存在の感謝〜詩篇139篇

今日は詩篇139篇から「存在の感謝」としてご紹介します。

この詩は、「ヤハウェよ」という神の御名への呼びかけから始まります。多くの人々は、自分の必要から始まって神を求め、「私が神を認識する」いう考え方をします。しかし、「わたしはある」または「わたしはあらしめる(生み出す)」と宣言される神がおられるので、私がここに生き、また、考え、語っていると認識すること、つまり、全能の神のご支配を前提としてこの世界を見るというのが聖書の発想ではないでしょうか。

私たちは、自分のことを分かっているようで肝心なことが分かっていません。ところが聖書の神は、「私」以上に、私の行動やことばが分かるというのです (2-4節)。「私の思い(意図)を……読み取り」とは、私が座るのか立つのかさえも、行動に移す前から、神は私の意図を知っておられるという意味です。同じように、神は、私がいつ、どうして活動するのか、休んでいるのかを、すべてに精通しておられ、また、私が何を話そうとするのかもご存じだというのです。

「私は、自分で自分のことが信じられないんです……」という不安に襲われるようなとき、「あなたこそ……私の……生き方すべてに通じておられます」(2、3節) と言うことができます。そこでは、自分が知られていることは「恐れ」ではなく、はかり知れない「安心感」の源とされています。

「後ろからも前からも私を囲み」(5節) という表現も、後ろに目がついていない私たちに代わって、主が背後を守ってくださるという慰めと思うことができます。また、明日のことが心配で、元気を失うときにも、私以上に私のことを知っておられる方が、「私を囲み、御手を私の上に置いてくださいます」と信じられるなら、明日のことが分からないことが、かえって、「神様。明日は何が起こるのか楽しみです!」という喜びの源になるのではないでしょうか。そして、「そのような知識は」(6節) は、私たちにとっては想像を超えた神秘ではありますが、それは「恐怖」というよりは、感動を呼び起こす「不思議」ではないでしょうか。

「あなたが、私の奥深い部分を造り……」(13節) は、前節の「あなたには、闇も暗くなく」を前提として記されています。「奥深い部分」は、原文で「腎臓」と記され、いけにえの動物を屠(ほふ)るとき、最後に出てくる器官で、体の最も奥深い、暗やみに包まれた部分です。つまり、神は真っ暗な「母の胎のうちで」、その隠れた部分を造られた方なので、どんな時でも私たちの人生のすべてを理解しておられるというのです。

そして、「恐ろしいほどに、私は不思議に造られました」(14節) とは不思議な感動に満ちた自己認識です。

レーナ・マリヤさんというスウェーデンのゴスペル歌手は、生まれつき両腕がなく片足も半分の長さしかありません。その彼女がこの詩篇139篇の英語訳をそのまま歌にし、神に向かって、「私はあなたを賛美します。なぜなら、私は恐ろしいほどに、不思議に(すばらしく)造られたからです」とみことばを繰り返しながら、まごころから歌っています。私はそれを聞きながら不思議な感動に包まれ、身体が震えました。人の目から見ると彼女は重度の障害者かもしれませんが、彼女は自分を「神の最高傑作」と見ているのです。

彼女のお母様は最初、「神よ。どうして……」と思ったこともあったとのことですが、やがてそのいのちが、神ご自身の作品であることを感動するようになりました。その感動をお母様はレーナ・マリヤに伝え続けました。その結果もあるのでしょうが、それ以上に、彼女には生まれながら、その障害を補う好奇心や冒険心が与えられ、育まれ、驚くほどに広い活躍の場が開かれてきました。彼女は右足だけで、ピアノを演奏し、作曲をし、料理も裁縫も楽しみ、車も運転します。彼女の全存在がいのちの喜びを驚くほどに伝えていますが、身体の障害は、かえってその感動を伝える媒体として豊かに用いられています。私たちは、障害や欠点と美しい賜物を区別して考えますが、それは切り離せない統合されたものとして神の作品なのです。以前のコンサート案内に彼女の生活の雰囲気が描かれていました。

私たちの多くの場合、肉体よりも心の不自由さが問題になります。これは見え難いと共に、矯正が可能と思われるからこそ問題が複雑になります。私は中学校時代の担任に「神経質すぎる」と通知表に書かれたことがあります。その後、精神科医の斉藤茂太氏が記した「神経質を喜べ」という本に深く感動しました。それは、自分の気質を変えるべきものとしてよりは、積極的に受け入れるという道を示してくれました。

神は人を創造した際、「人が、ひとりでいるのは良くない」(創世記2:18) と言われましたが、新約時代には信者の中に聖霊を与え、互いに排除する傾向の間に交わりを創造してくださいます。一人ひとりは不完全でも、交わりを通して完全になるように召されているのです。交わりの中に神のみわざを認めましょう。

そして、「私がひそかに造られ」(15節) た様子が、「織りあげられ」と言いかえられますが、これは「模様を作る」とも訳せます。神は、私たちの思いをはるかに越えた形で、それぞれをユニークな個性を持つ者として造ってくださっているからです。その意味で一人ひとりがかけがいのない存在であり、人が何と言おうとも、私たちはそれぞれ、神のはかりしれないご計画のために生かされている尊い存在なのです。

聖書が語る罪の問題とは、「どなたに向かって、誰のために生きているのか?」という人生の方向性にあります。アウグスチヌスが、神に向かって、「あなたは私たちをご自身に向けてお造りになりました。ですから、私たちの心はあなたのうちに憩うまでやすらぎを得ることができないのです」と告白したように、私たちの心が神に向けられている時、身体も心もすべての部分が生き生きとした調和を発揮できるのです。

健全な罪意識は、創造のみわざへの感動と感謝から生まれるものです。「私は神の最高傑作として生かされている!」と真に自覚するとき、「私はもっと、神と人とに仕える生き方をしなければならないのに……」と示されるはずです。そのとき人は、与えられたすべての賜物を積極的に生かしながら、いのちの喜びを感じつつ、神の創造された世界と人に向って愛をもって関わって行くことができるのではないでしょうか。


以下は、僕が愛してやまないレーナマリアさんの Psalm139 詩篇139篇の歌です。ユーチューブでただでご覧いただくことはできません。でもたった250円でこちらのサイトからご購入いただけます。ただ、スウエーデン語のものしか見当たりませんでした。歌詞を念のため以下に記させていただきます。これは英語のNIV訳抜粋です。

Psalm 139

O Lord, You’ve searched me.

主よ。あなたは私を探られました。

and You know me

それで、あなたは私を知っておられます。

You know when I sit and when I rise.

あなたこそは、私の座るのも立つのも知っておられ

You perceive my thoughts from afar

私の思いの数々を遠くからでも読み取られます.

You’re familiar with all my ways.

あなたは私の生き方すべてに親しんでおられます。

Where can I go from Your Spirit?

あなたの御霊から離れてどこへ行けましょう?

Where can I free from Your presence?

御顔を避けてどこへ逃れられましょう?

If I go up to the heavens

たとい私が天に上っても、

if I make my bed in the depth

たといよみに床を設けても

if I rise on the wings of the dawn

夜明けの翼に乗って上り巡っても

Your hand will hold me fast.

あなたの御手がしっかりと私を支えてくださいます

For You created my inmost being

それはあなたが私の最も奥深い部分を造り

You knit me together in my mother’s womb

母の胎のうちで私を織り上げられたからです。

I praise You

私はあなたをたたえます!

because I am fearfully and wonderfully made

それは私が恐ろしいほどにすばらしく造られたからです。

Your works are wonderful

みわざがどんなにすばらしいものかを、

I know that full well.

私はそれをよく知っています。

How precious to me are Your thoughts, O God!

あなたの御思いの数々は私に何と貴いことでしょう!神よ!

How vast is the sum of them!

その総計は何と多いことでしょう!

Where I to count them

たとい私がそれを数えようとしても

they would outnumber the grain of sand

それは砂粒の数を超えるほど多いのです。

When I awake I am still with You

私が目覚めるとき、私はなおも、あなたとともにいます。

I’m still with You

私はなおもあなたとともにいます。

For You created my inmost being

それはあなたが私の最も奥深い部分を造り

You knit me together in my mother’s womb

母の胎のうちで私を織り上げられたからです。

I praise You

私はあなたをたたえます!

because I am fearfully and wonderfully made

それは私が恐ろしいほどにすばらしく造られたからです。

Your works are wonderful

みわざがどんなにすばらしいものかを、

I know that full well.

私はそれをよく知っています。

Search me, O God, and know my heart

私を探り、私の心を知ってください。神よ。

test me and know my anxious thoughts

私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

and lead me in the way everlasting

そして、私をとこしえの道に導いてください。