三千数百年前に記された聖書には驚くほど詳細な感染症対策が記されています。その代表としてハンセン病との類比性が見られるツァラアトがありましたが、当時に、死体に触れることや出血性疾患との分離規定がありました。そして社会的には、ローマ帝国の支配を正当化する取税人のような人間との分離が強く勧められました。
様々な意味での「汚れ」は、私たちの身体も交わりも腐敗させる恐れがあります。ところが、イエスは、取税人と一緒に食事をしたばかりか、長血を患った女や死体に触れることをまったく躊躇しませんでした。それはイエスのいのちと聖さが、死の力と汚れを呑み込んだからです。
取税人マタイが収税所から「立ち上がった」ということばは、死者からの復活を示唆します。マタイは、イエスにあるいのちの歩みへと招かれたのです。ただ、その新しい「いのち」は、当時の律法学者の教えの枠にはまるようなものではありませんでした。それが「新しい(若い)ぶどう酒は新しい皮袋に」という教えにつながります。
科学的な感染症対策は大切ですが、「ウィルスより怖いのは恐怖心理であり、それが社会を壊し、人々を死に追いやる」とも言われます。私たちは、イエスにあるいのちの力が死の力を打ち破ったという復活信仰を忘れてはなりません。人との社会的な距離を保つことは一時的な手段に過ぎません。
キリストにあるいのちの力を忘れると、恐怖の力に呑み込まれ、愛ではなく怒りと不安が心を委縮させてしまいます。
1.「花婿の子たちは、花婿が彼らと一緒にいる間に、悲しむことができるでしょうか」
9章9-13節では、イエスが取税人マタイの家の客となり、その食事会が話題になりました。そして14節では突然、「バプテスマのヨハネの弟子たち」が登場し、イエスに質問をするという展開になります。
なお、先にヨハネの姿は、「らくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった」(3:4) という質素なものとして描かれました。また彼の説教は「斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます」(3:10) という厳しいもので、彼は人々に「悔い改めのバプテスマ」を授け、人々に主の厳しいさばきに備えるようにと訴えていました。
そのようなヨハネの弟子たちは、「いったいどうして、私たちとパリサイ人は断食しているのに、あなたの弟子たちは断食をしないのですか?」と問いました (9:14)。
ルカ5章33節からの並行記事では、パリサイ人たちの方が「ヨハネの弟子たちは、よく断食をし、祈りをしています。パリサイ人の弟子たちも同じです。ところが、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」と言ったと記されます。それはイエスが、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです(罪人を回心へと招くため)」(ルカ5:32) と言われたことへの反論でした。
確かに世の常識からしても、祝宴などを開いて罪人を甘やかすのではなく、罪を指摘し、反省文を書かせ、その後の行動をチェックし、生き方の模範を指し示すことこそ大切ではないでしょうか?なお「断食」とは、自分の罪を悲しむ表現と考えられますから、それこそが「悔い改め(回心)」に導くために必要なプロセスだと思えます。
とにかく、マタイとルカは矛盾しているのではなく、ヨハネの弟子もパリサイ人も、同じ疑問を持っており、それこそが世の常識と思えたことを示します。ところが、イエスはこのような信仰の基礎訓練以前に、喜びの祝宴を大切にされていたようです。
それに対しイエスは、「花婿の子たち(友人または客たち)は、花婿が彼らと一緒にいる間に、悲しむことができるでしょうか。しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。そのときには断食します」と言われました (9:15)。これはご自身を「花婿」に、弟子たちを花婿の「子たち(客または友人)」にたとえて、今は、喜びの時であると告げたという意味です。
すでに4章16節では、イエスの現れが「闇の中に住んでいた民は 大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に 光が昇る」というイザヤ9章2節で預言された「天の御国」の到来の時であると記されていました。バプテスマのヨハネの断食もパリサイ人の断食も、天の御国を実現するキリストを迎えるための備えとしての「悔い改め」のしるしでした。
ところが、パリサイ人や律法学者たちは、待ち望んでいたはずの神の救いを目の前にしながら、それを認めませんでした。それは、結婚式に喪服を着て参列し、悲しみの歌をかなでるような無作法であり、皮肉なことです。
「悔い改め」の中心は、行動を変えること以前に、心の方向転換を意味します。心理学的には、反省のし過ぎは、自己嫌悪感を募らせ、かえって行動を改めようとする意欲を減退させるとのことです。それは特に、人間の右脳では、過去の不快な記憶を思い起こし反省することは、理由もなく苦痛の記憶を繰り返し反復するというようにしか働かないからです。
これはたとえば、子どもが親からの愛情を感じることが足りないままで、厳しく反省ばかりを迫られるときに、反省すべき理由を考える以前に、親から罵倒されたという不快な感情ばかりが残るようなことです。
真の悔い改めは、神の愛への感動から生まれるものです。それは詩篇作者が「主よ。あなたがもし 不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立てるでしょう。しかし、あなたが赦してくださるゆえに、あなたは人に恐れられます」(詩篇130:3、4) と告白したとおりです。
しかし、イエスは同時に、ご自分の十字架を示唆して、「しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。そのときには断食します」と言っておられます。しかも、その悲しみの日は、すぐに復活の喜びの日に変えられます。そこでは最悪の悲しみが、最上の喜びの原因となっているのです。
日本人は、反省会は上手ですが、上品に喜びの祝宴を開くのは下手です。聖書が示す「神の国」の完成は、豊かな祝宴として描かれます。私たちが今、自分の欲望を制するのは、仏教のように欲望を滅すためではなく、スポーツ選手が栄冠を目指して自制するように、より大きな喜びを逃すことがないための一過程に過ぎません。
私たちはイエスにある真の「祭り」を復興する必要があります。昔の取税人のような人の回心を「本物かな?」などと疑わずに喜びましょう。イエスが既に「神の国」を実現してくださったことを祝いましょう。
2.「若い(新しい)ぶどう酒は新しい皮袋に」
さらにイエスは、「だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません。その欠けを満たすもの(継ぎ切れ)は衣から離れてしまい、破れがもっとひどくなるからです」(9:16) と言われます。新改訳で「継ぎ切れ」と訳されたことばは、原文では「欠けを満たすもの」と訳されます。ですから、これは「この欠けを埋めてあげよう……」という善意に満ちた行動が、問題をさらに複雑にするというたとえになります。
「古い衣」とは律法を守るための外枠としての先祖からの「言い伝え」を指すとすると、パリサイ人が伝統を守ろうと必死になるあまり、マタイのような取税人をそれに合うように訓練しようとすることで、彼らの新しい布切れのような個性を殺すばかりか、保とうと思っていた伝統と慣習も引き裂かれることを指すとも言えましょう。
続くたとえは、「だれも若いぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂け、ぶどう酒が流れ出て、皮袋も失われます。若いぶどう酒は新しい皮袋に入れます。そうすれば両方が保たれます」と訳すことができます (9:17)。
原文では「新しいぶどう酒」は、時間的な新しさを意味するネオス (νέος) で、「新しい皮袋」は質的な新しさを意味するカイノス (καινός) です。ドイツ語聖書では「若いぶどう酒を新しい皮袋に」のようなことばの使い分けをしています。イスラエルは豊かなぶどうの産地でしたが、ぶどうの実を保存するにはぶどう酒にするしかなく、それは自然な飲み物でした。未発酵のぶどう汁を真新しいやぎの皮に入れると、皮を通して静かに呼吸を始め、発酵が進みます。つまり、皮袋が古くなることとぶどう酒が熟成することはセットなのです。
ただ、古い皮袋に若いぶどう酒を入れると、二酸化炭素を放出できないため張り裂けてしまいます。ですから、たとえばハンナが息子のサムエルをささげるため主の宮に登ったとき「ぶどう酒の皮袋一つを携え」(Ⅰサムエル1:24) などと記されるように、ぶどう酒と皮袋は一体のもので、飲むときまで皮袋を開けることもありませんでした。
つまり、「新しいぶどう酒」とは、イエスの新しい教えを指すのではなく(多くの注解者も誤解していますが……)、新しい(若い)神の国の民、つまり、取税人や罪人を含む未成熟なイエスの弟子たちを指します。イエスとの出会いによって生まれた彼らのいのちのエネルギーは、パリサイ人や律法学者が大切にしてきた伝統に合わないばかりか、それを壊してしまいます。
ルカ5章39節では、「まただれも、古い(熟成した)ものを飲んでから、若い(新しい)物を望みはしません。『古いものが良い』と言います」とも記されます。これは後の時代に、異邦人とユダヤ人クリスチャンの間に、慣れ親しんだ習慣の違いから争いが生まれることを予見して「古い物は良い」と言ったのかもしれません。それぞれが成熟するプロセスには歴然とした違いがあるからです。
なお、古いぶどう酒の味わい深さのために、「新しさ」を受け入れることができない危険は、今も昔も同じです。たとえば、礼拝音楽などをめぐって対立が起こる教会では、「新しいぶどう酒」は、現代的な音楽で育った若者、「古い皮袋」とは、五百年前から続く教会音楽の伝統にたとえられる場合もあり得ます。「古い物は良い」のですが、その心を忘れ、外面的な形を絶対化しようとすると、かえって若者を失ってしまうかも知れません。
聖霊こそ「新しい皮袋」です。それぞれの個性を生かし、静かに、優しくみことばを適用し、私たちを熟成させてくださいます。若い信仰者を、伝統という古い皮袋に収めようとして、福音の本質を見失ってはなりません。
私たちも「古い皮袋」に固執するあまり、神の圧倒的な恵みを喜ぶことも楽しむこともできない道徳主義に陥る危険性があることを忘れてはなりません。新しいいのちが新しい皮袋とともに熟成して行くというプロセスを大切にしたいものです。それとともに「古いものが良い」という視点も認められるようになります。
3.「あなたの信仰があなたを救ったのです」
9章18、19節では、「イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、一人の会堂司が来てひれ伏し、『私の娘がたった今、死んだところです。しかし、お越しくださり、あなたの手を、娘の上に手を置いてやってください。そうすれば、生き返ります』と言った。そこでイエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも従った」と記されます。
ルカ8章40節以降では、主の御前にひれ伏したのは、「ヤイロという……会堂司」であると記されます。この人は、会堂での礼拝全体を管理し、説教者を決める権限のある人で (使徒13:15)、誰もが一目を置く町の有力者ですから、彼が「ひれ伏す」とは前代未聞の情景です。それは、彼の「一人娘……十二歳ぐらい」が「死にかけていた」からでした (42節)。
これは「死ぬところであった」とも訳すことができることばですが、ルカの文脈では明らかにまだ死んでいません。マタイの文脈は、既に死ぬことが分かっていたというニュアンスを会堂司が「今、死んだところです」と言ったと解釈できます。
とにかく、大人一歩手前の一人娘の死は、町の人全体の同情を買うに値する一大事でした。そして、イエスがヤイロの家に向うとき、「群集はイエスに押し迫ってきた」(ルカ8:42) というほどの集団移動が起こります。
そこに、「すると見よ、十二年もの間、長血をわずらっている女が、イエスの後ろから近づき、その衣の房に触れた」(9:20) と記されます。彼女はヤイロの娘の年齢と同じ年月苦しみ続けていました。これは、肉体的な痛みばかりか精神的な孤独感に圧倒される病です。
当時の律法では、女性は月経の七日間、引き篭もりが命じられましたが、「長い日数にわたって血の漏出が……あるなら……彼女が座った物はすべて、月のさわりの間の汚れのように汚れる」と言われていました (レビ15:25-27)。つまり、彼女は十二年間、汚れた女として、人々の冷たい視線を浴び続けていたのです。
マルコの並行箇所では、彼女は「多くの医者からひどい目に会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまった」(5:25) と描かれていました。
その女が「イエスのうしろから近づき」ます。それは彼女の場合は、自分の身を隠さなければ近寄れなかったからです。しかも、人々の心が会堂司の娘のことで一杯になっている今こそが、イエスに近づく千載一遇のチャンスでもありました。
それにしても、イエスに近づく距離は何と長く思えたことでしょう。人々を押し分け、手を必死に伸ばしながら、ようやく、イエスの着物の「房」までたどりつきました。これはタリスと呼ばれる祈りの装束の四隅の「房」で、そこに「青いひも」がついていました (民数記15:38、39)。それは、「主 (ヤハウェ) のすべての命令を思い起こし」て、自分の心と身体を誘惑から守るシンボルでもありました。
不思議にもこの女は、「『この方の衣に触れさえすれば、私は救われる』と、自分で自分に語っていた」というのです (9:21)。どこからそのような思いが湧いたのかは分かりませんが、イエスの衣の房は「聖さ」の象徴のようなものです。もし、彼女のような「汚れ」を抱えた女が、パリサイ人の衣の房に触れたとしたなら、石打ちの刑にされても仕方がないほどの、大胆な行動です。
彼女は不思議に、自分の汚れがイエスの衣を汚す代わりに、イエスの「聖さ」が自分の「汚れ」を呑み込むというようにでも考えたのではないでしょうか。それは8章17節で、イエスのいやしのみわざが、「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負う」という意味を持っていたと描かれていますが、彼女は不思議のその神秘を知っていたのでしょう。
そして、「イエスは振り向いて、彼女を見て言われました、『娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです』と。すると、その時から彼女は救われた」と描写されます (9:22)。ルカやマルコの記事では、彼女の出血が止まった後で、イエスの言葉があったという順番になっていますが、それではイエスのご意志と無関係に、彼女が癒されたかのように誤解され得ます。それに対しマタイは、この女性の癒しは、イエスご自身の意志であるということを明確にしたと言えましょう。
ただ、それでも主が、「あなたの信仰があなたを救った」と敢えて言われたのは、彼女の信仰を評価し、彼女に生きる勇気を生み出すためだったと言えましょう。しかも、イエスは後ろから近づいてきた彼女の切実な思いを、その顔を見る前から受け止めていました。これは「注目の奇跡」と呼ばれます。私たちが目の前の人の痛みすら分からないのと対照的です。
信仰の父アブラハムは、「死者を生かし、無い(無価値な)ものを有る者として召される神を信じ」、また、「望み得ないときに望みを抱いて信じた」と描かれますが (ローマ4:17、18)、彼女の信仰もそれに匹敵するほどのものでした。
それまで彼女は、神の「のろい」を受けたかのように、日陰で生きてきましたが、これから社会の真ん中に生きる者と変えられました。それこそイエスの癒し、いや「救い」のみわざの目的です。
その後になってようやく、「イエスは会堂司の家に着き、笛吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、言われた、『出て行きなさい。その少女は死んだのではなく、眠っているのです』と」いう展開が描かれます (9:28)。ここでは、イエスが会堂司の家から群衆を追い出したという場面に、何の説明もなく一挙に展開します。それは、イエスこそがすべての状況を支配しているということを示すためです。
会堂司のヤイロや町の人々は、イエスがこの見すぼらしい女に足止めされていることに心の苛立たせていたことでしょうが、イエスはすべての時間をも支配しておられました。イエスにとって、「遅すぎる」ということはないのです。
しかし、人々は、娘が死んだことを知っていたので、「イエスをあざ笑った」(9:23) としか記されません。そこでさらに「群衆が外に出されたとき、イエスは中に入って、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった」と驚くほど簡潔に描かれます。
ここでの「起き上がった」とは、「死者からの復活」に用いられることばと同じです。これこそまさに日本語の「よみがえり」に相当します。
しかもこれは、会堂司がイエスに「あなたの手を、娘の上に置いて」と願った通りのそのままをイエスが行い、彼が「そうすれば、生き返ります」と期待したその通りのことが起きたという意味です。ここでも、会堂司の信仰が癒しの原因であるかのように描かれています。
しかも当時は、律法の教師が死体に触れるということ自体があり得ないことでした。それは「汚れ」を身に負うことだからです。ですからこの会堂司も、イエスのあわれみに満ちた行動を期待するとともに、主が死体に触れても「汚れる」代わりに「いのち」を生み出すと信じていたと言えましょう。
そして最後に「この話は、その地方全体に広まった」と描かれます (9:26)。死人が生き返るなどということはあり得ないと思いますが、それは預言者エリヤもエリシャも行ったことでした。
ですから人々は、イエスをそのような偉大な預言者の再来と見て、待ちに待った「天の御国」の到来のしるしと見たことでしょう。
マルコもルカも会堂司の娘と長血の女の癒しをセットに記します。もし、ヤイロの娘が生き返らなかったら、長血の女の癒しは人々から祝福を受けることはできなかったに違いありません。一方、人々の心がヤイロの娘のことに向っていなければこの女はイエスの背後に近づくことさえできなかったことでしょう。
イエスが長血を患った女の衣を触られて、彼女の信仰を賞賛したこと、また、既に死んでいる女の子に手を触れたことは、当時の律法の解釈に真っ向から反します。それはまるで丸腰で感染症患者に触れることのように見えました。しかもそれは同時に「私たちのわずらいを担い、私たちの病を負う」(8:17) という十字架に向かっての歩みでもありました。
ただし、イエスがそのように大胆に行動できたのは「ご自分の前に置かれた喜び」としての復活を見ていたからであり、それを前提に、私たちにも「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」と勧められていることを覚えるべきでしょう (ヘブル12:2)。
詩篇30篇4、5節では、「主 (ヤハウェ) の聖さを覚え 主に感謝せよ。それは 御怒りは束の間で 恩寵のうちに一生があるから」と歌われます(私訳)。この詩篇には明らかに復活のテーマが貫かれています。
そこでの主の「聖さ」とは、罪人を排除するご性質ではなく、「夕暮れには涙のうちに過ごしても 朝明けには喜びの叫びがある」、「嘆きを踊りに変える」という「復活の力」です。それが私たちに実現するのです。