イタリアのテノール歌手アンドレア・ボチェッリのミラノ大聖堂での賛美動画が世界中の人々を魅了しています(ウィーンの細木朝子さんからの紹介)。彼は、その動画の最初で次のように語っています。
私たちが勝利の人生への信頼を祝った日に、私は誉れと幸福感のうちに、ミラノの大聖堂と市の招きに「はい」と答えました。
I believe in the strength of praying together; I believe in the Christian Easter, a universal symbol of rebirth that everyone – whether they are believers or not – truly needs right now.
私はともに祈ることの力を信じています、私はクリスチャンのイースターを信じています。それはすべての人にとっての普遍的な再生のシンボルです。 それを人が信じようと信じまいと、それが今、必用であることは確かです
Thanks to music, streamed live, bringing together millions of clasped hands everywhere in the world, we will hug this wounded Earth’s pulsing heart, this wonderful international forge that is reason for Italian pride.
ストリームライブという音楽のおかげで、世界中のどこにいる人々をも手を結ぶことができるようにと導くことができます。私たちはイタリアが誇るこのすばらしい国際的な舞台において、この傷ついている地球の鼓動をハグしたいと思います。
The generous, courageous, proactive Milan and the whole of Italy will be again, and very soon, a winning model, engine of a renaissance that we all hope for.
寛大で勇気に満ちた積極的なミラノの方々とすべてのイタリア人たちがまもなく、ほんとうにすぐに、私たちが望んでいる勝利のモデル、また、ルネッサンス(再生)の動力となることでしょう。
It will be a joy to witness it, in the Duomo, during the Easter celebration which evokes the mystery of birth and rebirth.
それを、誕生と再生の神秘を呼び起こすイースターの祝いの時期に、この大聖堂において証しできることはなんと嬉しいことでしょう。
Andrea Bocelli
「傷ついている地球の鼓動をハグする」というのは不思議な表現ですが、そこには詩篇96篇9-13節「全地よ 主の御前におののけ 国々の間で言え 『 (ヤハウェ) は王である』」という詩篇のことばがあるように思えます。
主 (ヤハウェ) は「王」として、この世界を支配しておられます。このようなコロナウィルの蔓延の恐怖にあっても、決まった時間に日が昇り、美しい四季の繰り返しがあるのは、主が「世界を堅く立て」ておられる結果です。地震や洪水があっても、それは局地的な被害にとどまり続け、この地が「揺るぐことがない」のは、当たり前のことではなく、主がノアに対する契約を守っておられるしるしです (創世記8:21、22)。
そして、「やがて主は公正をもって人々をさばかれる」(10節) とは、救いの完成のときを指すことばでもあります。このことを前提にパウロは「被造物自体も滅びの束縛から解放され、神の子供たちの栄光の自由の入れられる」(ローマ8:21) と記しています。その被造物すべての救いの完成の望みのことが、11、12節では、「喜べ」「喜び踊れ」「とどろけ」「歓喜せよ」「喜び歌う」というほとんど同じ意味をもつ五つもの異なった喜びのことばで表わされています。
なお、「そのとき森のすべての木も主 (ヤハウェ) の御前で喜び歌う」(12節) と、「森の木」のことに特に目が向けられます。エゼキエル31章では北王国イスラエルを滅ぼしたアッシリヤ帝国が「レバノンの杉」にたとえられ、木が自分の高さを誇って神のさばきを受ける様子が描かれています。しかし、ここでは、森のすべての木々が天にそびえることで、主を賛美する様子が描かれています。
「主は確かに来られる。地をさばくために来られる。正しく世界を、真実に人々をさばかれる」(13節) とは、私たちにとってはキリストの再臨の希望を意味します。二千年前にキリストが肉の身体をもって来られ、十字架にかかってよみがえられたのは、キリストが世をさばくために再び来られることとセットになっています。主は私たち罪人をあわれまれたからこそ、さばきを後の時代へと遅らせてくださったのです。そして、私たちが自分の罪深さを認めてイエスにすがっている限り、この再臨のときを恐れる必要はありません。それは「祝福された望み」(テトス2:13) だからです。
この詩篇は、聖書の最初から最後までの要約が記されています。この世界には、様々な不条理、悲しみが満ちています。それらを直視しながら、どうして喜んでいることができるでしょう。しかし、「主 (ヤハウェ) は王である」と告白する者にとっては、どのような悲しみも、歓喜の歌をつなぐ間奏曲に過ぎません。
私たちは永遠の喜びの世界に入れられることを保証された者です。その永遠の観点から見ると、どんな悲しみも、束の間の出来事です。そして、今、神が沈黙しておられるように感じるのは、私たちの霊の耳が聞き分けることのできる音が限られていることの結果かもしれません。天にはすでに神への賛美の歌が響いているのではないでしょうか。私たちはその喜びの声が、あまりにも大きすぎて聞こえないのかもしれません。主に歌うことは、天上の賛美に私たちの心を共鳴させてゆくプロセスです。
この動画の最後の部分で、人のいないヨーロッパの街並みに合わせて、アメイジンググレイスが歌われます。
アンドレアさんは人間的には目の見えない方ですが、霊の目が開かれて、神のご支配と真の復活の意味を知っておられます。この曲の原歌詞は次のように訳すことができます
- 驚くべき恵み この響きは何と甘いことだろう。
こんな、ならず者を救ってくださったとは。
私はかつて失われていた。しかし、今は見出された。
私は盲目であったが、今は見える - 恵みこそが私の心に恐れることを教えてくれた
同時に、恵みによって私の恐れは和らいだ
恵みは何と尊いものとして現れたことか
私が最初に信じたそのときに。 - 何と多くの危険と苦難と罠の中を
私はすでに潜り抜けてきたことか。
この恵みこそが私をここまで安全に導いてくれた。
恵みが私を永遠の家へと導いてくれる