コロナの闇とハバクク書

昨日、東京のコロナ新規感染者数が史上最高の366名を、日本全体でも981名を記録したという報道がなされました。本当に今後のことがどうなるのかと心配です。

一昨日、自分がコロナに感染したという夢を見ました。知り合いの若い牧師が感染してすぐに重症化し、集中治療室に入院していると聞いたからかもしれません。

本当に今後のことに関して注意が必要です。ただ、正直、日本のマスコミの報道の仕方に大きな疑問を抱いています。なぜ、新規感染者数ばかりを報道するのでしょう。どうしてそれと同時にPCR検査数などを知らせないのでしょう。

以下の「東洋経済オンライン」では、厚労省から発表された数字が、 になっています。

それによると、最近までの日本の新規感染者数のピークは4月10日の708名でしたが、そのときの検査数は5,389件に過ぎませんでした。昨日の検査数はまだ公表されていませんが、7月17日の検査数は、4月10日の三倍以上の18,190件に達していました。ひょっとすると4月の時点で同じだけの検査を行っていたとしたら当時の感染者数は2000人を超えていた可能性があるとも言えます。

また、重症患者数は4月30日がピークで328名でしたが、7月9日には31名にまで減少し、7月22日は少し増えて59名になっていました。

死亡者数は5月8日がピークで49名でしたが、最近はゼロが続き、7月20日は3名、7月21日、22日には各1名にまで減少しています。

ですから、この一週間の動向は大変な注意を要することは明らかとしても、緊急事態宣言が出されていた4月の状況とは大きく異なり、大幅な改善が確認されているのです。それが、政府や東京都が新たな厳しい外出制限等を出さない理由と言えます。

もちろん、私たちは感染の広がりに最大限の注意を払う必要があります。しかし、この間、同時に、多くの人々が仕事を失い、また労働時間が減らされ、また持病が悪化し、また別の病が重症化するという悲惨を耳にします。

政治指導者はそれらのバランスを見ながら、政策を判断しています。私たちはマスコミのセンセーショナルな報道に振り回されず、落ち着いて状況を見つめ、政治指導者のために、また身近なところで苦しんでいる人のために祈る必要がありましょう。

なお、天地万物を支配する創造主への信仰は、しばしば、「にも関わらず、私は主を喜ぶ」こととして現わされます。

目の前が絶望的であればあるほど、そこに神の新しいみわざの息吹を発見することができます。

たとえば、私たちの教会では、礼拝に来られない持病をお持ちの80台、90代の方々が何人も水曜朝の Zoom での祈祷会に喜んで参加してくださっています。

このようなことを、誰が半年前に予想できたでしょう。これは一つの些細な例かもしれませんが、私たちはどのような不自由な生活の中でも、そこで新しいツールを発見し、そこから今までになかった生き方を、また交わりの築き方を発見することができます。

それは、どのような悲惨な時にも、そこに「新しい創造」の芽を見ることができるということです。

預言者ハバククは、今から2640年前にイスラエル王国がバビロン帝国によって滅ぼされることを預言しながら、同時に、それによって神の民の信仰が生き返り、新しい歩みをすることができることを、次のように歌いました。

ハバクク3章17、18節は次のように訳すことができます。

いちじくの木は花を咲かせず、

ぶどうの木は実をみのらせず、

オリーブの木も実りがなく、

畑は食物を出さず、

羊は囲いから絶え、

牛は牛舎にいなくなるにも関わらず、

この私は主 (ヤハウェ) にあって喜び勇み、

私の救いの神にあって喜ぼう

これは目の前にバビロン帝国の攻撃によって農作物が台無しにされ、家畜がいなくなるという悲惨を見ながら、そのただ中で、主の救いのご計画が確実に進んでいることを確信し、「私の救いの神にあって喜ぶ」と告白することです。目に見える悲惨は、神がエルサレムの民をご自身の民として整えるという、神ご自身のご計画の中で起きている一時的な悲惨に過ぎません。それを通して、世界全体に対する神の救いが実現するのです。

最後に、「ヤハウェ、私の主」と告白しながら、「その方が、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる」と締めくくります (3:19)。

しばしば、「夜明け前が、一番暗い」と言われるように、ハバククは目の前の状況が悪くなればなるほど、神の救いのご計画が進んでいることを信じ、そこで喜ぶことができました。

この箇所が、様々な歌にされています。その一つを以下で味わってみてください。