詩篇92篇「安息日のための歌」という標題がついていますが、このような記述は詩篇の中でここだけです。ユダヤ人の伝承の中では、「ユダヤ人が安息日を守ったというよりは、安息日がユダヤ人を守ってくれたのである」と言われます。第二次大戦後にイスラエルという国家と現代ヘブル語が突然誕生したのはこのためとも言えましょう。
なお安息日の教えは出エジプト記20章では、「主が六日間で世界を造り、七日目に休んだから」という天地創造に目が向けられますが、申命記5章では、イスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放されたことを覚えて、奴隷を休ませるという面に目が向けられます。イエスが、「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません」(マルコ2:27、28) と言われ、生まれつき目の見えない方や、足のなえた方を、敢えて安息日に癒されたのは、この日を解放の日として喜ぶためでした。
原文での冒頭のことばは、「良い(麗しい)ことです」という描写から始まりますが、それは1-3節全体を指してのことです。神の目に何よりも「麗しい」ことは、「主 (ヤハウェ) に感謝」し、主の「御名をほめ歌う」こと、また主のご性質である「恵み(ヘセド:不変の愛)」と「真実(アーメンと同根)」を、「十弦の琴」や「竪琴の妙なる調べにのせて歌いながら」、「朝に」また「夜ごとに」、「告げる」ことであるというのです。
その理由が4節で「私を喜ばせてくださいました」と描かれます。これは出エジプトの救いから始まるすべての主の働きが、私の喜びとなったという意味です。それがさらに、「あなたの御手のわざを 私は喜び歌います」と記されます。私たちは日々の生活の中で、自分や家族が達成した何かの成果を喜び、誇りがちですが、主にとって最も「麗しい」ことは、様々な楽器を奏でながら、主ご自身のご性質を、また主のみわざを喜び歌うことなのです。
著者は引き続き5、6節で、主のみわざの「大きいこと」や「御思い(構想 designs)」の「深い」ことを賛美しながら、「無思慮な者は知らず 愚か者にはこれが分かりません」と告白します。人はしばしば、目の前の課題や、仕事や人間関係ばかりに目が向かって、この世界が神の不思議で満ちていることを忘れてしまいがちだからです。
この社会では、「無思慮(鈍感)な者」である方が、傷つかずに済むかもしれませんが、それでは神と人との真の心の交わりは生まれません。この世的には知性が高いように見えても、すべてが当たり前ではないということに気づかない者は、「愚か者」に過ぎません。
8節はこの詩篇の中心点です。神は、この世界を超えた「いと高き所」にある御座からこの世界のすべてを支配しておられます。ただ多くの人々は、「それでは、なぜこのように世界に戦争や犯罪や不条理がまかり通っているのか?」と思うかもしれません。しかし、神は人をロボットに創造する代わりに、主体的な意思を与えられました。多くの人が子育てに悩むように、神も「あわれみで胸が熱くなって」おられます (ホセア11:8)。
さらに9節では7節での勝利、10、11節では4-6節での私の喜び、12-15節は1-3節での主の祝福への感謝が、再び歌われます。12節の「正しい者」とは、主に感謝する者で、その人は「年老いてもなお 実を実らせ 青々と生い茂」ると約束されます (14節)。
祈り
主よ、私たちは毎日、何かに駆り立てられるように忙しく生きてしまいがちです。どうか、安息日の恵みを思い起こさせてください。主の天地創造のみわざ、また歴史に現わされた圧倒的な救いのみわざを思い起こし、感謝する者とさせてください。
賛美歌90番「ここも神の御国なれば」は、私の愛唱歌です。以下で面白い動画が見られます。
- ここも神の御国なれば 天地御歌を 歌い交わし
岩に樹々に 空に海に 妙なるみわざぞ 現れたる - ここも神の御国なれば 鳥の音 花の香 主をばたたえ
朝日、夕日 栄えに 栄えて そよ吹く風さえ 神を語る - ここも神の御国なれば よこしま暫しは ときを得とも
主の御旨の ややに成りて 天地 遂には一つとならん
三番の意味は、「この世界は神のご支配の中にある たとえ 不条理なことが一時的にこの世界を支配しているように見えても、主のみこころは 次々と成し遂げられて 神の天のご支配がこの地にも実現する」という最終的な平和 (シャローム) の完成を歌うものです。
三番の原詞は以下の通りです
This is my Father’s world: Oh, let me ne’er forget
That though the wrong seems oft so strong, God is the ruler yet.
This is my Father’s world, The battle is not done:
Jesus who died shall be satisfied, And earth and Heav’n be one.