ただ、同時に私たちが注意すべきなのは、日本での自殺者の急増です。日本は以前より先進七か国の中で最悪の自殺率になっています。たとえば2018年の統計で、米国では10万人あたり14人の自殺者数が日本では16人になっています。
最近の米国のCBSニュースでも、日本ではコロナ感染は抑えられているけれども10月の自殺者数は、今年のコロナ死者数を上回る数字になっているなどと、報じられています。
事実、日本での自殺者数は過去15年間で約4割も減少してきましたが、今年6月以降に急速な増加傾向に転じ、10月だけで2,153人になっています(新型コロナによる死者数は今年の累計で1,968人)。これは前年同月比4割増で、特に女性の死者数は1.8倍になっています。感染警戒と共に、身近な方々の心の動きに目を向ける必要があります。隣人愛の基本は、他者の心の声や叫びに、自分の心の耳が開かれることにあります。
明日の礼拝では最初に詩篇24篇を交読します。あまりにも美しいリズムなので今朝、急遽、交読文を作りました。解説もその下に記しております。礼拝に直接参加できない方も、ぜひ味わっていただければと思います。コロナ感染の中にも、主の御支配を見ることがあります。歴史を見ても明らかなように感染症には必ず収束する時があります。
私たちはこのような時こそ、永遠の主の視点から現在を見る必要があります。「永遠の戸よ 上がれ」と呼びかけられながら、神の御子がこの地に下ってくださいました。すでに死の力は打ち破られています。
詩篇24篇(交読文) ダビデによる賛歌
地とそこに満ちるものは主 (ヤハウェ) のものである (1)
世界とその中に住んでいるものも。
この方が大海(おおうみ)の上にその基(もとい)を据え (2)
もろもろの川の上に それを堅く立てられたからだ。
だれが 主 (ヤハウェ) の山に登るのか (3)
だれが その聖所に立つのか
手がきよく (4)
心が澄んだ人
そのたましいをむなしいことに向けず
偽りの誓いをしない人。
その人は 主 (ヤハウェ) から 祝福を受け (5)
その救いの神から 義を受ける。
これこそ この方を捜し求める者たち (6)
御顔(みかお)を慕い求めるヤコブの一族である。 セラ
門(もん)よおまえたちの頭(かしら)を上げよ (7)
永遠の戸よ 上がれ
栄光の王が入って来られる。
その栄光の王とは だれか (8)
強く 力ある主 (ヤハウェ)
戦いに力ある主 (ヤハウェ)。
門よ おまえたちの頭(かしら)を上げよ (9)
永遠の戸を 上げよ
栄光の王が入って来られる。
その栄光の王とは だれか (10)
その方こそ 万軍の主 (ヤハウェ)
栄光の王であられる。 セラ
この詩はダビデが、主の契約の箱をエルサレムに運び入れた際に歌われたものと言われています。彼は最初、律法の規定に無知だったためか、契約の箱を牛車に載せて運んでしまいます。それがひっくり返りそうになった時、ウザが神の箱に手を伸ばし、「不敬の罪」のためにその場で死ぬというような悲劇が起きます (Ⅱサムエル6:7)。
「だれが、主 (ヤハウェ) の山に登りえようか……」という問いかけは、主に近づくことの恐ろしさを前提としたものです。
「手がきよく、心がきよらかな者」とは、自分で「私はきよい」と言えるような人のことではありません。それは主ご自身に任命され、雄牛の血によってきよめられた祭司を指すような表現でした。
そこでは、主ご自身が示された手続きに従うことが何よりも大切でした。それは、私たちの場合は、自分の汚れを認め、イエスの十字架の贖いなしには、神に近づくことができないと信じることを指します。「きよさ」は、神ご自身が与えてくださる一方的な恵みです。ウザのように自分が神の箱を守るかのような行動は、傲慢な「不敬の罪」と言われます。
ダビデはその後、主の御教えに従って、契約の箱をレビ人に担がせ、いけにえをささげつつ、喜び踊りながら、主の契約の箱をエルサレムの城内に迎え入れます。
その際に、エルサレムの門に向かって、「かしらを上げよ」と命じつつ、契約の箱の入城を、「栄光の王」の入城として迎え入れます。契約の箱こそ、主がイスラエルの民の真ん中に住んでくださるというしるしだったからです。
イエスの時代に契約の箱はエルサレム神殿の中にはありませんでした。人々は、「主の栄光が東向きの門を通って宮に入って来た」という預言が成就するのを待ち焦がれていました (エゼキエル43:4)。
そして、イエスのエルサレム入城こそ、その預言の成就だったのです。私たちは、そのことを覚えて、「栄光の王」であるイエスを私たちの交わりの真ん中に迎え入れるのです。
祈り
イエスが、「栄光の王」として、私たちを罪と死の支配から解放するために来られたことを感謝します。神の一方的な恵みに謙遜に応答できますように。