朝9時からの早朝礼拝は Zoom で配信します。10時45分からのファミリー礼拝、午後4時からの第二礼拝は YouTube 配信です。この二つの礼拝は時間が過ぎてもご覧いただけます。
それぞれ、ご希望の方には開き方をご案内しますので、ご遠慮なくメールをください。
明日の礼拝ではヨブ記11-14章から「人は死ぬと、また生きるのでしょうか」と題して、ヨブの苦難から生まれた復活への憧れに関してお話しします。
新型コロナ感染危機が叫ばれてからもう一年が経とうとしています。昨年5月末に、役員会において、感染対策を徹底しながら、礼拝再開に関して話し合い、朝の礼拝を当面二つに分けることを話し合っていた時、「これから暑い夏を迎えるので、ご高齢の方は朝が早い礼拝の方が良いのではないか……」などと言い合っていました。正常性バイアスがかかりやすい小生の場合、こんな形で冬を越すなどとは全く考えていませんでした。本当に、不明を恥じるばかりです。
ただ、危機意識がなかったというわけでもありません。そのきっかけは、昨年3月11日のドイツのメルケル首相の発言を聞いたことでした。そこで彼女は、「残念ながらウィルスはすでにドイツに広がり始めている。私たちにはそれに対する対抗手段がない。たぶん国民の六割から七割が感染するだろう。私たちができることは、ただウィルス拡散の速度を遅らせ、医療崩壊が起こるのを防ぎ、一人ひとりの尊厳が守られ、治療を受ける体制が守られることだ」と言いながら、国民に不要不急の人との出会いの機会を減らすように訴えていました。
そして、今週2月11日のメルケル首相のドイツの国会での演説は、感動的でした。それは一年間にわたって、すべての国民が、このウィルスとの戦いという意識を共有できたということを語っていました。
第二次大戦以降、これほど世界中の人々が、同じ危機意識を共有できたことはない、それによって驚くべき速度でのワクチンの開発などが進んできたという趣旨のことを語っていました。
ドイツの感染死亡者数は六万人を超え、日本の約10倍になっており、それらの方々の犠牲を深く悲しみながらも、世代や階層、性別すべての違いを超えた危機意識を共有できたこと自体の恵みを語っていました。
そして、メルケル首相は、今回の第二派の感染拡大に対する対策が不十分であったことを謙遜に認めながらも、ドイツの医療体制が、危機的状況の中で守られ続けてきたことに心よりの感謝をしていました。そして、医療従事者の方々の犠牲に対する十分な報いが必要であると訴えていました。
そこで、小生が何よりも改めて感心したのは、メルケルさんの最初の目標がきちんと国民の中に共有されていたということです。
それは、政策目標が、感染を抑えること以前に、医療体制を守るということにあったということです。そしてそれが今、ワクチン接種へのすみやかな対応となって現れています。
すべての危機対応には何らかの犠牲が伴います。多くの日本人はそこで、犠牲が出る可能性を公に語ることができずに、どこに優先順位を置くかということを忘れてしまいがちかもしれません。
それがキリスト教会においては、どのようなことになるでしょうか。もちろん、私たちは教会が感染源にならないように最大限の注意を払います。しかし、それ以上に大切なのは、この危機的な状況の中で、一人ひとりの目が全能の創造主に向かうことではないでしょうか。
わざわいを避けることよりも、これを通して私たちが成長できることが求められています。このパンデミックの悲劇を通して、私たちの中に何か新しいことが芽生える必要があります。
詩篇66篇には次のように歌われています。
全地はあなたを伏し拝みます。
あなたをほめ歌い あなたの御名をほめ歌います。
さあ、神のみわざを見よ。
神が人の子らになさることは恐ろしい。……
神よ まことにあなたは 私たちを試し
銀を精錬するように 私たちを練られました。
あなたは私たちを網に引き入れ
私たちの腰に重荷を負わされました。
あなたは人々に 私たちの頭をまたがせ
私たちは火の中 水の中を通りました。
しかし あなたは私たちを
豊かなところへ導き出してくださいました」
(4、5、10-12節)
ここにはイスラエルの民が、異教の国々に虐げられ、それによってその信仰が練られ、それによって、全世界の民がイスラエルの神を礼拝するようになるという救いのご計画が歌われています。
私たちの神は、私たちを懲らしめ、精錬することによって、ご自身の栄光を現わしてくださいます。大切なのは、苦しみを避けられることではなく、苦しみを通して私たちが成長できることにあるのです。
改めて、このパンデミックを通して神が私たちに何をなさろうとしているか、その深いご計画に思いを馳せて行くべきではないでしょうか。
祈り
主よ、あなたが全地の人々をご自身への讃美に招いておられることを感謝します。様々な苦しみに会うことさえ、真の賛美を生み出す契機とされると理解させてください。