昨年は日本での未成年女性自殺者数が前年比で44%も増加し95人になったということが話題になりました。日本の自殺者数は昨年21,081で、新型コロナの累積死者数8,700人を大きく超えています。特に20代の自殺者数が前年比19.1%、10代の自殺者数前年比17.1%も増えています。
残念ながら新型コロナの直接感染ではご高齢の方が、その社会的な影響としては若年層が死に追いやられているのです。毎日コロナの数字ばかりが発表されますが、私たちの身近で起きている別の悲劇にも目を向ける必要があります。
そして教会の使命は精神的に追い詰められている方々に寄り沿うことにありましょう。
私たちの教会のヴィジョンは、「新しい創造を ここで喜び シャロームを待ち望む」とまとめられています。それは、最終的な救いの完成の状態としての神の平和(シャローム)を待ち望みながら、同時に、今ここで確認できる「新しい創造」に目を留めることです。
神の救いのみわざは身近なところで確認でき、それが最終的な世界の完成の希望につながります。そのような希望を伝えることが宣教の核心です。二千年前のイエスのみわざが今の世界を動かしているということを、今日はともに覚えたいと思います。
1.「イエスは、山に登り、そこに座っておられた。すると大勢の群衆が……」
29節では「それから、イエスはそこを去ってガリラヤ湖のほとりに行かれた」と記されますが、これがガリラヤ湖のどの部分なのかは分かりません。マルコの並行箇所では、ガリラヤ湖の南東側デカポリス地方でのことと示唆されます。
そこでは「耳が聞こえず、口のきけない人」の両耳にイエスが指を差し入れ、つばきをしてその人の舌にさわられ、「エパタ(開け)」と言われてその人を癒されたという劇的な癒しの記事が描かれますが、このマタイでは、「山に登り、そこに座っておられた」という姿と、そこに大勢の群衆が集まってくるという情景が何よりも強調されています。
それは5章1節以降の山上の説教が思い起こされる表現になっているとともに、16章13節以降のガリラヤ湖の北部のピリポ・カイサリアの地方でのペテロの信仰告白、また17章でのイエスの御姿が栄光の姿に変わったという記事につながります。
イザヤ11章では、まず「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主 (ヤハウェ) の霊がとどまる……この方は正義をもって弱い者をさばき、公正をもって地の貧しい者のために判決を下す」(1、4節) という救い主の登場が描かれます。
「エッサイの根株」と記されるのは、ダビデの父エッサイの家系が一度滅びたように見えながら、そこから新しいダビデが現れるということを描くための表現です。
そしてそれに続き、「狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し……雌牛と熊は草をはみ……獅子も牛のように藁を食う」(6、7節) という弱肉強食の世界が終わることが預言されます。
それは原初のエデンの園にあった神の平和(シャローム)が回復されることの象徴的な表現です。そして、そのような救いが実現する理由が、「主 (ヤハウェ) を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く」(9、10節) と記されていました。
つまり、イエスが預言された救い主であるということが全世界の人々の間で認められるようになるときに、神の平和がこの地に実現するというのです。
そして、30、31節は敢えて原文が用いる差別用語をそのまま残すと次のように訳すことができます。「すると大勢の群衆が、足萎え(あしなえ)、盲人(めしい)、不具(かたわ)、聾者(おし)、そのほか多くの人をみもとに連れてきた。そして彼らをイエスの足元に置いた。それでイエスは彼らを癒された。
群衆は、聾者(おし)が話し、不具(かたわ)が治り、足萎え(あしなえ)が歩き、盲人(めしい)が見えるようになったのを見て、驚いた。そして、イスラエルの神をあがめた」(原文は各障害が一言で表され、簡潔に響いてくるため)。
そして当時の人々はこれを聞いて、イザヤ35章の預言が成就したことを悟ったことでしょう。
そこではまず、新しい時代の到来の喜びが、「荒野と砂漠は喜び、荒地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う……彼らは主 (ヤハウェ) の栄光、私たちの神の威光を見る」と感動的な情景で描かれます (1、2節)。
その上で、「見よ。あなたがたの神を……神は来て、あなたがたを救われる。そのとき、盲人(めしい)目の目は開き、耳しいの耳は開(あ)く。そのとき、足なえは鹿のように飛び跳ね、聾者(おし)の舌は喜び歌う。それは、荒野に水が湧き出し、荒地に川が流れるからだ……
そこに大路があり……主 (ヤハウェ) に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴(いただ)く」(イザヤ35:5、6、8、10) と、主が実現してくださる救いが劇的に描写されます。
マタイとイザヤの記事では、盲目の方、足の萎えた方、口のきけない方の癒しが重なっています。ただ、マタイでは手足の不自由な方の癒し、イザヤでは耳の聞こえない方の癒しという小さな違いが見られます。
特にイザヤでは、足の萎えた方が鹿のように飛び跳ね、口のきけない方の舌が喜び歌うと、癒された方々の賛美のようすが描かれます。
一方マタイでは、「群衆は」それらの人々の癒しの情景を見て、「イスラエルの神をあがめた」と描かれます。それは、イスラエルを離れていた神が、民の間に戻って来られたことのしるしだったからです。さらにイザヤはそこからどのような大きな救いが起こるかを描きます。
なおイザヤは、主に贖われた者たちがエルサレムに帰ってきて、喜び歌うようすが描かれますが、それは現代のクリスチャンにとっては、終わりの日に、「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見」ることを意味します。
そこではさらに、「私はこの都の中に神殿を見なかった。全能の神である主と子羊が、神の神殿だからである。都は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。諸国の民は都の光によって歩み、地の王たちは自分たちの栄光を都に携えて来る……こうして人々は、諸国の民の栄光と誉れを都に携えて来る」(黙示21:2、23–26) と描かれています。
これはイザヤ書の結論が、全世界の民がエルサレムにささげ物を携えて礼拝に来るという描写から来ている表現です。
イエスが山に登って、そこに群衆が集まって来るという情景は、イスラエルの民が神の救いを見て、「喜び歌いながらシオンに入る」ことの前触れを意味するとも言えます。
さらにまたイスラエルの民が喜び歌いながらシオンに集まることは、全世界の民がエルサレムに礼拝に集まってくることの前触れでもあります。
私たちは神が実現してくださる救いを、新しい都エルサレムの完成という視点から見て、その実現のプロセスとして、盲目の方、足の萎えた方、口のきけない方の癒しを見ることができるのです。
2.「かわいそうに、この群衆は……食べる物を持っていない」
そのような文脈の中で、四千人のパンの給食があります。14章の五千人のパンの給食は、「草の上」でなされましたが、今回の奇跡は「地面にすわる」(35節) と記されるように、荒野で起ったことであると思われます。
それは先のイザヤ35章で預言されていたように、荒野に「シオンへの大路」ができたことを指していると思われます。ですから、ここには、この地上の旅路というテーマがあると思われます。
そこで「イエスは弟子たちを呼んで、言われた」と記され、その内容が、「わたしはこの群衆をかわいそうに思う(深くあわれむ)、彼らはすでに三日間わたしとともにいて、食べる物を持っていないのです。わたしは彼らを空腹のままで解散させることを望みません。それは途中で疲れ果ててしまわないためです」(32節) と言われたと描かれます。
なお、「かわいそうに思う」ということばには、「はらわた」という意味があり、当時は、人の感情の生まれる器官を指していました。エレミヤ31章20節には、放蕩息子エフライム民族に対する神の思いが、「わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない」と描かれています。このみことばの黙想から北森嘉蔵の「神の痛みの神学」という世界的な名著が生まれました。
神はご自分の民の自業自得の苦しみを見て、「あわれみに胸を熱く」しておられます。そして、神は民の自業自得の苦しみを上から見下ろす代わりに、ご自分の民とともに痛み苦しんでおられることを知らせるために、ご自分のひとり子を私たちと同じ姿でお送りくださったのです。
それにしても、これらの人々が、もう三日間もイエスといっしょにいながら、食べるものを持っていないということは大きな驚きです。マルコでは彼らの状態に関して「空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなります。遠くから来ている人もいます」(8:3) と心配しています。この状況は前回の五千人のパンの給食のときより、はるかに深刻です。
それに対し弟子たちは、「どこから私たちは、この人里離れたところで、こんなに大勢の人の必要を満たす多くのパンを」(33節) と言いました。弟子たちは、五千人のパンの給食のときは、弟子たちはイエスに向かって「群衆を解散させてください。それは彼らが村々に行って自分たちで食べ物を買うためです」(14:15) と具体的な提案しました。
しかしそこでは、目の前の群衆を厄介払いしたいという思いの方が優先していました。それでその際イエスは敢えて弟子たちに、「彼らが行く必要はありません。あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい」(14:16) と不思議なことを言いました。
それは彼らに、民を最後まで世話をする責任を自覚させるための言葉でした。それに対して、ここでは、「どこから私たちは……」という趣旨の問いになっています。その点では若干の成長がみられます。
私たちも、現実の難しさを知らない時には、非現実的な提案をすることができます。ニュース番組などを見ていても、「こうすればよい……」などと、分かったようなことを言うコメンテーターなどを見ると腹が立つことがあります。
しかし、人々の痛みや困難な現実を本当に心から理解するときに、私たちはことばを失い、「主よ、どうしたらよいのでしょう……」と、ただ問うことしかできなくなるのではないでしょうか。
私たちは信仰の成長とともに、かえってパウロのように、「私たちは、何をどう祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです」(ローマ8:26) という、御霊の祈りへと進んでゆきます。
私たちは多くの場合、現実の複雑さを知らない自分の理想や願いを絶対化してしまい、「どう祈ってよいかわかりすぎている」ために、神と人とに失望しているのではないでしょうか。
米国での医療制度の不備がこの新型コロナ感染によって再び大きな課題になっています。今も多くの貧しい方々が、保険がないために医療のケアーを受けられずに亡くなって行かれ、最も医療技術が進んでいるはずのアメリカで、世界最高の50万人を超える死者数を出しています。これは過去のいかなる戦争被害にもまさる数だと言われます。
その解決のために2009年に成立したはずのオバマケアーという保険制度には多くの矛盾があり、批判を受けていますが、少なくとも国民皆保険に向けての大きな一歩であったことは確かだと思われます。
実は、これを背後には、故エドワード・ケネディーというケネディー大統領の末の弟の大きな貢献があります。彼はオバマ大統領への遺言的な手紙で、医療制度改革のことを「我々の社会がまだ成し遂げていない偉大な仕事」と呼びながら、「我々が直面しているのは—何よりも倫理の問題だ。ここで問われているのは政策の細かな点ではない。社会の正義と我が国の品格という、根本的な原理だ」と記しています。
そこで興味深いのは、オバマケアーのシステムのモデルとなったのはマサチューセッツ州の共和党の知事ミット・ロムニーが作った「ロムニーケア」と呼ばれる制度で、その成立を熱烈に支持したのは、政治的には対立関係にあった民主党のマサチューセッツ州選出のエドワード・ケネディー上院議員であったというのです。
米国の共和党がさんざん批判するオバマケアーのシステムが共和党の知事から始まっているというのは興味深いことです。そこで明らかになることは、社会で本当に必要な制度が、政治的な争いのテーマになると、成立しなくなるという悲劇です。
ですからそこで本当に必要なのは、どこかの政党を批判する以前に、イエスが群衆に抱かれた「深くあわれむ」という姿勢こそが大切なのです。そして、その実現のために政治的な対立を超えて、少しでも問題の解決に近づけるように歩み寄るということなのです。
米国での問題は、新しい保険制度を始めようとするときに、すでに存在する保険制度と利害の対立が起きるということですが、その解決のためには、貧しい人々が医療を受けられないのは「社会正義に反する」という共通の理解を掲げる必要があるのです。
3. 七のパンが七つの大籠一杯に増えた不思議
イエスは弟子たちにまず、「パンはいくつありますか」(34節) と尋ねました。先の五千人の給食では、マルコの記事によるとイエスが弟子たちに、「パンはどれくらいありますか。行って見てきなさい」と命じ (6:38)、その結果として、少年が持っていた五つのパンと二匹の魚が発見されました。
しかしここでは、マルコでもマタイの記事でも、弟子たちは群衆の中を探し回ることもなく、「七つです。それに小さい魚が少しあります」とすぐに答えています。これは、弟子たちは群衆がお腹をすかせているのを見ていながら、自分たちのパンはしっかりと持っていたということかもしれません。
かつてバビロン捕囚からエルサレムに帰ってきたユダヤ人たちも、神殿建設を後回しにして、自分の生活を整えることに夢中になっていましたが、その時、主は預言者ハガイを遣わし、「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか」(ハガイ1:4) と叱責されました。
ですからイエスもこのとき、「この人々がお腹を空かせているのに、あなたがただけがパンを手元に持っていてよいのだろうか?」と尋ねたいお気持ちだったかもしれません。
私たちもしばしば、自分の持っているものを差し出しても「焼け石に水」でしかないから、自分のものは手元に残しておいた方が「現実的だ……」と思うことがあるのではないでしょうか。
そのような中でイエスは、弟子たちを責めることもなく、淡々と次の行動に移ります。そのことが、「そこで、イエスは群衆に地面に座るように命じられた。そして七つのパンと魚を取り、感謝をささげてからそれを裂かれた。そして、弟子たちに与え続けられた。また弟子たちは群衆に」と記されています (35、36節)。
先の五千人の給食では、イエスは「群衆に草の上に座るように命じられた」(14:19) と記されていましたが、ここでは「地面に座るように命じられた」と記されます。ただその他のプロセスは基本的に同じで、イエスはパンの配給を弟子たちに任せています。私たちも何かの援助活動をするとき、自分で何かを生み出すのではなく、主が与えてくださった富を配っているに過ぎません。
それにしてもここにおける弟子たちのように、ほんの少ししかもっていない自分のものをイエスに差し出した上で、主のみわざに参画させていただくとき、まさに自分の些細な献げものが大きな呼び水となり、人々の必要を満たしてゆくという不思議を体験させていただけます。自分のものを手元に残しておいたときには分からなかった主にある豊かさを味わうことができているのです。
日本で定着しつつある様々な被災地支援でも、援助活動に携わっておられる方は同じような恵みを味わっておられます。それこそが、主にある奉仕の醍醐味です。
そしてその結果が「人々はみな、食べて満腹した」と記されます (37節)。これは五千人のパンの給食の場合と全く同じ記述です。なおその際、イエスはパンも魚もご自分の手の中で裂いていたのですが、不思議に人々が満腹になって有り余るまで、次から次とパンも魚もイエスの手の中に生まれてきたのでしょう。
これを科学的に説明できませんが、ここではイエスが何もないところからパンを生み出す代わりに、弟子たちの手元にあった七つのパンを用いたということに大きな意味があります。それを見る時に、私たちも自分の手にあるわずかなものを差し出すことが決して焼け石に水ではないことがわかります。
その後のことが、「そして余ったパン切れを集めると、七つのかごがいっぱいになった」という不思議になりました。五千人のパンの給食の際の十二のかごは、食料を入れる小さな「かご」でしたが、ここでの「かご」は旅行用の大きな荷物をいれるもので原文では明確に区別されています。
ここでの強調点は、弟子たちが、自分たちの旅行用の「かご」の中にひとつずつ隠し持っていた?なけなしの「七のパン」を差し出したところが、それが「七つの(大きな)かご」いっぱいのパンになったという不思議な変化でした。
そして、最後に、ここに集まっていた人の数が、「食べた者は、女と子どもを除いて男四千人であった」と記されます。続いて、「それからイエスは、群衆を解散させて舟に乗られた。そしてマガダン地方に行かれた」と記されます。イエスは人々の心も体もともに満たした上で、彼らをそれぞれの家に帰したのでした。
なおイエスが向かわれた地名は諸説ありますが、ガリラヤ湖の西側のユダヤ人の村で「マグダラ」と解釈する人も多くいます。それが、「マグダラのマリア」の出身地であるなら何と感動的なことでしょう。
イエスによる癒しのみわざ、また飢えた人を養うみわざは、現在の医療体制や社会福祉体制に結び付いています。社会福祉の制度は、すべて初代キリスト教会でともに食事をし、伝染病患者を受け入れるという働きから始まり、それがキリスト教国の誕生とともに社会の制度へと進展します。
そしてそのすべての原点は、イエスが病んでいる人、飢えている人に、あわれみの眼差しを注ぎ、一人一人を絶望の中から救い出してくださったことから始まっています。イエスのあわれみこそが、すべての社会福祉の原点なのです。
ただ現在の日本は、何よりも「心の渇き」に焦点が当てられる必要がありましょう。多くの若者が、明日への希望を失い、今自分ができることは何なのかに向き合うことができなくなっています。しかし、イエスが与えてくださる聖霊は、一人一人の心の中に、その課題に向き合う力を生み出してくださいます。