僕は今、ヘブル書の解説の本の仕上げのために毎日教会に籠っています。
ヘブル書では詩篇95篇が重要な意味を持っています。ヘブル1章では、神の御子が、父なる神とともに世界を創造され、今、王として世界を治めておられることが記されます。
それは、この詩篇の1-5節の讃美と関りがあります。
ヘブル2章では御子の受肉と復活を含めた御業が描かれますが、それはこの6、7節の讃美に関係します。そして3、4章になって7節3行目から11節に至るみことばが警告として記されます。これは奴隷の地エジプトから解放されたイスラエルの民が、神の御声を何度も聞き、その圧倒的な救いのみわざを何度も見ながら、神に逆らい、神を試し、神の怒りを買って、約束の地に入ることができなかったことを歌ったものです。
まず、以下の詩篇(私訳交読文)を味わってみていただければ幸いです。
さあ、喜び歌おう 主に向かって (1)
喜び叫ぼう 私たちの救いの岩に向かって
御前に進もう 感謝をもって (2)
賛美をもって 主に喜び叫ぼう
それは 主 (ヤハウェ) が偉大な神であって (3)
すべての神々にまさって 偉大な王であられるから
地の深みは 御手のうちにあり (4)
山々の頂も 主のものである
海はこの方のもの この方が造られた (5)
陸地も 御手が形造った
来たれ ひれ伏し 膝をかがめよう (6)
ひざまずこう 私たちを造られた主 (ヤハウェ) の御前に
それは この方こそが私たちの神であられ (7)
私たちは その牧場の民 その御手の羊なのだから
今日 もし御声を聞くなら
あなたがたの心を頑なにしてはならない (8)
メリバにいたときのように
荒野のマサでの日のように
そこで、あなたがたの先祖は わたしを試み (9)
わたしを試した わたしのわざを見ていたにも関わらず
四十年の間 わたしはその世代を忌み嫌った (10)
そして わたしは言った
彼らは心の迷った民だ
彼らはわたしの道を知らない
それゆえ 怒りのうちにわたしは誓った (11)
「彼らはわたしの安息に入ることはない」
ヘブル4章1節では、「こういうわけで、私たちは恐れる心を持とうではありませんか」という不思議な書き出しになっています。それはここでは、「神の安息に入るための約束がまだ残っているのに、あなたがたのうちだれかが、そこに入れなかったということのないように」、「恐れなさい」という意味です。
これは3章12、13節で、信仰の友が「生ける神から離れてしまうことのないように」、また「罪に惑わされて頑なになることがないように」、「互いに日々励まし合う」ことが求められていたことを思い起こさせます。
なお、ここで「神の安息に入る」とは、「死んでたましいが天国に憩う」という霊肉二元論的なことを語っているのではなく、最終的に、キリストと同じような栄光の復活にあずかって、「生ける神の都、天のエルサレム」(12:22) に入れていただくことを意味します
英国でC.S.ルイスと並び称されるクリスチャン作家のトールキンが「指輪物語」を記し、それがロード・オブ・ザ・リングという映画として上映されました。それは小人とその仲間たちの冒険の旅ですが、魂をむしばむ指輪の誘惑に耐えながら、世界を救うための使命を全うするという物語です。この映画の主題歌をアイルランドのエンヤが依頼され、以下のような歌詞の歌ができました。
それは上記のヘブル4章1節を歌にしたような気がします。以下私訳
宵の明星が、あなたの上に輝きますように。
闇に覆われる時も、あなたの心が真実でありますように。
あなたは孤独な道を進んでいる
何と故郷から遠く離れたことだろう。
闇が来た(架空のことばの意味)
信じ続けるなら、あなたは道を見出す
闇が覆った(架空のことば)
約束は今、あなたの心に生きている
どうか、影の呼びかけが過ぎ去りますように
どうか、あなたの旅路の上に、
日の光が照らされるように
夜が克服されるときに
あなたは目覚め、太陽を見出すでしょう
闇がやってきても(架空のことば)
信じ続けるなら、あなたは道を見出す
闇に覆われても(架空のことば)
約束は今、あなたの心に生きている
約束は今、あなたの心に生きている
この曲を英国のコーラスグループ Voces8 (ボーチェス8) の歌でお聞きください。様々な宗教曲を無伴奏で歌っています。この機会にいろいろ探してみると面白いかもしれません。