東京証券取引所の取引停止〜詩篇39篇

昨日はコンピューターシステムの東京証券取引所が一日閉鎖するという前代未聞の事態が生じました。

昨日は、珍しく、世界経済に影響を与えそうな事態が生じなかったから良かったのですが、一昨日は、米国の大統領選のための討論会があり、トランプ大統領の不利が報じられ、本日は、先ほどトランプ大統領が新型コロナへの感染が確認されたというニュースが流れました。

一昨日も、本日も、それぞれのニュースに対して日経平均株価が即座に200円余り下がりました(どの候補が有利になればよい……などという話は、横に置いての話です)。

昔、証券会社にいたときを思い出しながら、このようなとき本来開いているはずの市場が機能しないことが分かったとき、どのようなクレームが起きるかと、ふと思いました。

このコロナ騒ぎで、日本のIT技術の遅れが話題になっていますが、この東京証券取引所の一日閉鎖は、世界の金融市場から日本がそっぽを向かれるきかっけになり得る重大事です。本当にそれが昨日でよかった、これは神のあわれみかと思わされました。

それにしても株式投資で大儲けしたと思う人は、かなりの確率で、その後、大損をするという定めになっています。

そのような中で、富に望みを置く代わりに、天地万物の創造主に望みを置くというのが詩篇39篇7節の「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」という告白です。

詩篇39篇は、著者ダビデが、神からの懲らしめを受け、非常に困惑している気持ちが歌われています。しかも、その原因は、彼自身の「そむきの罪(ペシャー)」(8節) があったと自覚しています。

1節の訳は、リビングバイブルの訳が原文の意味をよく表しています。彼は神に不平を言いたくてたまらないのですが、神を信じない者が近くにいるので、神の御名を汚す罪になることを恐れて沈黙せざるを得ませんでした。2節は、英語のESV, NRSVでは「I held my peace to no avail(平静を保とうとしても無駄だった)」と訳されていますが、その方が文脈に合っています。

4節では突然、「お知らせください。主 (ヤハウェ) よ」(私訳) という訴えと共に、自分の終わりについて問いかけながら、再び、「私が、どんなに、はかないかを知ることができるように」と繰り返しています。株式投資の失敗例を見ていると、それが良くわかります。

5節では、「私の日を手幅ほどに」短くされたのは、神ご自身のみわざであると訴えながら、同時に、すべての人に適用できる現実として、「まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです」と告白されます。ほんとうに人の栄華はすぐに消えてゆきます

6節の最後は、「だれがそれを集めて自分のものにするのかを知りません」という意味で、伝道者の書5章11-14節では、「財産が増えると、それを消費する人も増える。持ち主はそれを目で見る以外、何の得もない……富む者は満腹しても、眠りを妨げられる……蓄えられた富が、その所有者に害をもたらす。その富は不幸な仕事によって失われ、息子が生まれても、その手に何もない」と記されています(「正しすぎてはならない―伝道者の書の翻訳と解説」からの訳)。

ダビデはイスラエル王国を安定させた途端、高慢になって罪を犯し、それが子供たちの罪につながり、彼も一時、エルサレムから逃げ出さざるを得なくなりました。その子のソロモンも上記のような真理を分かっていながら、高慢になって民を苦しめ、後の王国分裂の原因を作りました。私たちはこの世的な成功の下に隠れている罠にいつも目を見張る必要があります。

ダビデは、神の懲らしめを受けた結果として、「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」(7節) という心からの告白が生まれました。ダビデは、神ご自身との交わり自体を喜んでいるのです。

わたし自身も、目まぐるしく変化する株式市場から距離を置いて、永遠に変わることのない創造主との交わりのうちにある幸いを、今は、味わうことができています。

ただ、このときのダビデにとって、その状況は、あまりにも苦しいものなので、この詩の終わりにかけて、なお大胆に神の救いを求めて、必死に祈っています。そこでは、神に対する不平のようなことばではなく、子供のような気持ちで、「助け出してください」、「愚か者のそしりとしないでください」(8節)、「あなたのむちを私から取り除いてください」(10節)、「私の祈りを聞いてください……叫びを耳に入れてください……黙っていないでください」(12節) と、泣きすがっています。

ダビデは苦しみのただ中で、神の永遠のご支配の現実と自分の人生のむなしさを知りました。ただそこで、自分で自分を納得させようとするのではなく、必死になお、主にすがっています。これこそ神との対話です。

改めて次のみことばを味わってみたいと思います。

主よ 今 私は何を待ち望みましょう。
私の望み、それはあなたです


祈り

主よ、この世的な成功のむなしさをお知らせくださり感謝します。しかし、私は目の前の苦難が恐ろしいです。どうか、引き続き、愛の眼差しを注いでください。