今朝、自宅から教会に向かって30分あまりを歩きながら、詩篇23篇をヘブル語で口ずさんできました。昔、これをヘブル語で暗唱できるようになったら自分の信仰も、もっとシャキッとするかと思い、頑張って覚えました。でも覚えても、変わりはしませんでした。やはり慣れ親しんだ日本語でないと、心の奥には届かないのかと思います。
そうは言っても、このリズムは素晴らしいです。
たとえば最初、「アドナイ・ロイー ロー・エフサール」と始まりますが、これだけで「主 (ヤハウェ) は私の飼い主、私は乏しいことがありません」という意味になります。
また、「ガム・キー・エレク ブゲイ ツァルマベット ロー イラーラー」だけで、「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れはしません」という意味になります。
恐くなった時、「ロー(しない)イラー(私は恐れる) ラー(わざわいを) キー(なぜなら)アター(あなたが)イマディー(ともにおられるから)」と唱えると、何となく、心が落ち着くということがあります。
以下は原文のリズムをより生かした私訳です。味わっていただければ幸いです。
詩篇23篇 ダビデの賛歌
主 (ヤハウェ) は、私の飼い主、(1)
私は乏しいことがありません。
主は私を、緑の牧場に伏させ、(2)
憩いの水際
に伴われます。
主は私のたましいを 立ち返らせ、(3)
御名のために 義しい道筋に戻されます。
たとい 死の陰の谷を歩むことがあっても (4)
わざわいを 恐れはしません。
あなたが いつもともにいてくださいますから。
あなたの鞭
と杖、それらが私を安心させます。
敵の前で、あなたは私のために食事を整え、 (5)
頭に香油を注いでくださいます。私の杯は溢れています。
生きている限り、恵み (goodness) と慈愛 (ヘセッド) が 私を追い続けます。 (6)
とこしえに私は、主 (ヤハウェ) の家に住み続けましょう!
この詩は主の御名(「ヤハウェ」と発音したかと思われる)を呼び、自分を羊にたとえて、主を「私の飼い主」と告白することから始まります。作者ダビデは、ライオンや熊の口から羊を救い出したほどの勇敢な羊飼いでしたが、ここでは自分を愚かで臆病な羊にたとえています。羊は極度の近視で、わけもわからず進んで崖から落ちたり、道を踏み外して転んだり、良い飲み水さえ区別することもできません。まさに羊は、羊飼いがいなければ、どんなに環境が良い所でも、緑の牧場に伏すことも、いこいの水のほとりに行くことも、正しい「義の道」に戻ることもできない愚かで臆病な動物です。
ダビデは世界中で最も尊敬されている王でありながら、自分と神との関係を、羊と羊飼いにたとえました。ダビデは、自分の愚かな罪が家族の争いを引き起こし、息子アブシャロムから一時的に王座を奪われる中で、徹底的に謙遜にされ、主の守りなしには自分は一瞬たりとも生きて行けないことを悟り、このように告白したのでしょう。「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても……私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え」という表現にはその時の体験が生々しく描かれているのだと思われます。
アルコール依存や薬物依存など、様々な依存症に陥る人は、「私は偉大だ!」という幻想を追い求めずにはいられない心の弱さがあると言われます。しかし、ダビデの強さは、何よりも、自分の弱さや愚かさを徹底的に直視できたことにあったのです。
天地万物の創造主ご自身が、「私の飼い主」であると心から告白できるなら、何があっても、「私は、乏しいことがありません」と告白することができるようになります。良い羊飼いに導かれた羊は、雑草を消化しそれを肥料に変え、荒れ地をも緑に野に変えることができます。同じようにあなたも、主に従い続けるなら、自分の生きた後に、美しい緑の牧場を残すことができます。その感動が最後の6節に描かれています。
祈り
天地万物の創造主ご自身が「私の飼い主」になってくださったことを感謝します。愚かな強がりを捨てて、主に信頼できる平安を心から味わうことができますように。
以下は詩篇23篇をヘブル語で歌ったものです。最初の2分で最後まで歌われています。後半は同じ言葉を繰り返していますので全体の曲は長く聞こえますが、最初の部分で、ヘブル語の簡潔なリズムと韻を踏むことばの詩の美しさを少しで味わっていただければ幸いです。
יהוה רעי לא אחסר
主は、私の飼い主、私は乏しいことがありません。
בנאות דשא ירביצני על מי מנחות ינהלני
主は私を、緑の牧場に伏させ、憩いの水際に伴われます。
נפשי ישובב ינחני במעגלי צדק למען שמו
主は私のたましいを 立ち返らせ、御名のために 義しい道筋に戻されます。
גם כי אלך בגיא צלמות לא אירא רע כי אתה עמדי שבטך ומשענתך המה ינחמני
たとい 死の陰の谷を歩むことがあっても わざわいを 恐れはしません。
あなたが いつもともにいてくださいますから。
あなたの鞭と杖、それらが私を安心させます。
תערך לפני שלחן נגד צררי דשנת בשמן ראשי כוסי רויה
敵の前で、あなたは私のために食事を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯は溢れています。
אך טוב וחסד ירדפוני כל ימי חיי ושבתי בבית יהוה לארך ימים
生きている限り、恵みと慈愛が 私を追い続けます。
とこしえに私は、主の家に住み続けましょう!