「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある」〜詩篇30:5

昨日の米国の新大統領、バイデン氏の就任演説ではこのみことばが引用されながら、次のように語られていました。

「同胞のアメリカ人の皆さん、目の前の働きのためには、お互いが必要です。この暗い冬を乗り切るためには、すべての力を結集する必要があります。私たちは、ウイルスの最も過酷で致命的とも言える時期に入っています。

私たちは政治的見解の違いを脇に置いて、ついにこのパンデミックに一つの国民として向き合わなかればなりません。私はあなたがたに聖書のことばから約束します。

「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがあるのです」

私たちは、この難局を一緒に乗り切きるのです。世界中が今日の日を注目しています。これは国境を越えた人々へのメッセージです。アメリカは試みを受けましたが、それによって、より強くされたのです。

日本の感染の広がりや死者数は、米国の百分の一程度に留まって来ていましたが、最近になって、本当に身近な人が感染する状況が見えてきています。それぞれの職場や学校、保育園、多くの教会においても感染者が出ています。また、その他の理由で体調を崩しておられる方がいます。

私たちはこのとき、互いのために何ができるかをともに考える必要があります。たとい一緒に集まることができなくても、様々な方法で助け合うことができます。

上記のみことばの前後関係には、次のように記されています(私訳)。

主 (ヤハウェ) をほめ歌え 主に誠実な者たちよ 主の聖さを覚え 感謝せよ。

それは 御怒りは束の間 恩寵のうちに一生があるから。

夕暮れには涙のうちに過ごしても 朝明けには喜びの叫びがある

この私は平安のうちに言った「私は決して揺るがされない」と。

…………

お聞きください主 (ヤハウェ) よ あわれんでください。

主 (ヤハウェ) よ 私の助けとなってください。

あなたは私のために 嘆きを踊りに変え

粗布を解き 喜びをまとわせてくださいました。

最初の「誠実な者たち」とは、イエスにつながっているすべてのクリスチャンを指します。そして続く「主の聖さ」とは、汚れた私をその「聖さ」で包んでくださる主のあわれみと理解できます。これは長血を患った女の癒しに通じます。

そして5節は、「御怒りはつかの間」であるのに対して、「恩寵のうちに一生がある」と訳すことができます。振り返ってみると、神の御怒りを受けて苦しんだと思われる記憶があっても、それを一生涯という期間から見直すと、すべて神の恩寵のうちにあったと思えるようになっています。それが、「夕暮れの涙」と「朝明けの喜びの叫び」につながります。

段落を置いての「お聞きください……あわれんでください」という祈りと、「嘆きを踊りに変えてくださいました」という感謝の告白を見ると、詩篇作者のダビデが今も苦難の中にあるのか、平安の中にあるかが分からないように思われがちです。

しかし、ヘブル語の動詞には英語のような明確な時制の区別はなく、起こっていることを内側から見るか、外側から全体として見るかという観点の違いがあるだけとも言われます。つまり、「嘆きを踊りに……粗布を解き、喜びをまとわせてくださいました」という「ご恩寵」は「私をあわれんでください」という叫びと同時並行的に進んでいるとも言えましょう。

私たちも自分の人生を振り返ると、主への叫びと、主への感謝は、同時並行的に進み、全体を振り返ると、「恩寵のうちに」私の生涯は守られていたと告白できるのではないでしょうか。なぜなら、「何でこんな目に……」と悲劇も、すべて神の愛の御手の中で益に変えられているからです。

なお、バイデン大統領の演説には、以下のような団結を訴えることばがあり、感動を呼んでいましたが、その核心部分には、カトリックばかりかプロテスタント教会でも共通に尊敬されているアウグスティヌスのことばからの引用がありました。

a people was a multitude defined by the common objects of their love.

民衆とは、その愛による共通の目的によって定義される多数である

バイデン氏は、次のような文脈でそれを語りました

「私を支持しなかった人たちに言わせてください。私たちが進むにあたって、私の声をよく聞いてください。私と私の心を測ってみてください。もしそれでも同意しないのであれば、そのままでいてください。それが民主主義です。それがアメリカです。平和的に反対する権利、共和国のルールの中においてですが、それこそ私たちの国の最大の強みです。

それでも明確に聞いていただきたい。意見の相違が分裂に至ってはなりません。そして、このことを私は誓います。私はすべてのアメリカ人のための大統領になります。私を支持しなかった人たちのためにも、支持した人たちに対するのと同じように、私は懸命に戦います。

何世紀も前、私の教会の聖人である聖アウグスティヌスは、「民衆とは、その愛による共通の目的によって定義される多数である」と書いています。

アメリカ人としての私たちを定義するその愛による共通の目的とは何でしょうか?

私は知っていると思います。それはOpportunity (機会)、Security (安全)、Liberty (自由)、Dignity (尊厳)、Respect (尊敬)、Honor (名誉). And, yes, the truth. (そして、そう、真実です)

最近の数週間と数ヶ月は、私たちに痛みを伴う教訓を教えてくれました。真実があり、嘘があります。権力と利益のために語られる嘘があります。…… 私は、多くのアメリカ人が将来に不安と恐怖を抱いていることを理解しています。彼らが仕事や家族の面倒を見ること、次に何が起こるかを心配していることを私は理解しています。

しかし、その答えは、内向きになることではありません。競合するそれぞれの派閥の中に引っ込んで、あなたのように見ない人、あなたと同じように礼拝しない人、あなたと同じ情報源からニュースを得ない人から距離を置くことではありません。私たちは、赤と青、田舎と都会、保守とリベラルを分け合うこの未開の内輪もめを終わらせなければなりません。

心を頑なにする代わりに、心を開くことができれば、この内輪もめを終わらせることができます。

ほんの少しの寛容さと謙虚さを示せば良いのです。ほんの一瞬だけでも相手の立場に立ってみましょう。