今朝、いつものように30分余りかけて教会に向かって歩いてきました。若干沈んだ心から歩き出したのですが、太陽の光が驚くほど心地よかったです。考えてみたら最高の季節なのですね。
その中で、ふと詩篇19篇のみことばとハイドンの天地創造の賛美が心に浮かんで嬉しくなりました。オラトリオ「天地創造」は約1時間40分もかかる大曲ですが、その最も有名な部分は、創造の第四日目を歌った次の部分です。
この部分は6分半しかかかりませんので、以下のみことばを味わいつつ、お聞きいただければ幸いです
最初は創世記1章14-16節の意訳抜粋がそのまま短く歌われます。
「神は仰せられた。『光る物が祝いとして天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。地の上を照らさせよ。定められた時々のため、日々と年のためのしるしとして……神は同じように星も造られた』」
それに続けて詩篇19篇5-6節の意訳を用いて、太陽が昇って天の軌道を走る様子が歌われます。
太陽のため 彼(神)は そこに幕屋を張られた
それは花婿が住まいを出るように
勇士のようにその道を喜び走る
その昇るところは天の果てから
その軌道は天の果てまでおよぶ
その熱をこうむらないものはない
その後、多くの人々に親しまれている合唱曲が、詩篇19篇1-4節のみことばから歌われます。ドイツ語ですみませんが、雰囲気を味わってみてください。
天は 神の栄光を 語り
大空は御手のわざを告げる
昼は昼へと 話を取り次ぎ
夜は夜へと 知識を伝える
話もなく ことばもなく
その声も聞かれないのに
その響きは 全地を覆い
そのことばは 世界の果てにおよぶ
解説
この詩の美しさは比類ないものです。ここには天からのことばにならない語りかけと、ことばを用いた神の語りかけの二つが記され、「こころ」を創造主に向けさせます。
宇宙は、無言のことばで「神の栄光」を語っています。私たちは「自然」と呼びますが、宇宙が自然に生まれるでしょうか。ところが、聖書は、大空に広がる広大な世界を、神の「御手のわざ」と呼びます。
この世界では、愛する人がいなくなったり、会社が倒産したりなどということが日常茶飯事で、明日への不安を抱かざるを得ません。ところが、神の御手のわざは、変わることなく存在し続けています。
聖書によると、昼と夜の繰り返しは、自然ではなく、神が、ご自身の契約を真実に守り通しておられることのしるしだというのです (創世記8:22)。世界は、ことばや理屈が多すぎるのかもしれません。自分が世界を把握しようとするのではなく、これらの被造物を通して、神が発しておられる「声も聞かれない……ことば」を味わって見るべきではないでしょうか。
7-9節では、「主のみことば」が六種類の表現で次のように描かれます
主 (ヤハウェ) のみおしえ (トーラー) は完全で たましいを生き返らせ
主 (ヤハウェ) のあかしは確かで 無知な者を賢くする
主 (ヤハウェ) のさとしは正しくて 心を喜ばせ
主 (ヤハウェ) の仰せはきよらかで 目を明るくする
主 (ヤハウェ) を恐れる道は純粋で いつまでも続き
主 (ヤハウェ) のさばきはまことで ことごとく正しい
そして それらをまとめて、「金にまさり……慕わしく、蜜よりも……甘い」(10節) と言われます。聖書こそ、私たちにとっての最高の宝、こころの最高の栄養、また活力なのです。
13節でダビデは、「傲慢の罪から守ってください」と祈ります。サタンは、「いと高き方のようになろう」(イザヤ14:3) と願って天から落ちた神の御使いのなれの果てです。また最初の人アダムは、「あなたがたは神のようになる」(創世記3:5) という誘惑に負けました。「すべての罪の始めは高慢である」と言われることはまさに真実でしょう。
私たちは自分が生まれながら、神の世界に包まれ、生かされていることを意識し、また、神のみことばなしには、生きる意味も目的も理解できないと分かるなら、そのときこそ、神が願われる「全き者」に達したことになるのではないでしょうか。
祈り
この詩の最後に添って、「私の口のことばと、心の思いとが、御前に受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主 (ヤハウェ) よ」と祈らせてください。