最近の状況を示すグラフ〜詩篇29篇「主 (ヤハウェ) の声を響かす」

連日、新型コロナ感染者数の数字ばかりが報道され、気が滅入ってしまいますね。今までもご紹介しておりますが、以下のグラフで今年の初めからの推移を見ることができます。興味深いのは一人の人が何人に感染させるかという実効再生産者数を見る限り、緊急事態宣言を出すような状況にはないことが明らかです

一方、大変気になるのは、日本の自殺者数の推移です。今年の10月の自殺者数は前年同月比4割増と記録的な増加となりましたが、女性の自殺者数に限れば1.8倍になっています。

過去15年間で日本の自殺者数は約4割も減少してきましたが、今年6月以降に急速な増加傾向に転じています。それは明らかに今回の新型コロナ危機の故です。女性の自殺者の急増の背景には将来不安と孤立化の問題があることは明らかと言えましょう。

以下のグラフで分かりやすく解説され、傾向を示すグラフも見られます。私たちの教会でも精神障碍者の自立支援に関わっておられる方が、現場で急速な変化を目の当たりにしています

一方、皮肉なことなのですが、日経平均株価は毎日のようにこの約三十年来の高値を更新する活況を呈しています。1989年12月29日に38,957円の最高値を記録した株価は、90年に入って大暴落しはじめ、日本の失われた30年となりましたが、最近は、26,600円の水準を目指すまでになっています。

これは明らかに30年ぶりに大きな変化です。背景にあるのは、コロナ対策のために日本銀行が貨幣供給量を大幅に増やし、行き場のないお金が株式市場に流れているということです。日経平均でいえば、今年の3月19日の最安値16,358円から約六割も上昇したことになります。以下のグラフで株価の推移を見ていただくことができます

女性の自殺率が8割増え、株価が6割上がる、という不条理、それが現代の問題を表していると言えましょう。世界の株式市場は、基本は、コロナ対策給付金が押し上げているというバブルですが、そこには同時に、来年のどこかの時点で、このコロナ蔓延の問題は解決されるという見通しもあります。それはワクチンや治療薬の開発が急速に進んでいるからです。

同時に、すべての面でのオンライン化の流れが、それについて行ける人と、ついて行けない人の格差を生み出しています。その格差の広がりが、ますます、自殺者を増やす要因になってゆきます。

そのような中で、キリスト教会に今、求められていることは何なのかを思い巡らしています。大昔は、感染爆発のたびごとに、クリスチャンたちが感染者が急増する現場に赴き、看護に励みました。多くのお金持ちが身近な病人を捨て置いて、田舎に逃げたことに対し、クリスチャンは感染爆発のただなかに身を置いて、人々に寄り添いました。それは永遠のいのちを与えられていることの恵みが信仰者を動かしたからと言えます。そして、親身な看護を受けた方々は、自己免疫力を回復して、感染症に打ち勝ってゆきました。結果的に、感染爆発のたびに信者数が急増したと言われます。

ただ、現代のキリスト教会がそのようなことを心がけようとすると、まさに新興宗教のクラスター発生源と非難されることになりかねません。それは専門の医療機関に任せ、私たちが祈りと共に、どのようにそのような医療従事者をサポートできるかを考えるべきでしょう。

多くの教会は、現在、自分たちがクラスター発生源になってはいけないということを何よりも気にしていると思われます。ただ、私たちは自粛モードでいることが、主のみこころなのでしょうか。

それでは、キリスト教会が積極的にできることとは何でしょう。それはまさに自殺者の急増に見られる現実に対して、私たちがキリストにある希望を分かち合うことではないでしょうか。ただ、その際、「今こそ伝道のチャンス!」などというスタンスで、発信をすると、かえって社会全体からひんしゅくを買ってしまうことでしょう。

大切なのは、クリスチャンがともに集まって、ともに礼拝し、互いのために祈るという信仰者の共同体の交わりを充実させることだと思われます。そしてその様子を、インターネットを通して発信し、世の人々に礼拝と祈りの機会を提供することではないでしょうか。

私たちの教会では、みなの協力によって、臨場感のある礼拝を配信できています。その映像も音質もますますレベルアップして、映像を見ながら、ともに詩篇を交読し、またさまざまな楽器の音色に合わせて、賛美に加わることができるようになっています。

詩篇29篇には7回にわたって、「主 (ヤハウェ) の声」ということばが繰り返されます。それは、雷を伴った嵐を象徴したものです。当時のカナンではバアル神が嵐の神としてあがめられていましたが、ここでは主 (ヤハウェ) こそが、雷を伴った嵐を支配しておられることが強調されています。

30年前に牧師としての働きを始めてまもなく、働きがまったく実を結ばず、「こんなはずではなかった……」と焦り落ち込みました(今、振り返ると、バブル崩壊後の世の流れでもありましたが……)。

証券営業をしていたときには、それなりに労苦が結果に結びつくということがあったので、自分のやり方の何が悪いのかと、いろいろ考えてしまいました。

そんなとき、ある大学教授が、葉書にたったひとこと「主 (ヤハウェ) の声は、水の上にあり……」と書いて送ってくださいました。そのとき改めて、「主の声」としての聖書のことばに込められた創造の力に目が開かれました。自分は、「主のことば」を分かりやすく解説することばかりに力が入っていたのではないかと反省させられました。

「主 (ヤハウエ) の声は、力強く、主 (ヤハウェ) の声は、威厳がある」(4節) とあるように、主のことばご自身に働いていただくのが自分の使命だと思わされました。

そして今、改めて、「主 (ヤハウェ) の声は、雌鹿に産みの苦しみをさせ」(9節) というみことばが迫ってきました。神の民を生み出す働きは、主のことば自身にあるのです。

しかも、新約聖書によると、イエスご自身が、もっとも偉大な主の御声の現れでした。ただ不思議にも、イエスの御声は、ここにある雷のような恐怖と威厳で人々を動かすものではありませんでした。徹底的に、弱っている人、孤立している人、人々から軽蔑されている人々に寄り添う優しい御声でした。

それと同時に、イエスは何よりも、声なき声に耳を傾けることができました。マルコによる福音書5章25節以降には、十二年の間、長血を患っていた女が、イエスの背後から静かに近づいて、御衣に触れたようすが描かれています。不思議なのは、イエスがこの女の切実な心の叫びに、すぐに気づいたということです。

イエスは一方的に福音を語る代わりに、人々の心の声に、心の叫びに耳を傾け、その人にもっとも必要とされている対応をなさったということです。そして、そのように人々の必要に徹底的に心の耳を傾けることができたイエスが、今、天において全世界を治めておられるということです。

この詩篇の10節には、「主 (ヤハウェ) は大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主 (ヤハウェ) は、とこしえに王として御座についておられる」(10節) という主の圧倒的なご支配の現実に目が向けられます。私たちに「力」を与え、「祝福」してくださるのは主ご自身のみわざです。

海の上のヨットは、大きな風を受けることによって驚くべきスピードで走ることができます。私たちに求められるのは、主の風(霊)を作ることではなく、身を任せることではないでしょうか。


祈り

主よ。あなたのみことばで世界が生まれ、保たれています。主の声の力と威厳に働いていただけるように、私たちの心を砕き、整えてください。