘブル9:22私訳)
私たちは今なお、新型コロナ感染恐怖の中に置かれています。いろんなことに制約がかけられています。早くこんな状態から「解放」されたいと思います。しかし、この世での様々な不自由を味わってこそ、解放の喜びが分かります。受難節を経ることなく復活祭(イースター)の喜びは分かりません。
冒頭のみことばは、「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません」と訳されます。それはイエスがご自身の血を十字架で流すことなく、私たちの罪の赦しは実現しなかったことを印象付ける良い訳ではありますが、厳密には、「血を注ぐことなしには、解放は実現しません」と訳すことができます。「血を注ぐ」とは、神殿の至聖所の契約の箱の上の贖いの蓋に血を注ぐことを示唆しており、ヘブル書の文脈では、イエスが十字架で流したご自身の血を天の聖所に携えて行って、そこに注ぎ、それによって私たちが罪と死の支配から解放されることを指しています。
そして私たちの「解放」のことがローマ8章15節では次のように記されます
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊 (the Spirit of Sonship) を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます
私たちは「恐怖の奴隷」状態から既に解放されました。私たちは罪と死の力に打ち勝ったイエスと同じ、「神の子 (A Son of God)」の立場が与えられています。自分の中にその立場が与えられる創造主である聖霊が宿っています。
イエスの十字架の血がどれだけ圧倒的な解放をもたらしてくださったかを覚えながら、昨日も紹介した、アイザック・ウォッツの下記の讃美歌「When I survey the wond’rous Cross(栄えの主イエスの十字架を仰げば)を味わっていただきたいと思います。特に3番と4番の歌詞が感動的です
- See from his Head, his Hands, his Feet,
見なさい。主の御頭(かしら)、御手、御足から
Sorrow and Love flow mingled down!
悲しみと愛が混ざり合って流れ落ちるのを。
Did ever such Love and Sorrow meet?
そのような愛と悲しみが出会ったことがあったか
Or Thorns compose so rich a Crown?
また、茨(いばら)がこのような尊い冠となったことがあったか。 - His dying Crimson, like a Robe,
死にゆく主の赤い血潮は礼服のように
Spreads o’er his Body on the Tree;
木の上の主のみからだに広がっている。
Then am I dead to all the Globe,
それで私は世に対して死んでいる。
And all the Globe is dead to me.
また世のすべては私に対して死んでいる。
以下のサイトでは、この賛美歌を現代的にアレンジした The Wonderful Cross という曲を歌詞とともにお聞きいただけます
受難週、イースターへの感謝を表されたい方は、以下のサイトから簡単に献金をしていただくことができます。