マタイ12章1〜14節「安息日……真のよろこびの回復」

2020年8月16日

「どうしても心が満たされない人たち」という題の本の中に、「苦悩の75%は自分で作り出したもので、それは避け難い25%の苦悩を取り除こうとすることから派生する」とありました。

人の成長にとって苦しみは不可欠ですが、そればかりに目が向かい、与えられている恵みを忘れると、「いつも何かが足りない……」と思い、満足や喜びを永遠に感じることができなくなります。日本の文化はそれを加速させるような気がします。聖書の中の際立ってユニークな教えである「安息日」こそ、私たちの発想を逆転させるものです。

1.「人の子は安息日の主です」

律法の中心は「十のことば」(十戒)ですが、そこで最も分量が多いのが安息日の教えです。しかも、「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」とは、具体的な奉仕などではなく、「七日目は、あなたの神、主 (ヤハウェ) の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も」という労働の禁止です。

そして民数記15章では、「安息日に薪(たきぎ)を集めていた男」が「石打ち」で死刑に処せられた (32-36節) ということが記されていますから、ユダヤ人は安息日を守るということに極めて神経質になっていました。

そのころ、イエスは安息日に麦畑を通られた。弟子たちは空腹だったので、穂を摘んで、食べることを始めた」(1節) ことを、パリサイ人たちは「あなたの弟子たちは、安息日にすることを許されていないことをしています」と非難しました (2節)。

これは他人の畑の麦を勝手に摘んだことが問題なのではありません。申命記では、「隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない」(23:25) と記されているからです。

彼らが問題にしたのは、イエスの弟子たちの行為が、穂を摘む、脱穀する、もみをふりわける、食事の準備をするという安息日に禁じられている四つの労働行為に相当すると理解したからです。

何とも柔軟性がないとしか言いようがありませんが、この百年ほど前、エルサレム神殿がローマ軍によって包囲され、城壁の前の谷が埋められて行ったとき、ユダヤ人は安息日になるたびに反撃の手を休め、敵の進攻を黙認し、城壁が崩されても祭司たちは平然と礼拝儀式を守りながら殺されていったと報じられています。まさに安息日を守ることはいのちよりも大切なことだったのです。

そのパリサイ人たちの非難に対してイエスは、ダビデがサウルからの逃亡の途中でした行動に関して「読んだことがないのですか?ダビデが何をしたかを、彼と供の者たちが空腹になったときに。また、どのようにして、神の家に入り、臨在のパンを食べたのかを、祭司以外は自分も供の者も食べることを許されていなかったはずのものを」と問いました (3、4節)。

ここでの「臨在のパン」は本来、レビ記24章9節によれば祭司だけが「聖なる所で食べる」と記されていたものです。ところがサムエル記第一21章4-6節によれば、祭司は、ダビデと供のものの「からだが聖別されている」という条件で、「聖別されたパン」を与えました。

どうしてこのような柔軟な解釈ができたのかはわかりませんが、当時のユダヤ人は救い主の到来を待ち望み、その方を「ダビデの子」と呼んでいましたから、ダビデに関してのこの話を律法違反と言うことはだれにもできませんでした。ですからイエスは、その例を持ち出してパリサイ人たちの杓子定規な律法解釈を正したのです。

それと同時に、婉曲的にご自身を「ダビデの子」として位置づけたばかりか、ダビデが「供の者に与えた」ように、ご自身も、「供の者」である弟子たちに与えていると、弟子たちをかばわれたのです。

そればかりかイエスは、「また、あなたがたは律法で読んだことがないのですか、安息日に宮にいる祭司たちは安息日を汚しても咎を免れることを。あなたがたに言いますが、ここに宮よりも大いなるものがある」(5、6節) と言われました。

これはまず、安息日に労働をしてはならないという規定は、安息日にいけにえを献げる祭司たちには適用されないという民数記28章9、10節の原則を述べながら、礼拝奉仕は安息日の労働禁止規定より優先されることを述べたものです。

その上でイエスが「宮よりも大いなるもの」と言われたのは、ご自身のこと以前に「天の御国(神の御支配)」を意図したとも言えます。なぜならここは中性名詞格が用いられているからです。ただここでは確かにイエスが、ご自身のことを神殿よりも偉大な存在であることを示唆していることも確かです。それが8節の「人の子は安息日の主です」という表現につながります。

ただそれに挟まれるように、5節最初の「あなたがたは律法で読んだことがないのですか」ということばを受けるように、「もしあなたがたがこの意味を知っていたなら、『わたしが喜びとするのは真実の愛、いけにえではない』ということを。咎のない者たちを不義に定めはしなかったであろうに」と言われます。

これは9章13節でも引用されたホセア6章6節のみことばで、その時にもイエスは「これがどういう意味か、言って学びなさい」と律法の教師を自任する人たちに再学習を命じられました。「真実の愛」とは、「あわれみ」「慈しみ」とも訳されることばで、ホセア書ではヘセド(恵み、契約の愛、Steadfast love:不変の愛)を意味しました。

ですからここでは、安息日規定よりも、いけにえを献げることが大事で、さらに、いけにえよりも真実の愛」が大切であると述べられているのです。イエスは、安息日規定を守ることを、いのちを守ることよりも大切にするような律法解釈を、その原点に立ち返って正そうとしておられます。

その上でそれらをまとめるように、人の子は安息日の主です」と言われました。それはご自身を、ダニエル書等に預言された「救い主」であることを示唆しながら、ご自身こそが安息日の支配者であるという大胆な宣言です。

これは、イエスが一連の話をダビデの事例に立ち返りながら、ご自身を「ダビデの子」と位置付けることでもあります。それと同時にこれは、ご自身こそ安息日に何をしてよいか悪いかを判断することができる「」であるという大胆な宣言です。

2.「安息日に良いことをすることは、許されています」

そして続けて、「イエスはそこを去って、彼らの会堂に入られた。すると見よ、片手の萎えた人がいた。そこで彼らはイエスに尋ねた、『安息日に癒すことは、許されるか』と言いながら。それはイエスを訴えるためであった」と記されます (9、10節)。

ルカの平行記事では、「そこに右手の萎えた人がいた。律法学者たちやパリサイ人たちは、イエスが安息日に癒しを行うかどうか、じっと見つめていた(6:6、7) と記されています。彼らには「右手の萎えた人」への共感など全くなく、彼を「イエスを訴える口実を見つける手段としか見ていませんでした。

その律法解釈によれば、イエスの癒しは医療行為であり、安息日に行っても良いのは「お産」や「呼吸困難の場合のいやし」など緊急のものだけで、手の萎えた人の癒しなどは安息日に行う必然性がないことでした。彼らにしてみれば、イエスの癒しのみわざが神に由来するものならば安息日を避けて癒しを行うはずで、敢えて安息日を選んで癒すのは悪霊のわざとしか思えなかったのです。

紀元前175年にイスラエルを占領していたセレウコス朝シリアの王アンティオコス・エピファネスはユダヤ人の信仰を禁止し、エルサレム神殿にギリシャの神ゼウスの偶像を立てさせました。ユダヤ人はそれに対して軍事蜂起しますが、ユダヤ人はあるとき安息日に攻撃を受け、安息日を破るよりは、死を選ぶと言って1千人の人が命を落としました。

その後、ユダヤ人は、このようなことをしていたら、安息日ごとに攻撃を受け、全員が死ぬしかなくなると判断し、安息日に自衛のための戦いだけは行ってよいと律法を再解釈するということがありました (Ⅰマカバイ35-41)。

ですから、当時のユダヤ人は、命に係わること以外で、労働に相当する行いは決してしないと誓い合うようになっていました。安息日を守ることはまさに命がけでした。

そこで、イエスは彼らに敢えて質問をします。それは、「あなたがたのうちだれかが羊を一匹持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたなら、それをつかんで引き上げてやらないでしょうか」(11節) というものです。イエスがこのような羊の例をあげられたことには二つの理由があります。

まず第一に、当時の律法学者が安息日にして良いこと、悪いことの具体例をいろいろあげて議論したときに、安息日に穴に落ちた羊を助けるべきかどうかまでは議論せずに、瞬間的に、彼らは羊に手を差し伸べて助けるということが自明のことだからです。それは人間としての当然の感情です。

そして第二に、彼らは羊を助けることには何の躊躇も感じないのに、人を安息日に癒すことに関しては、それが律法にかなっているかどうかを延々と議論していたという愚かさを指摘するためでした。彼らはそこにいる「右手の萎えた人」の痛みを全く見ようとしていません。この人は、彼らにとって、自分の羊よりも存在意味のない者でした。

ですからイエスはここで、「人間は羊よりはるかに価値があります。それなら、安息日に良いことをすることは、許されています」と言われました。

なおここは厳密に、「律法にかなっている」というよりは、「良いことをすることは許されていると訳すべきだと思われます。たとえば、あなたの隣人にお医者さんがいたとして、その方が安息日を大切にしているときに、緊急の病ではない人を目の前に連れてきて、「人間は羊よりも大切だ」とイエスが言われたと言うなら、反対にあなたはそのお医者さんの人格を否定することになります。

この場面では、イエスはこの人を癒すことを翌日に延ばすことは何の問題もありませんでした。その方がはるかに問題を抱えずに済んだとも言えます。しかし、イエスは律法学者たちがこの手の萎えた人を、自分が所有する羊以下の存在に見ており、イエスを訴える手段として利用することしか考えていなかったことを問題にしたと言えましょう。

それでイエスはこの人に、「手を伸ばしなさい」と言われます。そして、「彼が手を伸ばすと、手は元どおりになり、もう一方の手のように良くなった」と驚くほど簡潔に癒しのみわざが記されます (13節)。

そしてそれは、この人にとって彼の人生を大転換させる「喜び」の実現でした。この日は、この人にとって真の安息の日に変えられたのです。まさにイエスは、この人のために安息日を創造してくださったのです。

ところがそれを見た「パリサイ人たちは出て行って、どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた」(14節) と描かれます。ルカは「彼らは怒りに満ち、イエスをどうするか、話し合いを始めた」(6:11) と記します。イエスはこのとき、ある意味で彼らの挑発に乗ってしまいました。

マルコはこの前に、「イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑なさを嘆き、悲しみながら、その人に『手を伸ばしなさい』と言われた」(3:5) という表現を加えていますが、それは彼らが安息日の本来の意味を見失っていたからです。

彼らは何を見ていたのでしょう?彼らには「右手の萎えた人」の痛みも喜びもどうでもよいことでした。ただ安息日という規則を守らせることだけに情熱を燃やしていたのです。彼らには義務感はあっても喜びはありません。

しかし、安息日とは、本来、見失っていた喜びを再発見する日ではないでしょうか。人生で果たすべき課題ばかりを見て忙しくしている人は、神のめぐみのみわざを見過ごしてしまいます。そこに信仰の喜びは生まれません。

これは、日本ではコロナ警察として表れています。自分の狭い正義感にとらわれて、目の前の人の痛みが見えなくなる状態です。

さらにマルコの福音書によると、このときイエスは、「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません」(マルコ2:27) とも語っておられます。安息日は、人を束縛する規則ではなく、自由にする恵みでした。

人の欲求には際限がありませんから、なすべき仕事にも際限がありません。ですから「仕事をしてはならない」と命じられて初めて堂々と休むことができるという現実があります。それは当時の奴隷や女性という社会的弱者にとってどれだけ大きな福音だったことでしょう。

また大切な労働を無制限に美化しないことで、人の存在価値を生産能力で測るようなこの世の価値観を正すことができます。

ところが、パリサイ人は安息日の規定を、かえって人を苦しめる規定に変えてしまったのです。イエスこそは、安息日を本来の姿に戻すことができる救い主であられたのです。

3.「あなたの御手のわざを 私は喜び歌います」

神が「七日目は、あなたの神、主 (ヤハウェ) の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない」と命じられた意味を、出エジプト記は (ヤハウェ) 六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである」と記します (20:10、11)。

不思議な理由ですが、「神のかたち」に創造された者は、この神の七日の創造のリズム、神の生き方に倣うべきなのです。実は、神は創造のみわざを終えた翌日の「第七日目を祝福し、聖とされた」(創世記2:3) とは、ご自身の働きを喜び祝うことに専念されたという意味です。

これは山の頂上で、大きな休みを取り、景色を眺め、食事を広げ、喜び祝うようなものです。ところがそこで働きを振り返って「休む」こともできずに、次の下山の心配ばかりするとしたら、どこに山歩きの喜びがあるでしょう。私たちは「休み」をとって初めて、自分の歩みが、主によって支えられ、守られてきたことに気がつきます。

しかも、そこで自分の歩みを励まし続けてくれた目に見える同伴者の存在を喜ぶことができます。安息日とは、まさに神と人との交わりを喜ぶ「祈りの日なのです。そこで「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主 (ヤハウェ) を愛しなさい」(申命記6:5) という命令が実践されています。

一方、申命記では、「七日目は……いかなる仕事もしてはならない……そうすれば、あなたの男奴隷や女奴隷が、あなたと同じように休むことができる」(5:14) と付け加えられます。日本の丁稚奉公など、最近まで盆と正月しか休みがなかったというのに、今から三千年前の「奴隷」には、一週間に一日の休みを完全に与えるように命じられていたというのです。

これこそ、まさに「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という命令を実行する日でした。

しかもその理由として、「あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主 (ヤハウェ) が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければならない」(5:14) と記されていました。

つまり、この日は、主の贖いのみわざを思い起こし、その喜びを社会的弱者と分かち合うための日だったのです。しかも、その恵みは家畜にまで及んだというのです。それは、主の救いのみわざを喜び楽しむ、「遊びの日」となったとも言えましょう。

安息日は、祈り (Pray) と遊び (Play) に専念する日でした。

それが詩篇92篇「安息日のための歌」で、「麗しいことよ」という宣言から始まり、その内容が、「 (ヤハウェ) に感謝すること 御名をほめ歌うことは。 いと高き方の御名をほめ歌うことは。 あなたの慈愛 (ヘセド) を 朝に あなたの真実を 夜ごとに 宣べ伝えることは。 十弦のことに合わせ 竪琴の調べにのせながら」と続きます (1-3節)。

そしてその理由が、「それは主 (ヤハウェ) のみわざが私を喜ばせてくださったから。 あなたの御手のわざを 私は喜び歌います」と表現されます (4節)。

それはまた「新しい天と新しい地」という真の安息を待ち望む日でもありました。

エゼキエル20章では、神ご自身がイスラエルを繰り返し裁き、最後にはバビロンの手で滅ぼさざるを得なかった理由として、「わたしの安息日を汚した」からと繰り返し述べられます。その上で、主はイスラエルに律法を与えた目的を、「人は、それらを行うなら、それによって生きるからである」と、律法の目的は人を「生かす」ことにあると述べています (11節)。

そればかりか、「わたしはまた、彼らに安息日を与えて、わたしと彼らの間のしるしとし、わたしが彼らを聖なるものとする主 (ヤハウェ) であることを、彼らが知るようにした」と言っておられます (12節)。つまり、安息日は、彼らを聖なる神の民として整えるために核心の教えだったのです。

そして何と、主はその律法を与えた荒野の生活の時点で予め、「わたしは、彼らを諸国の間に散らし、国々に追い散らす、と荒野で彼らに誓った。彼らがわたしの定めを行わず、わたしの掟を忌み嫌い、わたしの安息日を汚し、彼らの心が父たちの偶像を慕ったからである」と、すでに誓っておられました (23、24節)。

これは律法を与えた時点で、イスラエルのバビロン捕囚を予告し、その最大の理由を、安息日を汚したことと、偶像を礼拝したこととして述べているのです。偶像礼拝が、神に最も忌み嫌われる罪であることは一目瞭然ですが、安息日律法を破ることが、それと並ぶ恐ろしい罪であると述べられているのです。

イエスの時代のパリサイ人たちは、その反省から、神の国の実現は安息日を聖なるものとして回復することから始まると信じていました。ただそれに熱心になる余り、安息日を守らせる警備隊のような働きまで作り、人々から安息日の本来の喜びを失わせていました。

しかし、皮肉にも彼らは、自分たちの目の前に救い主がいるのを認めることができずに、安息日ごとに救い主の到来を願う祈りをささげていたのです。

主は世界の完成を、「わたしが造る新しい天と新しい地が……いつまでも続く……安息日ごとに、すべての肉なる者がわたしの前に来て、礼拝する」(イザヤ66:22、23) と、安息日の完成として描きます。

救い」とは、私たちが既にキリストにある「安息の日」に霊的な意味で招き入れられ、それが広がり、やがて誰の目にも明らかなように実現することです。

私たちは、その安息の完成を、今から喜び祝うことが許されているのです。安息日ごとに、ともに集まって主に祈り (Pray)、主の救いを喜び合うこと (play) を大切にしましょう。